「さて、ここからどこを目指せばいいんだ?」
ザックは辺りを見回しながらフレイムに尋ねた。
広い街道の向こうには山脈が迫っている。関所を出て一番初めの町は宿場のようだった。宿や馬屋が多く見受けられる。
「えっと、スウェイズなんだけど」
フレイムは鞄から引っ張り出した地図をぱらぱらと捲ってみた。と、その上にグィンが滑り込む。
「もう、スウェイズは僕の出身地シヤンの隣。地図なんか見なくても分かるよー」
「本当に?」
フレイムが尋ねると、グィンは任せてと頷いた。
「でもスウェイズは遠いから、途中で宿を取ることになるかも」
「まあ、それは仕方ないでしょうね。リルコは広いですから」
闇音が同意する。
フレイムは地図をしまいながら空を見上げた。太陽は中天を通り過ぎつつある。精霊たちの言うとおり、今日中にスウェイズに到着するのは難しいだろう。
リルコは広く、自然が多い。つまり魔物も多いと言うことである。野宿をするには相当の準備がいるのだ。確かに今夜は宿を取ることが無難な選択だといえるだろう。
「じゃあ、着くのは明日になるのか?」
ザックが真っ直ぐに続いている街道の先を眺めながら聞いてくる。グィンは首を捻った。
「どうだろう? 頑張り次第じゃない?」
「うーん」
グィンの返答に眉を寄せるザックを、闇音は不思議に思った。
「……どうかしたんですか?」
背後に立った黒い精霊を振り返って、ザックは頭を掻く。
「いや、もう賞金首捕まえて換金、なんて出来ないだろう? そろそろ金を節約しないといけない気がするんだが……」
言いながら、彼は財布の入っている腰の鞄を叩いて見せた。闇音が確かに、と頷く。
「……そうですね。もっと先へ進めば、イルタシアの令状の届かない僻地になるんでしょうが……。今しばらくは役所関連には近づけませんね」
「シィにも少し餞別をもらったけどさ、そんなにもつわけじゃないし……」
「あの、俺、まだいくらか余裕があるよ……。それにネフェイルのところまで行ければ何とかなるよ」
二人の会話に、フレイムが遠慮がちに口を挟む。ザックは少年のほうを振り返った。
「……ネフェイルってのは金持ちなのか?」
「え?」
彼の問いの意味が分からず、フレイムはとりあえず首を振った。
「ネフェイルのところでなら、きっと野宿に足りるだけの備えが出来ると思うけど…」
「……ああ……、なるほど。そういうこと、か」
ザックは苦笑する。
「お前って、野宿好きだよな」
フレイムは再び首を傾げ、それから素直に頷いた。
「うん、夜空とか見上げながら寝るの好きだよ」
地面に寝転んで見上げる満天は、晴れた日には月も星も降ってきそうなほどで、眠る前だというのに胸が躍る。いい夢が見れそうな気がするのだ。
「……まあ、いいけど。天体観測は飽きないもんだしな」
そう言いながら、やはり困ったような笑みを浮かべるザックに、フレイムはまた首を傾げるのだった。
「とりあえず、しばらくは星空を見ながら寝るわけにはいきませんので、先を急ぎましょうか」
闇音が二人のやり取りに微笑を浮かべたまま、街道を指差して促す。
「ああ、それもそうだな」
ザックが頷く。フレイムは自分の精霊のほうを見た。
「じゃあ、グィン、頼むよ」
「うん!」
グィンは張り切った返事をし、一行の先頭に立ったのだった。
そして歩きはじめてだいぶ経った頃。
「……なんか、どんどん人里を離れてる気がするんだが……」
ザックが肩の荷物を抱えなおしながら、そう呻いた。
ちゃんとした道を歩いていることは確かだ。だが、周りにはあまりにも人家が少ない。最後の家を見てからすでに二十分は経った気がする。
「スウェイズは田舎だもん」
グィンはあっさりと答える。ザックは眉根を寄せた。
「それはもう知ってるよ。だから、途中で一泊するんだろ? なのに人里から離れてどうするんだ。宿がないじゃないか」
緑の精霊はぴたりと止まった。
ザックの背後で闇音が小さく苦笑を浮かべる。彼もザックと同意見だったらしい。
フレイムが遠慮がちに自分の精霊に問う。
「グィン、直線方向に進んでた……?」
主人の声に振り返って、グィンはフレイムに飛びついた。
「ごめんなさいぃ」
頭を押し付けて、謝る。フレイムは笑った。
「大丈夫だよ、またちょっと町まで歩けばすむんだから」
失敗は誰にでもあることだ。頭ごなしに責める前に、それまでの努力を評価してやろうとフレイムは思う。
怒るわけでもない主人に、グィンは感涙してさらに彼にしがみつく手に力を込めた。
「じゃあ、戻るか」
ザックが後方を指差しながら、促したそのとき。
ずん、と大気圧が増した気がした。上方から押されるその感覚は、結界が張られたときのものに似ていた。
「何!?」
誰ともなく驚きの声を発する。つい数時間前に賞金稼ぎに襲われたばかりだ。四人の間に緊張が走る。
しかし一行の耳に響いてきたのは、風のような男の声だった。
「戻る必要はない」
その覚えのある声にフレイムは目を見開いた。誰もいないはずの空を見上げる。
「ネフェイル!?」
風の声は構わず続ける。
「そのまま、来なさい」
空に手招きされたような錯覚に陥る。
足元に緑の光が走って、複雑な文様を描いていく。魔術陣だ。そして一瞬の後、緑の光は強さを増し、広い街道の真ん中から四人の影は消えた。
遠くが騒がしい。ああ、ゆっくり寝ていたいのに、どうしてこんなに……。
そう思いながら、少年は目を開けた。陽光が目に染みる。
十四、五歳くらいのその少年は、淡い灰色の髪と紫の瞳を持っており、緑の丘に寝そべっていた。
「……起きたか」
頭上から聞いたことのない声が響いて、少年は驚いて起き上がった。見やると横に背の高い男が立っていた。深い緑の髪が風に揺れている。
「誰?」
「……ネフェイル・ホライゾ」
少年のガラス玉のような瞳に映った自分を見ながら、男は答えた。
知らない男が傍にいることはもちろんだったが、少年はそれ以上に自分が野原で眠っていたことに驚いていた。困惑しながら緑髪の男に問う。
「……あの、なんで俺、こんなところに……」
下敷きにしていた緑の草を手で撫でながら、眠る前のことを思い出そうとする。だが、頭の奥が酷く痛くて、記憶の反芻を妨げた。
顔をしかめる少年を見下ろしながら、ネフェイルは静かに答える。
「思い出すな。今は必要ない」
そして顔を背ける。少年は怪訝に思って、男の目線の先を追った。息を呑む。
村が、赤々と燃え上がっていた。