薔薇の下 15

「やれやれ、ジィルバが休暇なんかとってくれたおかげで、私が出張るはめになってしまったな」
 愚痴をこぼして、クラングは車の助手席から降りた。近くの兵が敬礼をしてくる。
 西ブロック第三区四−四にて法定危機生物発生との連絡がクラングに届いたのはほんの十分前のことであった。現場の兵達は悪魔の包囲を進めている。
 クラングは戦闘服の立襟を整えながら、寄って来た少佐に尋ねた。
「どういった形態だ?」
「三メートル弱の獣人です」
「二足歩行か。珍しいな」
 クラングは青い双眸を細めて笑った。
「銃を貸したまえ。私がやろう。他の者に手出しをさせるなよ」
 手を差し出してくる大佐に、ブルーメンは目を瞬いた。
 自分の銃を両手に抱えたまま、ぽつりと呟く。いつも机に張り付いている上司を見上げて。
「……本気ですか?」
「……本気じゃ悪いのか?」
 疑わしげにこちらを見やる部下に、クラングは眉を寄せた。銃を受け取るべく伸ばした手が空しく宙を泳いでいる。
「少佐、私は別にデスクワーク能力を買われて大佐になったわけではないぞ」
 告げて、少佐が手にしていた銃を取り上げると、そのまま悪魔のほうへ歩き始める。
「あ、大佐」
 慌てて上司を追ってくるブルーメンに、クラングは振り返って悠然と笑って見せた。赤い夕日も、シャンデリアの白い光も、どんな光さえも溶かしてしまう漆黒の髪を風が撫でる。
「まあ、見ていろ。銀闇の使者――『闇が連れてきた銀の使者』、その『闇』の闘いぶりを」

 それはまるで無声映画を見ているかのようだ。
 悪魔に一直線に向かっていく上官からは足音が聞こえない。無音の足運び。一体どれほどの修練の上に立っているのかと考えると、ブルーメンは背筋の冷える思いだった。
 そしてついにその鼓膜を破砕音が揺さぶる。
 クラングはアスファルトを砕く悪魔の腕を蹴って、宙に踊った。そのまま空を足場とした体勢で銃の引き金を引く。対法定危機生物用に改造された抜群の破壊力を持つ弾丸が頭蓋骨を貫通し、地面に着弾した。
 体を半回転させながら地面に降り立ち、背後から更にもう一発浴びせる。弾は心臓を貫いた。
 「舞」とはこういうものだろうか。いままで東洋の舞踏に興味のなかったブルーメンはそう思いながら新しく用意した銃を握りしめた。
 悪魔が地面に伏すのを待ってから、クラングは銃を肩に担ぎ上げた。空いた手を握って開いて、満足げな笑みを浮かべる。
「思ったよりは鈍(なま)っていなかったな」
 それから唖然としている兵達に向けて、手を振る。
「後の処理を頼む」
 言われてからやっと気づいた様子で、兵達は死体の元へと駆け寄って行った。
 クラングはそれを見送ってから、ブルーメンの元へ歩み寄り、銃を渡そうとして、彼女が新たな銃を持っていることに気づいた。
「なんだ、私を信じていなかったようだな」
「……し、信じるも何も援護の必要に備えておくのは当たり前です」
 なんとか言い返しながら、ブルーメンは大佐から銃を取り上げた。二丁の銃を抱きしめて、やっと息をつく。
「私、今まで大佐が自由戦争の第一線で戦ったという話を信じておりませんでした」
 脱力した声で言われ、クラングはがっくりと肩を落とした。何か言おうとするが、それを遮ってブルーメンは続ける。
「もし第一線にいたとしても、きっと物資運搬の雑兵だろうとばかり……」
「……君という人は……」
 片手で顔を覆って首を振る大佐を、ブルーメンは横目に見やった。
「あなたが普段はデスクワークしかしない人だからですよ」
 言い放って身を翻すと、すたすたと歩き出す。クラングはそのあとを笑いを含んだ声で追った。
「安心したまえ。次からもきっと私が出張ることになる」
 ぴたりと足を止めて、少佐は驚いた表情で振り返った。その間にクラングは歩を詰める。間近までやってきた上司を見上げて、ブルーメンは首を傾げた。
「どういうことですか?」
 いつも悪魔の処理は司令部内でも特に腕の優れたジィルバが先頭に立って行っている。今日はその彼が休暇でいないため、数合わせにクラングが引っ張り出されただけであったのだ。
 クラングはどこか恨めしそうに、薄い笑みを浮かべた。
「ヘッドハンティングだ。第三司令部(うち)から一人よこせと言ってきた」
「どこの司令部が?」
 続けて問うてくるブルーメンにクラングは目を閉じた。嘆息する。
「どこもかしこもだ。よほどこちらの好成績が気に入らないらしい」
 クラングの所属する陸軍第三司令部は世界一の法定危機生物処理機能を誇る。悪魔が発生してから処理までの時間、被害の小ささ、どこをとっても他には劣らない。
「まあ、私を第三司令部から外したいのが向こう側の思惑だそうだが、……それは私にとって非常に好ましくない事態なんでね」
 そう言って意味ありげに笑う大佐に、少佐は目を細めた。
「またしょうもないことを考えましたね」
 子どもの悪戯に呆れる母のような口調に、クラングはあえておどけた仕草で答えた。
「そういう性分なんでね」

     *     *     *

 軍の仮眠室で惰眠を貪っている銀髪の青年を見つけて、クラングは嘆息した。たしか数週間前にも食堂でサボっていた彼を見つけた気がする。
 実際、裏でURの任を負う彼にそうほいほいと外回りに出られても非常時に困るわけだが。
(私のほうが随分働き者のようだぞ、少佐)
 内心でブルーメンにそう告げてから、ジィルバの肩を揺する。
「起きろ、ジィルバ」
 秀麗な眉がぎゅっとしかめられる。
「……うるさいな。クラング、何の用だ」
 のろのろと上半身を起こしながらジィルバが、片目で男を睨む。
「ああ、寝起きの君は最悪だな」
 眩暈を堪える真似をして見せてから、クラングは不機嫌そうなジィルバの頭を書類で叩いた。
「私の頭脳に感謝したまえ。君の願いをかなえてやろう」
 単純で傲慢な台詞だが、ジィルバの興味を引くには十分だった。顔を上げて、銀の双眸を細める。
「……何?」
 クラングはジィルバの横に腰を下ろすと、書類をベッドに広げた。それを訝しげに見下ろすジィルバに、クラングは夕食の話でもするかのように軽い口調で告げた。
「まず、君を大尉に昇級させる」