蒼穹へ大地の導き 22

 聖なる森を後にし、フレイムはネフェイルの家まで帰ってきた。
 玄関の前にザックが立っている。
「よう、朝からどこに行ってたんだよ?」
 苦笑い気味のその問いは、彼がフレイムを探して回ったことを伝えてくる。
「ああ、ごめん。ちょっとシヤンの森まで……グィンと」
 謝ると、ザックは散歩かと呟いた。それから興味深そうに尋ねてくる。
「聖なる森だろ。どうだったんだ?」
「綺麗なところだったよ」
 フレイムは答えて、首を傾げるようにザックを見上げた。
「シヤニィの巫女様に会ったよ。ザック、この前、街で会ったんだってね?」
「あ、ああ。会ったときは巫女だって知らなかったんだけど……。昨日、そうだってネフェイルに聞いたよ」
 やはり知らなかったのかとフレイムは思った。あの緑髪の女性が巫女だと知っていたなら、ザックはきっとそのことを話題にしていたはずだ。
 フレイムは笑った。
「ザック、もう一つ知ってた? そのとき一緒にいた人、魔法剣士なんだって」
「え!」
 驚きの声を上げる青年にフレイムは頷いてみせる。
「凄く強いって、巫女様のお墨付きみたいだったよ」
「ま、マジか? だって、背は高かったけど、細身で……あれで魔法剣士……?」
 そういえばネフェイルが巫女の護衛だと言っていた。
 ショックを受けている様子のザックに、フレイムはきょとんと目を瞬いた。
「剣士っぽくなかったの?」
「んー。まあ、ガンズみたいなタイプではないな。どっちかって言うとウィルベルトとかそっちのタイプで……」
 思い起こせば、確かに見た目は華奢そうでも、あの眼光は少なからず死線をくぐり抜けて来た者のものだ。
 ついに座り込んで頭を抱える。
「ああー、ちくしょう。知ってたなら、手合わせ願ったのに……」
 魔法剣士――ならば、きっとあの時、やけに目に付いたあのロザリオが魔法剣なのだろう。せっかく魔力の気配に気づけるようになってきたのに、チャンスを逃してザックは落ち込んだ。
 フレイムはザックの横に同じように座って笑った。
「森へ行ってみればいいじゃない。まだここにしばらくいるんだからさ」
 励まされて、ザックは小さく頷いた。それからため息を大きくつくと、立ち上がる。
「ああ、そうだな。でも今日はナキアたちを見送らなきゃいけないし……」
 また今度だな、そう呟いて、ザックは人里から離れたところにある森の方向を見つめる。
 フレイムはザックがその人と剣を交えるときは側で観戦しようと思った。剣の試合はあまり見たことがないけど、きっと面白いだろう。
 ただ、フレイムはその日を近い未来として想像していた。

 遠く遠く延びてしまうとは、この時はまだ全く考えていなかった。

     *     *     *

 朝食をすませた後、ナキアとタグルを見送るべく、フレイムはザックについて出掛けた。もちろん闇音もグィンも一緒だ。
 フレイムたちは賞金首リストに載せられているので、別れはリルコ州の関所よりもいくらか手前で交わすことになった。
「フレイム君、次はたくさんお話したいわ」
 フレイムの手をとって、ナキアはそう笑いかけた。フレイムは眉を下げつつ、笑みを返す。
「ええ、ぜひ」
「いつかザックとグルゼに遊びに来てちょうだい。グルゼ料理をご馳走するわ」
 胸を張ってそう告げるナキアに、ザックは意地の悪い笑みを浮かべる。
「野菜を煮るだけのシチューしか作れない奴が何言ってるんだよ」
 ナキアはむっと唇を尖らせた。
「失礼ね。私だって上達したんだから。ザックが舌を巻くほどの料理を披露して見せるわよ」
 そう言って腕組みをして上目遣いに見上げてくる。くつくつと笑って、ザックは相手の頬を摘んだ。
「じゃあ、俺はお前が頬を落とすような料理を作ってやるよ」
 そしてそのまま頬にかかる髪を指先で撫でる。
 ナキアはその手に縋るように首を傾げて笑んだ。
「……待ってるわ」
「ああ」
 頷いて、振り返って、ザックは皆が黙り込んでいるのに気づいた。自分とナキアのやり取りを反芻し、唇を歪める。
「…………あ、ああ、そういや、帰りにコウシュウに寄ったりするか?」
 強引にタグルのほうを振り返り、ザックはそう尋ねた。タグルははっとして目を瞬く。
「え、うん。ここを出てコウシュウ、シェシェン……って、ああ、そうか。シギルおじさんがいるんだっけ? 寄ってみるよ」
「ああ、よろしく言っといてくれ」
 二人の会話を聞きながら、ナキアが悲しそうな顔をするのをフレイムは見た。その視線に気づき、ナキアがフレイムを見返す。
 じっと見つめたりして失礼だったかと思って視線を逸らすと、ナキアは小さく笑った。フレイムにこそりと話しかける。
「コウシュウで彼、落ち込んだんじゃないかしら?」
 彼、とはもちろんザックのことだろう。フレイムが顔を上げて、肯定するべきか否か迷っていると、ナキアはそのまま言葉を続けた。
「ああ見えて落ち込みやすいところのある男なのよね。……まあ、見てる感じには大丈夫そうだけど」
 ナキアはザックへと視線を移す。
「私、シギルおじさんは好きだけど……だけど……」
 今、ザックは笑っている。
 フレイムはやっと口を開いた。
「ザックは大丈夫ですよ。ナキアさんたちがいたから、大丈夫になったんですよ」
 ナキアは驚いた様子で目を見開いた。
 それからゆっくりと微笑む。
「ありがとう」
 秋風にふわりと黒髪が広がる。ナキアはそれを指先で梳いて、瞳を閉じた。
「本当に……ありがとう」
 養父に置いていかれて、すっかり塞ぎこんでいたザックを立ち上がらせたのは確かに自分だったのかもしれない。ザック自身もそう言っていた。
 だが、彼が養父と再会したとき、側にいたのはこの少年たちだ。彼らがいたからきっと今、ザックは笑っている。
「じゃあ、そろそろ」
 タグルはそう言ってナキアの方を見た。ナキアは頷いて、彼の側に歩み寄る。
「また、会うときまで皆元気でいてね」
 ザックたちそれぞれの顔を順に見つめて、ナキアはそう別れを告げた。
「ああ、お前らもな」
 答えて、ザックは二人と握手を交わした。
 手を振る。
 フレイムも大きく手を振った。
 青空に吸い込まれていく雑踏に、更に消えていく後姿に、いつまでも手を振ったのだった。