白銀の王妃 6

 アーネストは眉を下げ、表情を曇らせている少年を見やった。ウィルベルトが王妃の操作魔術を解く鍵を託した相手はフレイムだ。
(彼の士気が下がるのは好ましくない、が)
 かと言って、この男に目の届かない場所で動かれるのも厄介だ。万が一、こちらの行動を阻害されるようなことがあれば、護衛団と並ぶ脅威になりかねない。
(野放しにするより、監視できる状態の方がリスクは少ないかもしれない)
 無論、それだけで仲間にするわけにもいかないのだが。アーネストは己の考察を吟味しながら、うつむいている少年を見つめる。
 フレイムはアーネストの視線を受けて顔を上げた。白い顔には不安が滲んでいる。
「彼の魔術が十分な戦力になることは知ってます。……でも俺は」
「俺は?」
 少年の声を遮って、飛竜が口を開く。フレイムは赤い双眸を振り返った。
「『こんなところでもたついているわけにはいかない』んじゃなかったか?」
 息を呑む。それはコウシュウで自分が口にした言葉だ。
 分かっている。時間がない。味方も少ない。飛竜は大きな戦力になる。
 戦力であり、脅威だ。
 彼の力を得るならば、脅威を己の手で払わなければならない。その自信が持てないのだ。
 飛竜がしょうがないなとでも言うように、小さく息を吐いた。
「お前が安心するように言ってやるが、協力すると言った以上、途中で裏切ったりなんぞしないぞ」
 フレイムは唇を噛む。そう容易く信じられるのなら悩みはしない。
 コウシュウで飛竜の手助けを受け入れた時は、ザックの神臓のことを知らなかった。だが、今はその危険性を認識している。
(状況が、違う……)
 先ほど口にした言葉を頭の中で繰り返す。
 室内が重く静かだ。皆、フレイムの答えを待っている。
 無意識に胸元を掴む。身につけていいものかひどく悩んだが、決して失くしてはいけないと思って首から掛けた。その、硬い感触。
(闇音さん……)
 雨に濡れた彼女の白い顔。悲痛な声。
 助けに行きたいのは彼女のはずだ。そして、ザックも彼女を待っているはずだ。
(もたついているわけにはいかないし……逃げるわけにもいかないんだ)
 ゆっくりと呼吸する。
 決断の重さ。こうすると決めてしまうのは一瞬のことなのに、その一瞬を迎える不安。最善なのか。最善でなかった場合どうするのか。決断の先にある結果を覚悟しなければならないのだ。
 決断した記憶――ネフェイルの問いに答えた日、ザックを助けるために駆け出した夜。
 フレイムは顔を上げた。目の前の男を見据える。赤い双眸がこちらを見ている。
「分かった。信じる」
 少年の言葉に飛竜は目を瞬いた。その様子を三人の男は意外な心地で見た。
 フレイムはもう一度息を吐く。
「時間を掛けられない以上、飛竜の力が助けになることは分かってる」
 諦めと苦笑の入り交じった声で、それに、と続ける。
「いつもからかわれてる気がするけど、でも、嘘をついたことはなかったから」
 グィンは目を見開いてフレイムを見上げた。
 疑うことをやめたんだね――そう言ったのは自分だったはずだ。なのに驚いている。
 確かに悩んでいる様子だった。相手を疑っていたのだろう。
(でも、飛竜の力が必要だから……)
 フレイムが信じた相手は飛竜だけではない。抑止力となるべきフレイム自身をも信じなければならなかったはずだ。グィンはぐっと拳を握って主を見つめた。
「ただ、裏切ったときは容赦しない」
 唇を引き結んで、フレイムは飛竜を見据えた。その眼差しを受け止めて、飛竜は満足そうに笑う。コウシュウでも見た意志の強い光。
「男に二言はないさ」
 二人のやり取りにアーネストはふむと頷いた。残る確認すべきこと――自身の考察を口にする。
「君の派手な登場は不躾な限りだったが、フレイム君が結界系の術が得意そうだと言ったのが分かったよ。スフォーツハッド様がうちに侵入した時に結界を破ったのは君だね?」
 フレイムも察した様子であっという表情をする。ウィルベルトが今更のように頷いた。
「ああ、言ってなかったか。うん、そうだよ」
 剣士を本業とするウィルベルトに結界を破られたことがアーネストのプライドに障っていたわけだが、そうではなかったということだ。
「別に大したことはしてないさ」
 飛竜は頭の後ろで手を組んで背もたれに寄りかかった。
「蒼い顔してマクスウェルに行くなんて言うから、ちょっと手を貸してやっただけだよ」
 ちょっとやそっとで気安く結界を破られたのではたまらない。アーネストは嘆息を零す。神器か否かは計れないが、相当の術者であることに間違いない。
「なるほど」
 口を開いたのはザークフォードだった。
「拘束結界だな?」
 指摘にアーネストは頷く。
 護衛団金鷹の拘束結界。侵入者の排除と、魔術行使の制限を担う結界だ。ホワイトパレス全体を覆うように施されている。
 アーネストはウィルベルトにその解除を取り付けてある。護衛団副団長である彼のコネクションを利用するのだ。
「金獅子副団長などという目立つ人を動かさずにすむなら、選択肢が増える」
 目立つと言われた当人はさほど気にしたふうもなく、おどけたように口元に笑みを浮かべた。一方のザークフォードは顎を撫でて思案する。
「作戦の幅が広がることは歓迎できる」
 しかしと若い魔術師を見やる。
「対応できるのか。生易しい結界ではないぞ」
 国の要、国王の居城を守る砦だ。精鋭の魔術師集団によって展開される結界に不備はない。
 飛竜は姿勢を戻すと壮年の剣士を向いた。交渉のカードでも提示するように手を開く。
「拘束結界内に侵入したことがある」
 ザークフォードはもちろん、フレイム達も驚く。偽りでないなら城内に立ち入ったうえに無事に出てきたことになる。
(とんでもない。でも、これも嘘じゃないんだ)
 フレイムは舌を巻く思いで赤眼の魔術師を見た。どおりで王城内部の情報に詳しいはずだ。情報源は彼自身だ。
 ザークフォードが信じ難いとでも言いたげに眉根を寄せる。
「なんのために……」
 飛竜は思い出話でもするように視線を少し下げた。
「まあ、散歩で訪れるには堅苦しいところだったが、ザックの様子が気になったからな」
 そして横目にウィルベルトを見やる。
「人の心配も知らず、敵地で友人なんぞを拵えていたが」
 ウィルベルトから話を聞いていたフレイムはそれが誰のことなのか分かった。国王イルタス六世だ。飛竜の侵入が事実である可能性が強くなる。
 ウィルベルトは泰然と微笑んだ。
「彼の人徳が成すところだよ」
 そう言ってから、先任の剣士を見る。
「嘘はついていないと思いますよ。よしんば嘘であったとしても、マクスウェル当主の結界を破る力を持っていることは事実です」
 ザークフォードは息をついた。自分が知り得ない情報の確認が行われたようだったが、それが致命的な問題でないことも雰囲気から察することはできた。相手の実力が本物であるというなら、それを認めることにやぶさかではない。
「それもそうだな」
 フレイムは膝の上で手を握った。これでザークフォードも飛竜を受け入れることを容認したことになる。ウィルベルトも話振りを聞いている限りは同様だろう。あとはアーネストだ。
 彼の意見を軽んじるわけにはいかない。彼は作戦の拠点となっているこの館の当主であり、そこに責任がある。公爵という立場もあり、フレイムの目に入らない部分で苦慮していることもあるはずだ。
(それにアーネストさんはザックの従兄で……)
 彼は自分とは違う思いを抱えているだろう。
 ザックとよく似た横顔をフレイムは見つめた。翠の瞳は真っ直ぐに向いの魔術師を捉えている。
「だが、何度も出入りしたわけではないだろう? 君が相当の実力者とはいえ、金鷹とて甘くはないだろう」
 アーネストの見立てに飛竜は素直に頷いた。
「確かに骨の折れる仕事だった。情報収集としての頻繁な出入りについてはあまり期待しないでくれ」
「その点についてはさして問題ない。私は拘束結界には阻まれないのでね」
 それもそうかと飛竜は納得する。現時点でアーネストは金鷹や金獅子に目をつけられているわけではない。団員個々人がどう思っているかはともかく、少なくとも護衛団全体の意識としては警戒対象として定められていないはずだ。
「私のことは置いておくが、そもそも君の情報収集の範囲は城内に限ったことではないだろう?」
 飛竜がたじろぐ。だが、アーネストはその反応を演技だと解釈した。隠し事が明るみに出た子供の真似でもしているようだ。そして、本人も悟られることは承知の上だろう。なんともひょうきんな人物だとアーネストは思う。
「スフォーツハッド様の話によれば、王后陛下がザックの魔力を引き出した際、その場所は拘束結界の外だったとか。ならば内部に侵入せずにも、遠視系の術が使えれば事情を知ることができる」
 拘束結界は遠視魔術の多くを無効化するため、内部を覗き見ることはできないが、それでも得られる情報はあるだろう。
 ザークフォードが感心した様子で口を挟む。
「なるほど。しかし、短時間でよくそこまで考えが回るものだ」
「金鷹を過小評価するつもりがないだけですよ。違和感に対して、辻褄合わせをしたに過ぎません」
 アーネストは取り立てるほどのことでもないと応えた。飛竜に向き直る。
「戦闘面については測るネタがないが、拘束結界の解除と遠視には期待が持てる」
 迷いのない声。その先を悟ってフレイムは気を引き締めた。
 アーネストが立ち上がる。相手の意図を察して飛竜も立ち上がった。そのあとにフレイム達が続く。
 一人と五人が向かい合った。飛竜は腕を組み、改めて五人を見渡す。金獅子の剣士が二人、魔術の名家の当主、緑の精霊、そして神器を持つ少年。
「ひとつ言っておくが、俺もお前達を測っていた。手を貸して損をしないか。目的が果たせるのか」
 アーネストは薄く笑みを浮かべた。この男の軽薄さは癇に障る部分もあるが、その物怖じのなさは小気味よくもあった。
「結論は?」
 赤い双眸が愉快そうに細められる。
「あんたの結界、城の拘束結界並みにいやらしい構成してたよ」
「それはそれは」
 アーネストが片手を差し出すと、飛竜はそれを握り返す。フレイムは交わされる握手に見入った。
 飛竜が仲間になったのだ。