薔薇の下 13

「あの……そういえば、ジィルバさん、足はもう大丈夫なんですか?」
 二人で歩道をとぼとぼと歩きながら、リヒトはジィルバにそう尋ねた。
「ああ、おかげさまでな。術後良好だそうだ」
 振り返らずに答える男を見上げて、呟く。
「……大佐さんはジィルバさんが好きなんですね」
 足に怪我を負ったジィルバを軍へ運ぶ彼の背中をずっと見ていた。自責の渦が、リヒトには見えた。
(彼は……本当は、ジィルバさんに天使殺しなんかさせたくなかったんだ……)
 それはクラングを見ずとも、ジィルバを見ればすぐに分かることだ。彼には天使殺しは辛すぎる。
 断罪の天使に弾丸を撃ち込んだ彼の顔を、リヒトは忘れられそうになかった。
「……別に。クラングは俺が好きなんじゃない」
 静かな言葉が響いて、リヒトははっと目を見開いた。振り仰ぐが、やはり彼はこちらを見ていない。
「そんなこと……」
 ないですよ、と告げる前にジィルバは首を振った。
「クラングの話は終わりだ」
 リヒトは目を細めた。ジィルバの感情の揺れが伝わってくる。
 彼らは互いを信頼しながら、それでも互いを疑っているようだった。いつかどちらからか、決別の申し出があるのではないかと、恐れている。
(どうして……一緒に戦ってきた人間同士なのに……仲間なのに……)
 ふいにジィルバが足を止めた。リヒトもそれにあわせて止まる。
 ずっと考え事をしていたせいで気づかなかったが、辺りは随分と騒がしかった。ざわざわと聞き取れない雑音の群れに混じって、笑い声も響いてくる。
「ここ……、何ですか?」
 思わず、リヒトはそう尋ねた。
 白くて大きな門が自分の前にそびえている。門の中には人が溢れ、派手な格好をした女性が彼らを導いているようだった。
「『リフリーダムグラウンド』……俗に言う遊園地だ」
「りふ? ゆーえんち?」
 聞きなれない単語を並べられて、リヒトは首を傾げる。だが、ジィルバはそれに答えることなく、少年の手を引くと入場門へと足を向けた。

 ”WELCOME RFG!!”――そう書かれたパンフレットを握り締めて、リヒトは広場に立ち尽くした。人の波もさることながら、そこは今まで見た中で一番奇抜な「別世界」であった。
 敷地内を囲むように、上下にうねり、また円を描いている謎の道。遠くでゆっくりとまわり続けている巨大な円。その円周上にぶら下がっている箱はなんだろうか。いかにも人工的な岩山や、華麗な館も気になる。
「……ジィルバさん、ここはどこなんですか?」
 呆然と呟く。
「だから遊園地だと言っただろう。まあ、テーマパークと言ってもいい。……天使時代には存在しなかった世界だ」
 答えて、ジィルバは園内を見渡した。やはり親子連れが多く目に付く。誰もが親に手を引かれながら、遊具を目指している。
「……俺はああいうのには興味がないんだが、遊びたいなら遊んで来い。その券があれば、どれにでも乗れる」
「遊ぶって? 遊ぶところなんですか? ここは?」
 ジィルバは歩き出しながら、自分の分のパンフレットを振って見せた。
「『ようこそ。ここは自由の国。特大級のスリルと興奮が君を待っている』」
 リヒトは青年を追いかけながら、パンフレットを捲るとそこに描かれた地図を見た。細かく紹介されているのは遊具かレストラン、土産屋、そして休憩施設だ。これらすべてが本当にこの地に収められているのか。
「ジィルバさん、待ってください。ここは本当に遊ぶための施設なんですか?」
「ああ。天使が禁じた娯楽施設のひとつだ」
 リヒトは目を見開いた。
 立ち止まって辺りを見回す。視界に飛び込んでくるのはどれも笑顔だ。
(こんなに楽しそうなのに……?)
 しばらくそうしたあと、リヒトはジィルバがさっさと歩いていってしまっていることに気づいて、慌てて彼を追いかけた。
「ジィルバさんっ」
「なんだ? 遊んでこないのか?」
 追いついてきた少年を見下ろして、ジィルバは不思議そうに尋ねる。
(自分こそ遊ばないくせに……)
 子どもは遊びたいものだと思っているのだろうか。リヒトは唇を尖らせた。
「そんなことより、どうして僕をこんなところに連れてきたんですか?」
 問うと、ジィルバはまた歩き出した。歩を進めながら口を開く。
「お前は施設の外に出たことがないと言っていただろう? だから、天使時代を終わらせて人間が手に入れたもののひとつを見せてやろうと思ってな」
 そんなことを考えてくれていたのか、リヒトの胸に喜びが湧いた。足早に彼を追う。
「あの、それでジィルバさんはどこに行くんですか? ずっと真っ直ぐに歩いてますけど」
 何か目的地があるに違いないとは思うのだが、ジィルバは無言で進む。
 なびく銀の髪を見上げながら、リヒトは黙ってついていこうと思った。
 人の列を避け、店の横を通り過ぎ、だんだんと静かなほうへと向かっていく。見かける客も子どもから大人や老人達へと変わっていった。
 そしてやがて、ジィルバが目指していたものはきっとこれだと思わせるものが見えてきた。
 広がる赤。黄や白も混じって彩られた一角。目にも鮮やかなそれはチューリップの花園であった。
「わ……すごい……」
 感嘆の声を漏らす少年の横で、ジィルバも眩しそうに目を細める。
 風に揺れる可憐な花を見つめながら、しかし、リヒトは眉を寄せた。
「あ……、あれ? チューリップって春の花ですよね?」
 この場の「間違い」に気づいて首を傾げる少年に、ジィルバは眉を下げて頷いて見せた。
「ああ、そうだ。外に出てないと言うわりによく知っているじゃないか」
 寒空の下に広がる太陽のような花々。――不釣合いである。
「これは人間が品種改良を重ねて作り上げた冬のチューリップだ」
「……品種改良……」
 繰り返す少年天使を見てから、ジィルバは近くのベンチに腰を下ろした。
「……人間を愚かだと思うか? この花は禁忌だろうか?」
 神の創った姿を変える技。人間達はそうして求める形のものを手に入れてきた。
 リヒトはチューリップの群れを見つめた。優美な曲線を描く瑞々しい花びらは神秘的にも見える。
「禁忌かどうか、……僕には分かりません」
 振り返って、肩をすくめる。
「例え禁忌なのだとするなら、この花を綺麗だって思っちゃう僕はダメな天使なのかもしれませんね」
 微苦笑は切ない。
「……そうか……」
 ジィルバはうつむいて、自分の足元を見下ろした。
 鳩が一羽、うろうろしていた。紫と緑とが不思議に混じり合った灰色の羽を無意識に注視する。
「……あ、鳩……」
 少年の声に顔を上げると、リヒトはジィルバが見ていたのとは違う鳩を見ていた。空を飛ぶそれに手を伸ばす。
「おいで」
 澄んだ声は空へと舞い上がり、翼を呼ぶ。