フレイムは部屋のほぼ真中に設置されていたソファに腰掛けた。向かいの窓際にセルクが歩み寄る。
「ザックは助けに来ると思うかい?」
振り返りながら、緑の双眸を細める。フレイムは彼に目をやるだけで、すぐまたテーブルに視線を戻した。セルクは口元に小さく笑みを浮かべる。
「まあ、確実に来るだろうね。自分の足でか、ガンズに連れられてかは、分からないけど」
フレイムは脚の上で手を組み、押し黙った。
セルクが窓を開け放つ。外界の熱気が吸い込まれるように流れ込んでくる。
「ああ、寒かった。僕、魔術で作った冷気って苦手なんだよね。しばらく、窓を開けておきたいんだけど、いいかい?」
まるで友人同士であるかのように話し掛けてくるセルクの方を見やり、フレイムは陽光に眩しそうに目を細めた。
「……好きなようにしたら?」
素っ気無い答えだったが、セルクは満足そうに笑みをつくった。フレイムの向かいに腰を下ろすと、すらりと細長い足を組み、しなやかの手つきで髪を掻き上げる。
開けられた窓の辺りから、肌を撫でるような熱気がのろのろと部屋を満たしつつある。
「暇だねえ。話でもしようか」
しばらくの沈黙の後、セルクはそう言い出した。フレイムは何も言わず、魔術師の優美な顔を見詰める。
「ボクは興味ある事にはとことん執着する性質だ。今のところ、その対象は君とザックだね」
セルクは手の平に小さな魔術陣を描くと、そこに一方の手を突っ込み、薔薇の蕾を引き出した。淡いピンクのその蕾は、ゆっくりと花開く。そしてみるみるうちにしおれ、枯れた。
その様子をフレイムはじっと見つめた。おもむろにセルクが口を開く。
「僕がこの世で最も執着しているのは、僕の命さ」
フレイムは怪訝そうに眉を寄せ、続きを待った。
「……そろそろ、潮時じゃないのかと思うわけだ」
枯れた花が握り潰される。セルクの白い指の間から、さらさらと、塵がこぼれた。
「ザックも、ずいぶん腕を上げてきたし。君には到底敵わない。ねえ?」
「つまり、何が言いたいわけ?」
フレイムがもったいぶったセルクの物言いに口を挟む。セルクは緑の双眸を悪戯っぽく輝かせた。
「今回限り、この仕事から離れる」
フレイムは目を見張った。
「ザックは来るよ。ガンズを倒してね」
セルクはおおよそ、ガンズの部下としてふさわしくない台詞を口にした。
「……どういう事?」
ゆっくりと、慎重にフレイムは言葉を紡いだ。セルクは片眉を上げる。
「なんだい? 君はザックが負けるとでも思ってるの?」
「……そうじゃないけど……。そうじゃなくて、俺が聞きたいことは、どうして仕事を止めるのかって事だよ。儲かるんじゃないの? こういう仕事って」
フレイムはしどろもどろに、美貌の魔術師にたずねた。
「まあ、儲かるけど。死人は金を使えないって、君知っているかい?」
至極当たり前の言葉にフレイムはたじろいだ。セルクは相手の答えを待たずに続ける。
「命があってのなんとやらってね。僕は今回、こうして君と話す機会をもうけれただけでも、満足なんだよ」
そう言って、優雅に笑うセルクを、フレイムはただ見つめた。
「鬼ごっこは終わりだ」
息を切らしながら、しかしガンズは愉快そうにそう言った。
壁を背にしたザックもまた唇の端を吊り上げる。
人々の波を抜けた二人は、今は誰も見当たらない路地に辿り着いていた。地面はくすんだ石造り。ザックの背後は日に焼けたレンガの壁である。
横に目をやると、目と鼻の先に、背の高い建物が見える。壁を埋め尽くす、美しいガラスが陽光をまぶしく反射している。いかにも支配階級の人間が陣取っていそうな大きな宿だ。
(――フレイムはあそこか……)
確信するとともに、ザックは静かに腰の剣の柄を握った。
「フレイムを捕まえたんだろ? いまさら、俺に何の用だ?」
ザックは片頬を上げて笑った。ガンズが鼻を鳴らして答える。
「さあな、金持ちの考えることはわからん。とにかくお前を生け捕りにしろって命令だ」
「生け捕り……?」
それはザックの予想していなかった事項であった。
微かに眉を寄せたザックに、ガンズは背の大剣を揺らして見せた。
「どうする? おとなしくするなら、痛い目を見ないですむぞ」
ザックは黙ってガンズの顔を見つめた。
普段なら、ザックはここで捕虜となり、まんまと無傷で宿に入り込むことを選んでいただろう。
しかし彼は、今、目の前にいる男との決着をつける気でいた。
その考えを改めることが出来るほど、ザックは柔軟な頭を今は持っていない。また、その一途な意志を諌(いさ)める人物も彼のそばにいない。
ザックは足元の小石を、靴の側面で蹴った。
「冗談はやめろよ」
笑いさえ含んだ声が漏らされる。
「どっちにしたって、お前は闘いたいんだろう?」
自分にも適用できる意見をザックは述べた。
ガンズが声を上げて笑う。
「ああ、そのとおりだ。最初は依頼主の要望どおりにするつもりだったが」
言いながら、背中の大剣を引き抜き、肩に担ぐ。
「てめえが逃げるから、気が変わった」
「人のせいにするなよ」
口元に笑みを刷き、ザックは腰を落とした。それに応じて、ガンズが大剣を構える。
静かな夏の昼下がり。
しかし穏やかな空気は瞬く間に張り詰める。
二人の男は微動だにしない。
神経が狂ってしまいそうなほどの針の沈黙。
小鳥の影が舞った、一瞬――。
二本の刃が宙を切り裂く。火花が散った刹那の後、金属同士のぶつかる音がけたたましく響いた。
「……くっ!」
すさまじい衝撃が細身の剣から伝わる。
力で勝てないことは先刻承知である。しかし、引けば間違いなく、ガンズの長大な剣はザックの身に達することが出来る。ザックは歯を食いしばって、更に一歩踏み込んだ。
二本の刃が均衡を失って、互いを滑る。
刃の流れに合わせて、腰を落としたザックの頭上をガンズの剣が掠めただけで終わる。
離れた瞬間にはもう、両者とも体勢を立てなおし、再び向き合って構えた。剣を支える腕を汗が流れる。
(……速くなっている)
剣の柄を握り直しながら、ガンズは相手を見つめた。
(この前もそう感じた。し合うたびに体のこなしが速くなっている)
それだけではない。太刀筋も速さを増している。これほど短期間で成長する敵は稀だ。
基礎技術がしっかりしていることは感じていた。だが、ザックの年齢を考えれば、人の下で学んだのはそう長い期間ではないだろう。
(それだけ素質があるということか……。今からでもまともな師の下につけば、より顕著にその頭角を現すだろうに)
惜しいことだと思った自分に、ガンズは苦笑した。その様子にザックが訝しげに眉を寄せる。
(買い被りすぎか……)
軽く首を振り、ガンズはじっと相手を見据えた。
夏の陽光が、二本の刃を美しく輝かせている。その銀の光が閃いたのは、どちらが先だっただろうか。