白銀の王妃 5

 飛竜は窓の桟から飛び降り、すらりと立つと優雅にお辞儀をした。
「はじめまして」
 アーネストとザークフォードに向けて、悪びれもなく笑顔を見せる。これまでの異国の衣装とは違う、イルタシア風の姿に新鮮な印象も持ったが、このマイペースぶりはやはり変わらないらしい。
「……どうも」
 アーネストはにこりともせずに返す。ザークフォードはわずかに苦笑を浮かべただけだ。歓迎的とは言い難い雰囲気をものともせず、飛竜は立ち尽くしている少年を見やった。
「久しぶりだな」
 含みのある声にフレイムは胃が重くなるのを感じた。
「手伝ってやると言ったのに、俺を信用しなかったな?」
 ぎくりと肩を強張らせる。主人の変化を察したグィンが肩に乗って寄り添ってきた。緑の精の気配に安堵し、一方でアーネスト達の視線にプレッシャーを感じながら、フレイムは声を絞る。
「信用なんて言葉は、自分の言動を振り返ってから使ったほうがいいよ」
 飛竜はにやりと赤い双眸を細めた。
「言うな。ネフェイルの所在を教えてやったのが誰だったか忘れたのか?」
 険呑な光を浮かべた眼差しには威圧感がある。じわりと緊張を煽られるが、交渉を持ってきた飛竜が暴力的な手段に訴えるほど短絡的ではないことも分かっていた。この男を相手にするならば、必要なことは委縮しないことだ。
「あの時とは状況が違うよ。それに、ザックの懸賞金を狙ったのが誰だか忘れたの?」
 反駁した瞬間、フレイムの中で線が繋がった。
 ――封印については知っている?――神器を持っているんだ――それが欲しい。
 懸賞金という言葉にアーネスト達が反応するのが分かったが、フレイムはそれに構うこともできずに呟いた。
「……そうか、見えざる向こうって……」
 篠突く雨の中、飛竜が零した言葉。あれはザックの封印された神通力のことだったのだ。
 少年が悟ったことに気付くと、飛竜は僅かに双眸を細め、すぐに不敵に唇を釣り上げた。
「ようやくそこまで辿り着いたのか。懸賞金のためだけにお守りをしろなどと言うわけがないと分かっていただろうに」
 フレイムは嘲笑を睨みつける。目頭が熱い。雨音に交錯する笑い声が耳にこだまするようだった。
「協力なんて……」
 できない、そう言おうとするのを遮る声があった。
「フレイム君」
 背後からの呼びかけにフレイムは我に返る。視線を動かすと、こちらに声をかけたウィルベルトがアーネストを振り返るところだった。
「アーネスト君」
「あ、はい」
 二人のやり取りに気を取られていたアーネストもまたはっとして返事をする。それから彼は二人に割って入るように進み出た。
「個人的にはフレイム君の気持ちを採用して、不躾な輩は追い出したいところだが」
 冗談とも思えないような冷淡な眼差しで飛竜を見やる。当人は肩をすくめてみせた。
「せっかくご足労いただいたんだ。言い分を聞かせてもらおうか」
 毒気を抜かれたような顔でフレイムが肩から力を抜くのを見て、アーネストは微苦笑を漏らした。無礼な侵入者に対する怒りは自分も持っている。だが、館の結界を破られたことは、不満から考察へと進んでいた。このまま追い帰すにはこの侵入者は気になる点が多過ぎる。
 赤い双眸は興味を持ってこちらを見ている。
「アーネスト・マクスウェルか。分かりやすいな、いかにもザックの血縁だという顔をしている」
 初対面の者を相手に遠慮のない物言いだ。しかし、その身に宿る魔力の気配を感じ取れないほど、アーネストは疎くはない。
(……スフォーツハッド様が神器を疑うのも分かる。だが……)
 魔術師免許制度、魔術学院を持つイルタシアにおいて、「魔力が強い」者は少なくない。それが神器であるかどうかはまた別なのだ。気配だけではそこまで判断できない。
 単刀直入に問いただしてもいい。だが、神器は危険な代物だ。当人にとっても、周りにとっても。神器かと問われて素直にそうだと答える者は少ないだろう。出し抜けにそんな質問をして警戒されても面倒だ。
「話を聞かせてもらったうえで、君と協力できるか判断させてもらいたい」
 飛竜は笑みを崩さない。値踏みをするような視線のまま口を開く。
「面白味のない意見だ。ザックのような可愛げもないな」
 アーネストは目を瞬いた。
 飛竜の横でウィルベルトがこめかみを押さえる。それを目にしてフレイムも同様に頭を抱えたくなった。この男はどこまでも自由だ。傍若無人ともいう。
「なぜ、俺がザックの奪還に手を貸すと思う?」
 それは問いではあったが、答えを待つ気配はなかった。飛竜は続ける。
「あいつの人柄が好意に値するからだ」
 飛竜の手がアーネストに向けて伸ばされ、その指先が相手の頬を撫でた。ぞくりと背筋が粟立つのを感じながら、アーネストは片足を引いた。赤い瞳がにやりと笑う。
「やはり取って食いたくなるような可愛げがないとつまらんな。なあ、フレイム?」
 怯えたように後ずさった公爵に愉悦の眼差しを向け、飛竜はフレイムを振り返った。
「お、俺にそんな話を振らないでよ」
 青褪めながらフレイムは首を振る。肩に乗ったグィンが「変態だ」と呟くのが聞こえた。
「そんな態度では厳しいだろうと言ったのに」
 呻くウィルベルトに飛竜は肩を竦めて返す。
「卑賤の出が貴族様を相手に行儀作法を取り繕うのは無理だ」
 そういう問題ではないのだが――ウィルベルトは呆れてため息をついた。横目にこの館の当主を見やれば案の定、怒気が溢れている。
 頬が引きつりそうになるのを堪えてアーネストは唇を歪めた。この程度で煽られるわけにはいかないと分かっているのに頭がついてこない。取り戻しかけていた冷静さを見失ってしまった。いまだに窓が開けっぱなしになっているから、夜風に吹かれて飛んでいったのかもしれない。そうだ、窓からの侵入というのがまた腹立たしい。
「その軽薄な態度は大いに問題がある。我々の仲間になりたいと言うのが事実ならば」
 不快感を露わにする若い当主に、態度も変えずに飛竜が片眉を上げる。
「態度を改めさえすれば仲間として受け入れてくれると?」
 フレイムははらはらと二人を見比べた。
「それ以前の問題だと言っている」
「お堅いな」
 嘲笑う飛竜をアーネストはものともしない。
「君が緩すぎるんだ。遊びに来たのならば帰りたまえ」
 赤い双眸が細められ、翠の瞳とぶつかる。火花こそ見えなかったが、フレイムは固唾を呑んだ。
 やがて降参して両手を上げたのは飛竜だった。
「しょうがない。せめてテーブルには着きたいからな」

 飛竜はウィルベルトの隣に腰掛けた。のんびりと足を組む様はここに至って己のペースを崩さない主張のようにも思える。悠然とした賞金稼ぎをフレイムはじっと見据えた。
 少年の隣でアーネストが溜め息をこぼす。彼は頭痛でも堪えるように、こめかみを押さえた。目を閉じて、何か思案するような間を置き、視線を上げる。
「さて」
 気持ちの切り替えを感じさせる一言を口にする。飛竜の正面に腰掛けた彼は一呼吸おいて言葉を続けた。
「生業は賞金稼ぎということらしいが、ザックの懸賞金を狙っていたというのは事実なのか?」
 飛竜は肘掛に腕を立てて手を組むと、軽く首を傾げた。上目遣いにアーネストを見る。
「事実だ。賞金稼ぎが賞金首を狙っておかしいことはないだろ?」
「それはそうだが」
 アーネストは一呼吸を置いた。
「なぜ賞金首を助けたいと思うのか、そこは疑問だね」
 ウィルベルトとザークフォードは口こそ挟まないものの侵入者を注視している。尋問しているようだとフレイムは感じたが、事実そうなのだと考え至った。相手は味方になり得るかどうか分からない強力な魔術師だ。
「なぜって、さっきも言っただろう? 気に入ったからさ」
 飛竜は笑った。片手で自身の胸元を示す。
「俺の力やこの目を見ても物怖じない奴は珍しくてね。面白い奴だと思ったよ」
 そう言って口を噤んでいる少年に視線を投げる。フレイムは顔を曇らせた。同意を求められているようにも、皮肉を向けられているようにも思える。フレイム自身、ザックの明るさに助けられた身だ。その一方で、底の知れない飛竜を恐れている。
 フレイムは膝の上で拳を握りしめた。
「でも、それだけじゃないだろ」
 声を絞る。相手を不利にしかねない情報を口にするのは躊躇があった。決して刺激したい相手ではない。だが、捨てておけないのも確かなのだ。
「あなたはザックの神通力のことを知ってるじゃないか」
 自分の言葉によって室内の緊張感が増すのを肌で感じ、フレイムは手を握る力を強くした。心音が大きくなる。
 機嫌を損ねた様子もなく相手は口角を上げた。
「お前がそうだということも知っているぞ」
 飛竜は続けて周囲の男たちを見渡した。みな油断なくこちらを見張っている。隠せばかえって怪しまれるだろう。
「俺の目的は確かにザックの神通力だった。封印によって守られた膨大な力だ」
 アーネストは眼差しを鋭くした。マリー・マクスウェルが息子に施した封印を見抜くことができるのは相当の力量だ。同時に危険な男でもある。
 目前の赤い瞳に不快の色が滲むのを見ながら、その声に耳を傾けた。
「だが、今となっては、イルタシアの王妃が操作魔術でザックの魔力を引き出して使っている。俺が欲しかったものを横取りされたわけだ」
 最後は投げやりに言い放って飛竜は双眸を不穏に光らせた。
「これ以上、あの女の勝手にさせるのは我慢ならん」
 アーネストがザークフォードに視線を向けるのを、フレイムは見た。パスティア王妃が操作魔術を使っていることは誰もが知っている情報ではない。ザークフォードは頷いて返す。アーネストは飛竜に向き直った。
「飛竜君、その情報はどこから?」
 飛竜は不満の表情を消し、再び含み笑いを浮かべる。
「情報源はそうそう答えられんな。まだ、仲間じゃないんだろう? 俺たちは」
 挑戦的な笑みを受けて、アーネストもまた薄く笑った。
「それもそうだ」
 アーネストは膝の上で手を組んだ。
「ひとまず君の目的は、ザックの奪還と王妃への意趣返しというところかな」
「そうだな」
「では、我々と手を組むのもそこまでということだな。ザック奪還後は再び敵に戻るわけだ」
 ザックの魔力が目的だというのならば――言外に含めて告げる。
 飛竜は答えず笑っただけだった。だが、それは肯定を意味している。
「なるほど、フレイム君が警戒するわけだ」