翠の証 5

 イルタシア国のほぼ中央に位置するホワイトガーデン。人口面でも広さでも国内一の規模をもち、国王イルタス六世の住まう都市、つまり王都である。
 ホワイトガーデン内に居住、滞在している魔術師や剣士など戦闘能力を持つ者達の間では、「それ」はすでに噂になっていた。彼らの集う場所では、ここ二、三日その話題で持ちきりだった。
 このパブも例外ではなく、狭いテーブルに三人の剣士が頭を寄せ合ってある。昼間のため、彼ら以外には店主しかいない。客が集まりだすのは夕暮れからだ。
「ガルバラの剣士、迷彩のガンズが破れたらしい」
「まさか……、ガセじゃないのか?」
「しかし、この男には例の賞金首もついていると言うし……」
 と、そこで彼らの話は止まった。パブの扉が押し開かれ、新しい客が入ってきたのだ。
「……なんだありゃ」
 一人の剣士が呟く。新しい客は彼らの知らない異国の衣裳を身に纏っていた。ボタンのない上着を重ね、だぶついたズボンのようなものを穿いている。その上着が長着、ズボンが袴という民族衣装であることを、剣士たちは知らなかった。
 髪は白くけぶるような薄い茶色。その男はちらりと店内を見回し、店主の方へ向かって歩いた。
「聞きたい事がある」
 男は至って普通の口調で店主に話しかけた。しかし店主は訝しそうに目を細めて、男を見返した。
「あんたどこの国の人間だい? この国にはそんな妙な格好の者はいないし、ましてやそんな…」
 赤い瞳。言おうとして、店主の口は閉ざされた。
 店主の顎を掴んだ男がその血の色の瞳を光らせる。
「聞いているのはこっちだ」
 店主は青褪めて、満足に動かせない首を縦に振った。それを見ると男はあっさりと手を離し、薄い笑みを浮かべた。
「三日前更新された犯罪者リスト……。その中の大物首のことを知りたい」
「それなら、俺たちが知ってるぜ」
 声を上げたのは剣士の一人だった。酔っているのか、顔はほのかに染まっている。横の者が慌てて肘で小突く。しかしかまわず剣士は続けた。
「例の剣士の事だろう?」
 和服の男が剣士の方を振り返る。剣士の口元が笑みの形に歪んだ。
「入ってきたときも思ったが、やっぱり別嬪さんだ……。なあ、こっちで酌でもしてくれたらいくらでも教えてやるぜ」
 すると、男はふわりと微笑んだ。横でおろおろしていた残りの剣士もはっと息を飲む。
 柔らかい日差しを受けて綻ぶ花の笑みだった。


 爽やかな外の風が吹き込んでくる。無残にも足を失ったイスを、和服の男は放り投げた。目の前には剣士が尻餅をついている。
「俺に気安く触るな」
 怒りを含んだ低い声が漏らされた。
 店の半分が吹き飛んでなくなり、店主は泡を吹いて倒れている。残りの剣士もだ。ぽっかりとあいた壁からは灰色の空が見える。
 男は魔術師だった。桁外れの。それはパブの壁を壊すときに、長い呪文を用いなかった事で容易に知れた。魔術師は力が強いほど、その呪文は短くてすむのだ。
 腕を組み、高慢な瞳で剣士を見下す。
「酌してもらうのはこっちだ。だが、おまえらの汚い手で注がれた酒を飲む気はない。そのままでいいから、話せ」
 慣れた命令口調。すっかり酔いの覚めた剣士はがくがくと震えながら頷いた。そして一人の男の名を呟いた。
 反逆者、ザック・オーシャン。

     *   *   *

 翌朝、フレイム達は昨夜同様シギルの手料理を食べた。ザックもふらふらと起き上がり、なんとか食卓についている。
「腹はすいているんだが、……どうも、食べる気が起きない……」
 ザックは疲れた口調でそう言い、目の前に置かれたハムをナイフで突ついた。切るだけは切っているが、どれ一つ口に運ぼうとはしない。ただ、コップの中のミルクだけが減っていく。
「無理する必要はない。……そうだ、粥でも作ってやろうか?」
 シギル自身はすでに食事を終え、食の進まない養子に気を掛けている。
「いや、いいよ。食べたくなったら、一人でパンでも焼いて食べるよ」
 ザックは眉を下げて笑った。
 その横でフレイムは、ぱくぱくと出された食事をたいらげていった。成長期である彼は、今までの食の細さを補うかのようによく食べた。しかし、横に太る気配は今のところない。
「まあ、俺もおまえの年頃は四六時中、腹を空かせてたな……」
 フレイムの食欲に、今ばかりはいくらかうんざりした様子でザックは言った。
「このまま、身長伸びつづけてくれると、うれしいんだけど……」
 最後のパンの一切れを飲みこんで、フレイムは自分の額の前に手をかざした。
「俺を追い越すかどうか、楽しみだな」
 現在、フレイムより十五センチほど、背の高いザックはにやりと笑った。
「追い越された時の悔しがるあなたの顔が、容易に想像できますね」
 闇音は無表情でそう言い、ザックを見やった。ザックは笑って、彼を振り返った。
「ああ、そりゃまあ、悔しいけどな」
 普段なら、毒の一つでも吐くところだが、ザックには今、そんな気力はないらしい。闇音は眉を寄せながらも、主人に笑みを返した。
 グィンはシギルの出したアルムという肌色の果実にかじりついている。周りの話には頓着せず、無心にアルムを貪っている。
 午後からフレイム達は泊めてもらったお礼を兼ね、シギルの畑でドワーフ追いをすることになっている。ドワーフはつくし筑紫ほどの身長の小人族で、畑の作物を引き抜いては自分たちの食料庫へと盗んで行ってしまうのだ。間もなく収穫を向かえる畑から、彼らを追い出してしまうのである。
 もちろんザックは一人留守番を言いつけられたが、彼は外に出たいと言い張った。闇音が叱り飛ばそうとしたが、その前にシギルがあっさりと許可を出してしまった。
 フレイムたちも薄々気付いてはいたが、シギルはどうもザックに甘い。他人の子を預かって育てていたのだから、自分の子のように厳しくできないことも分からないでもない。
 しかしシギルの場合はそうではなく、ザックを溺愛しているように思えた。
 そして昨日からずっと世話になり続けているシギルに対し、さすがの闇音も何も言えなかった。
 結果、畑仕事に手を出さないまでも、ザックは畑の傍の木陰でフレイム達を見ていることになったのである。