二人ははっと叫び声のした方を振り向いた。四本足が土を蹴る音と枝の折れる乾いた音が交錯して響く。兵達が何かに驚き、慌てて両脇に飛びのいた。
フレイムとグィンはあっと声を上げた。
兵たちのよけた向こうに黒髪の青年の姿があった。しかも馬にまたがっている。昼間は徒歩だった青年だ。まさか盗んだのではないかと、思わずそんな考えが頭を過ぎる。
向かい合っていたフレイムとガンズの真横から登場したザックは、顔にかかる小枝をものともせず、全速力の馬の手綱を引いた。対峙していた二人の間を割って、上半身を揺らしながら、鹿毛の馬が足を止める。
「ほら見ろ、闇音。間に合ったじゃないか」
ザックは馬から降りると、自信満々に笑った。その影がおもむろに立ち上がる。
フレイムを始め、その場にいた者全員がその影に注目する。影は黒い服、黒い髪、底の見えない漆黒の双眸を持った人間の姿に変貌した。白い肌が際立って目に付く。
影は長い髪を優雅な仕草で背にやった。その美しい立ち姿に男達は目を奪われた。
「ええ、随分と派手な登場で……」
闇音は周囲の者を感情の表れない瞳で一瞥した。
「……間一髪というところですね」
ザックはご苦労さんと言って馬の尻を叩くと、もと来た方向へと走らせた。フレイムも兵たちも無言でそれを見守る。ガンズは剣を鞘に納めた。馬のひづめの音が遠のくにつれて、場は異常なほどに静まり返っていった。
「よお!」
ザックはフレイムの方を向き、陽気に手を上げた。フレイムはガンズと対峙していた時より動揺していた。上ずった声が口を突く。
「あの、あなた……」
「名前は、昼に教えただろう。ザックだ」
ザックは親指で自分の胸を指す。フレイムは肩をすくめ、しどろもどろに尋ねた。
「あ、あのザックさんは何しに……?」
ザックは片目を細め、怪訝そうに首をひねった。
「お前、俺の事も賞金稼ぎだと疑っているだろう」
懐疑を指摘されフレイムは長い睫毛を震わせる。それを見たザックは、ゆっくり瞬きすると真っ直ぐにフレイムを見据えた。うつむく彼の額を握った拳の関節でコツンと突つく。
「お前の名前を聞きに来たんだ。『ごめんなさい』じゃなくてな」
フレイムははっと顔を上げた。ザックはすでにガンズのほうに振り返っていた。
「賞金稼ぎのガンズだな。こんな所で本物に会えるとは思ってもみなかったな」
ガンズはフレイムとザックのやりとりを黙ってみていたが、やっと自分の方に話しは流れてきた。ふんと鼻を鳴らす。
「俺はお前を知らんな」
ザックは、へへっと笑った。
「そのうち誰でも知るようになるさ」
「十億の賞金首を庇うようなバカならそうなるだろうよ」
侮蔑を投げ、ガンズは剣に手をかけた。ザックも腰を落とし、剣の柄を握る。
闇音がフレイムに囁いた。
「二人が剣を抜いたら、西へ向かって走ってください」
「え?」
フレイムは闇音のほうを向いた。
「大丈夫です。あなたの事は私が援護します」
フレイムは眉を寄せ、闇音の顔を凝視した。美しい精霊はしっかりとうなずいた。
瞬間。研ぎ澄まされた刃同士がぶつかる音が鋭く響いた。
「走ってください!」
闇音がフレイムの肩を押した。戸惑いながらも、言われるまま走り出す。
ガンズがザックと刃を交えたまま叫んだ。
「追え! 逃がすな!」
兵達は慌てて走り出した。ザックが力任せにガンズの剣をさばく。
「何人かは俺の相手をしてくれよ!」
近くの兵の肩をザックの剣が掠める。兵は肩を押さえて倒れた。
ガンズは苦痛にうめく部下を冷めた目で見下ろした。ザックの背に冷やりとしたものが走る。
「少しは、使えるようだな」
剣士の目に獰猛な光が宿る。怪我を負った部下には見向きもせず、剣をゆらりと構える。
(本気を出すのか……)
ザックは剣を握ったまま距離を取った。
「ザックさんは強いんですか?」
フレイムは息を切らしながら、音もなく横を走る闇音に尋ねた。追いかけてきた兵達は闇音が影縛りの呪文でとめてしまった。他人の結界の中では、魔術の効力は弱まるので、またいつ追って来るか分からない。
「まあ、あそこにいた兵達よりは強いでしょうが……、さすがにガンズには勝てないでしょうね」
闇音は同情のない口調で答えた。フレイムが立ち止まる。
「それじゃ、助けに戻らなきゃ……」
闇音が目を細める。はじめて見る闇音の美しい笑みにフレイムは頬を染めた。
「優しい方。でも、大丈夫です。ザックは逃げ足だけは誰よりも速いですから」
脱力しそうな言葉で諭され、フレイムは荒い息をしながら、あっけに取られた。
「さあ、走って。結界を抜けたらザックのいた宿に行きましょう」
闇音がフレイムを促したそのとき、樹上から、人が飛び降りてきた。
短い金髪の青年である。彼は片手を後ろに引き、優雅に一礼した。
「はじめまして、フレイム・ゲヘナ。僕は、セルク・カルセア。一応、今はガンズの部下」
闇音がフレイムをかばって前に出る。セルクは両手を上げて、含み笑った。
「ああ、今、君らをどうこうしようというわけじゃないよ。横取りしてはガンズに叱られてしまうからね」
しかし、影の精の瞳は鋭くセルクを見据えている。
「ふふ、まさか十億の賞金首を捕まえこそすれば、逃がそうとする奴がいるとは思わなかったよ。興味わいちゃったなあ。……今夜は見逃してあげる」
セルクは綺麗な笑顔を見せた。フレイムと闇音は顔を見合わせる。
「あれ? 信用ない? じゃあ、僕はこの場を離れるよ」
おやすみと囁くと、セルクはまた木の上に飛びあがり、木々を揺らしながら去っていった。一体何の為に現れたのか分からない男にフレイムは眉を寄せた。闇音は何も言わずセルクが去っていた方向を睨み据えている。しばらくして、長い睫毛を瞬かせ、口を開いた。
「行きましょう」
闇音がフレイムの手をひく。フレイムは小さくうなずくと、再び走り出した。