蒼穹へ大地の導き 21

 泣きはらした顔を見られて心配されたくないと思ったフレイムは、早朝の森を散歩していた。しかしグィンだけは素早く目を覚まし、彼にくっついてきた。
 とぼとぼと歩きながら、フレイムは過去のことを冷静に考えてみた。
 人身売買の組織、神器に関する専門知識、そして――
(イースタンアートってなんだろう……)
 あの黒い武器のことをアーシアがそう呼んでいた。あの武器がどうやって彼女を殺したのかフレイムには分からなかった。
 ただ破裂音が響いて、気づいたら彼女の胸には穴が開いていたのだ。武器の先端から煙が上がっていたので、何か火を使ったのかとも思う。
「ねえ、グィンはイースタンアートって知ってる?」
 尋ねてくる主人にグィンは眉を下げて首を振った。
「ごめんなさい、分かんない。でもイーストって聖都の向こう側だよね。あっちには行けないって聞いてるけどそれに関係してるのかな?」
 聖都――アルディア。この世で最強にして最高位、その神性極まる姿は人々が崇めてやまないという神器「神翼」を持つ女性が治める国だ。
 遠い地である。だが、いつか行ってみたいと思っている聖地を思い描いて、フレイムは視線を空へと向けた。

     *     *     *

「この森がシヤン?」
 緑濃く茂る森を見てフレイムはグィンに尋ねた。緑の精霊は嬉しさで弾けんばかりの笑顔で頷く。
「そうだよ。凄く綺麗な森でしょ。奥にはもっと綺麗な泉があるんだよ。そこに女神様がいるんだって!」
 そして、早く行こう、と言ってフレイムを引っ張る。フレイムは笑って頷くと常緑の森へと足を踏み入れた。
 森の中は明るく、静謐な空気に満ちていた。森の規模から鬱蒼として光がなくとも不思議ではないのに、太陽の他にも何か光源があるのではないかと思ってしまうほどだ。緑の精霊が最も多く棲息していると言われる場所は確かに「聖なる森」と呼ぶにふさわしい気がした。
「空気が綺麗だね。全然、淀んでない」
 人が暮らす街には少なからず、淀みが存在する。だが、それがここにはない。本当に一つの村がこの中にあるのかとフレイムは疑った。
「シヤニィは森を守る一族だからね。彼らはシヤンを母なる森、泉を神泉として崇めてるんだ」
「へえ」
 不思議な一族だと思いながら、フレイムは進んだ。
 そしてしばらく歩くうちに行く手に人が立っていることに気づく。
(誰?)
 思わず足を止める。
 すると相手はこちらに向かって歩いてきた。逃げると変に思われるだろうかと思うと、フレイムは動けなかった。
(女の人だ)
 緑の長い髪と澄んだ蒼い双眸がグィンを髣髴とさせる。
(緑の精霊?)
「シヤニィの巫女様だ」
 グィンの声にフレイムははっとした。
(巫女?)
 そう言われてから見ると、確かに女性は穏やかな顔立ちで静かな優しさを感じさせる。俗世から遠いところで暮らしているようなそんな清廉さ。
「シヤンの森へようこそ」
 傍までやってきた女性が微笑む。
 美しい声に聞き惚れながら、フレイムは小さく頷いた。
「あ、はい……お邪魔してます」
 おかしな返事をしてしまい、さっと頬を染めると、女性は相好を崩した。
「シヤンは迷える人のために開かれているの。心が落ち着くまでゆっくりしていくといいわ」
 そう告げてから、グィンを見て「あら」と言う。
「あなたはこの前も見たわ」
「え?」
 グィンが驚いたような顔をすると、シヤニィの巫女はくすくすと笑った。
「背の高い黒髪の人と一緒にいたでしょう? あなたはこちらに気づいていなかったようだけど」
「えっと、じゃあ、この前町を歩いてたときかな?」
 グィンが腕を組んで首を傾げると、巫女は頷いた。フレイムを見やる。
「あの時はあの男性の精霊かと思ったけど……そうね、あなたはこの子の精霊ね」
「でもでも巫女様、巫女様は森から出るときは護衛を何人かつけるでしょう? それだったら僕でも気づくと思うんだけど」
 指摘されて巫女は少し驚いたような顔をした。巫女だと名乗っていないのに「巫女様」と呼ばれたからだろう。しかし、巫女は相手が緑の精霊ならばこちらを知っていてもおかしくないと判断したのか、そのことには触れずに小さく笑んだ。
「ええ、そうなのだけど。この前は一人で十人分も働いてくれるような人が一緒だったから」
「へえ、凄く強いの?」
「そう。とても強いの」
 巫女はおかしそうに笑った。
「強いのだけれど、なかなかそれを自覚できない人なの。魔法剣士なんてそれだけで十分に凄いことなのに」
 そしてちょっと困ったようにため息をつく女性に、フレイムは思わず頬を染めた。
(この人……その魔法剣士のことが好きなんだ……)
 魔法剣――精霊を宿し、斬撃に加えて何らかの付加効果を持つ剣だ。剣と魔術が支配するこの世界で圧倒的な強さを誇る武器であり、しかしその扱いの難しさのため、使い手は少数だと言われている。
(確か最強と謳われる魔法剣士がザックの憧れの人だったよね……)
 魔法剣には憧れていたけど、魔術のほうがさっぱりで習得できなかったと残念そうに語る青年のことを思い出し、フレイムは微苦笑を浮かべた。
 身内の魔法剣士よりも光沢のない灰色の髪を持つ少年を見つめて、巫女は静かに口を開いた。
「あなたも重いものを背負っているのね……」
「え……」
 巫女は緑の光に溢れた木々を見上げた。蒼い双眸は少し寂しげだ。
「常軌を逸した能力と言うのは少なからず持ち主の負荷になるわ。けれども生まれながらに背負ったその枷を捨てることはできない……」
 神腕のことを言っているのだと悟り、フレイムは息を呑んだ。だが逃げる気にはなれなかった。彼女は憂えている――神腕の力を、魔法剣士の力を。
「その力から目をそむけて生きることも可能だわ。けれど、あなたたちは向き合う覚悟を決めているのね」
 この目の前の少年も、何も知らずに封印を施された青年も、周りからのプレッシャーに押しつぶされそうだった剣士も……。
 巫女は少しだけ苦しそうな眼差しを見せたが、それはすぐに失せた。
 フレイムに視線を戻し、励ますように微笑む。
「向き合おうと、そう思えるだけの力があって、一緒にいてくれる人がいるのなら、あなたは大丈夫よ」
 脳裏にグィン、ザック、闇音の姿が過ぎる。
 フレイムはゆっくりと頷いた。
「はい」