一条の銀の光 12

(六……、五)
 十数名いた私兵団の団員は、あと五人を残し、地面の上で伸びている。意識があれば、真夏の地面は熱すぎてさぞ辛い事だっただろう。だが幸いにも、影の精霊は容赦ない攻撃で彼らを気絶させてくれた。
(……ザックが来ない……)
 考え事をしながら、闇音は後ろから剣で切りつけてきた兵士の顔面に拳を見舞った。
(四……)
 魔術は使わない。
 察するに――理由はわからないが――、フレイムは魔力を暴走させている。簡単には収まらないだろう。
 もしものために、魔力は温存しておかなくてはならない。たとえ、神通力には遠く及ばないとしてもだ。
(遅い……。いくら疲労しているからとはいえ、ここまで十分とかからないはず)
 不安が胸の中で大きくなっていく。
(……三)
 いらいらとした動きで闇音は、思いっきり兵の顎を蹴り上げた。若い兵は呻き声をあげる間もなく昏倒する。
 あと三人。
 ――ふと、視界から二人が消えた。
(え?)
 らしくもなく、闇音は呆然と突っ立った。ぼんやりと最後の一人を見やる。
(一……)
 銀の刃が煌き……。
 そして零。
 立っている兵は、もう誰もいない。
 立っているのは黒い髪をした、よく見知った青年だ。
「何ぼけっとしてんだよ」
 ザックは眉をしかめながら、しかし唇の端を持ち上げて言った。
「……いえ……、ただ……。どうしたんです? その格好」
 闇音はずっと、黒い半袖のジャケットを羽織った主人を探していたのだ。
 しかし、現れた彼はこの炎天下のもとに大きな布を纏(まと)っていた。
 ザックは自分の格好を見下ろし、肩をすくめて見せる。
「……返り血が目立って……な。近くの布売りから買った」
 言いながら、ぺろっとめくって見せる。彼の黒いジャケットはその元の色ゆえ分かりにくかったが、たしかに赤い血に汚れていた。
 血まみれの男に売買を迫られたとしたら、その商人はさぞや驚いた事だろう。
「一体……」
 闇音は彼に近づき眉を寄せた。さっき別れたときにはこんな汚れはなかったはずである。
「あの後、ガンズが起きた」
 ザックはあっさりと返答した。
 影の精霊の眉がつり上がる。青年は苦笑した。
「慌てて剣を振ったら、奴の肩をばっさり」
 そう言って左手で右肩を切る仕草をしてみせる。
「殺してはいないが……、思ったより酷かった」
 だからなのか。青年の顔色が悪いのは。
 確かにザックの剣技は卓越している。だが、返り血を浴びるほどの怪我を他人に負わせたのは初めての事だったのだろう。
「……大丈夫ですか?」
 闇音はそっと主人の頬に触れた。
 静かに睫毛が伏せられる。長い睫毛。闇音は再び緑を刷いた黒い瞳が現れるのを待った。
「……ああ」
 低い声が漏らされる。
 やがてゆっくりと瞼を持ち上げて、ザックは目を眇めた。
 闇音は表情には出さずに、内心自分を罵った。残るべきだったのだ。
 傷ついている彼など、見たくはないのに。
「フレイムは? ……グィンが?」
 続けてザックはそう尋ねた。  闇音がザックには見えないであろう魔力の吹き出す部屋の窓を見上げる。
「あそこです。……ですが、危険な状態です」
「何……?」
「……魔力が暴走しています。グィンには……、私にも止められるかどうか……」
 闇音はうつむいて小さく首を振った。
 上手く理解できずザックが眉を寄せる。
「魔力が暴走して? 止められないとどうなるんだ?」
 闇音は表情を曇らせた。
 その様子を見るなり、ザックが地面を蹴って駆け出す。
「ザック!!」
 影の精霊の制止は届かず、青年の姿が宿の中に消える。
 闇音はすぐに後を追って駆け出した。

(なんだ? これ……)
 闇音が目線で示した部屋のドアノブに手を掛けた瞬間、ザックは反射的に手を引いた。
 ぴりりと電流の流れるような感覚。
(魔力の暴走とやらのせいか?)
 きっと口を引き結び、もう一度、今度はしっかりとドアノブを握る。力を込めて、扉を押し開く。
「……うっ」
 思わずザックは口を押さえてうめいた。
(……気持ち悪い)
 体中、圧迫されるような感覚。腹の中味がせり上がってくるようだ。
 それがこの部屋に満ちた魔力のせいだとは、ザックには分からない。
(一体なんだってんだ? くそっ)
 頭を振り、顔を上げる。
「フレイム!」
 少年が窓際に立っている。足は確かに地面についているが、その姿は重力を感じさせない。まるで何かが彼の体を持ち上げているかのようだ。
 ザックの声に金髪の魔術師が振り返る。
「ザック……」
 その瞳は疲れたような色を浮かべている。
「なんだ、やっぱりガンズを倒せたんだ……」
 独り言の様に呟く。
 ザックは怪訝に眉を寄せながらも、彼らに近づいた。
 近くで見ると、フレイムの姿は陽炎の中にでもいるかのようにはっきりしなかった。
「これって、やっぱり魔力が暴走してるのか?」
 セルクの傍らに歩み、尋ねかける。セルクは頷いて見せた。
「君があんまり遅いからだよ……。この子を不安が食いつぶしたんだ」
 辛そうにうつむいて続ける。
「こんなの止められるわけがない」
 その手の平には、気を失ったグィンがあった。
「おい、グィンは……」
「止めようとしたんだ。下級精霊のくせに……。馬鹿だ」
 抑揚なくセルクはそう告げた。
「……もし、止められると仮定するなら。方法は?」
 ザックは静かにそう尋ねた。
 金髪の青年は瞳を大きくしてザックを見上げた。
「僕の話、聞いてなかったの? 止められないよ」
「方法は?」
 意志の強い黒い瞳。セルクは呆れたように首を振った。
(馬鹿ばっかり。僕には理解できないよ)
 やがてゆっくりと嘆息する。
「あるとするなら? それは二つだ」
 指を二本立てて見せたセルクに、ザックは目で続きを促した。
「ひとつはあの子の暴走する魔力と同等の力をぶつける。相殺させるんだ。でもこれは無理。神通力に匹敵するものは、神通力以外ない。そしてここには神通力を持つ者はフレイム以外にいない」
 黒髪の剣士が歯がゆそうに顔を歪ませる。
「もうひとつは……、これも無理だと思うけど……。フレイムを正気に戻す事だ。でも、どうやって? 魔力の壁があって、彼には触れられないし、声も届かない」
 セルクは嘲けるように言った。
 しかし、ザックはじっとフレイムを見つめた。
「あいつを……、元に戻せばいいんだな?」
 そう言って、一歩踏み出す。
「馬鹿! 無理だ!!」
 セルクが叫んだとき、ザックの手が魔力の壁に触れた。