一条の銀の光 10

「――来た!」
 セルクが静かに、しかし高揚した調子で敵の来訪を告げた。フレイムも顔を上げる。
 グィンと闇音の気配が感じられた。
「……ん? ザックは……?」
 セルクが立ち上がり、窓の方へ歩む。
 フレイムはそこまでする気にはなれなかった。彼の言葉が意味するところを、理解したくはない。
「まあ、でもガンズも帰ってきてないし。とりあえず、君を助けるために精霊をよこしたのかな?」
 遠くを眺めながら、セルクは冷静に分析した。
 外では、来襲に応じてトリアの私兵団が前庭に集まりつつある。
「ふん、筋肉脳みそに影の精霊の相手は無理だろうに」
 馬鹿にしきった様子でセルクは笑みを浮かべた。
「僕が出なきゃかな?」
 フレイムはそろそろと立ちあがると、セルクの方に近づいた。やはりどうしても外の様子が気になる。
「ん? 君も見る?」
 セルクは特に気にもせず、一歩横にずれた。
 フレイムはわずかに眉を寄せ、金髪の魔術師を見つめたが、黙って空いた窓際に立った。
 しかしその瞬間、フレイムは猛烈に後悔した。
「フレイム!」
 セルクが気付いて、フレイムを窓際から引き離そうとした。
「ザック!!」
 悲痛な悲鳴が少年の喉を走る。
 神腕を携えたフレイムが窓から見たものは、外の私兵団でもなく、グィンと闇音でもなかった。
 遠く離れた路地で、ほとばしる赤い血潮だった。
「いやだ! ザック!!」
 泣き叫びながら、フレイムは窓に縋りつこうとした。側の木よりも高い位置にあるこの部屋から飛び降りようとでもいうのか。
「フレイム! 落ちつけ!! 死ぬ気かい!?」
 自分こそ落ち付いていれば、フレイムが死のうと構わないはずだったのに、セルクは必死で少年を止めた。
 それほど少年の悲鳴は、セルクの耳に痛いほどに響いたのだ。
「……っ!!」
 しかしセルクは思わずフレイムから手を離し、目を覆った。
 眩(まばゆ)い金のきらめきが部屋の中を照らす。
「神腕……!」
 よろめいて、ソファの背に支えを求めながら、セルクは細く目を開けた。
 フレイムの右腕が金色に光っている。内側から輝く強烈な光。神の力の具現だ。
「……ザック……」
 フレイムが小さく呟く。
 どんっと大きな音が天井を貫く。セルクはソファにもたれて耳を覆った。
 そばで解放された巨大な魔力に頭の奥が痺れる。
「フレイム…っ」
 ざわざわと少年の髪が逆立つ。
 大きすぎる魔力の波動が、風を生むのだ。
「ザック……」
 フレイムの足元がぴしりとひび割れる。
(……アーシア……)
 フレイムの目の前で亜麻色の髪が揺れる。
 二度と大切な人を失いたくない。
 もうあんな思いをするのは嫌だ。
「……嫌だ」
 ガラス玉の瞳は、現実を映してはいない。
 過去の妄執が冷たく彼を支配していく。
「嫌だ」
 重く閉じられた瞼。
 赤く染まった胸。
 冷たい唇。
「嫌だ!」
 再び天を突く音が轟く。
 セルクはうずくまり、我を忘れた少年を見上げた。
(何やってるのさ、ザック……。君の大事な子が、――壊れるよ)

 宿を揺るがしたすさまじい轟音に闇音は大きく目を見開いた。
「フレイム様……?」
 あの少年以外にこんな事ができる者はおそらくいないだろう。
 しかし何故?
 何故、彼は神腕を解放したのだ。
 自分たちへの加勢?
「そんな筈はない」
 闇音は呆然と呟いた。
「こんな狂った魔力……。まさか、フレイム様が……」
 半信半疑のまま、襲いかかってくる私兵をかわす。そうするうちに二度目の轟きが耳を打った。
「フレイム!」
 耐えきれず、グィンが飛び出す。
「グィン!」
 闇音が叫んだが、緑の精霊は私兵たちのはるか頭上を飛んで、宿の中へと姿を消した。歯噛みしながら、私兵を一人を打ち倒す。
(無理もない。私とて同じ立場に置かれれば、間違いなくああするだろう)
 あの温和な少年の身に何が起きたのか、今一番知るべきはグィンなのだ。
(……そう、私達は命に替えても、主を守ると決めたのだ)
 闇音は静かに睫毛を伏せた。
(ザック、あなたは何も分かっていない)
 兵の一人が突っ込んでくる。
(私がどれほどあなたを想っているのか)
 闇音は優雅ともいえるしなやかな身のこなしで男をよけると、その背を魔術で強化した腕で打った。男はぐらりと揺れ、地面に崩れこむ。
(こんな事など、フレイム様など、放って私はあなたの傍にいたいのに)
 傍で守りたいのに。
 ――自分の事は自分で守る。
 以前そう言い張ったザックの姿が脳裏を過ぎる。
(わかってない)
 闇音は目を開けると、周りを囲む私兵団をぐるりと一瞥した。
「時間の無駄です。まとめてかかってきなさい」