蒼穹へ大地の導き 5

 イルタシアの誇る剣士団《金獅子》と魔道師団《金鷹》は他国であっても優遇された。特に隣国で国交も良好なガルバラでは。
 この信頼の高さは先人達の実績によるものだが、現団員達がそれに劣らぬ働きをしているのもまた事実である。
 ウィルベルトは検問の衛兵に表に獅子、裏に彼の名が刻まれた金の時計を見せた。
「ウィルベルト・スフォーツハッド様ですね」
「ああ」
 確認する衛兵に頷いてみせる。時計を出したときもそうだったが、しまう動作も滑らかで気品さえ感じられる。背後で見ていたフレイムは思わず嘆息をこぼした。
「金獅子や金鷹には、よっぽどの実績がない限りは、貴族でないと入団できないんだ。だからウィルベルトだって間が抜けているように見えても、間違いなく貴族なんだ」
 そう説明するザックにグィンが腕を組む。
「でも剣師団でしょ? 貴族なんかよりそこらへんのごろつきのほうが腕力があるように見えるけど?」
 目線に浮かんでいる妖精にザックは首を振った。
「おまえさ、剣を使うのは力馬鹿だと思ってるだろう? 魔術ばかりに気を取られてるからそうなるんだ。忘れるなよ。この世界を支配してるのは、魔術と剣だ。魔術に劣らない剣技を持つ者が力を得る世界だ」
 言いながら、ウィルベルトを目線で示す。
「今ある貴族はかつての大戦で実績を上げた奴らだ。つまり、どこの貴族だって魔術か剣の名門だってことさ」
 闇音が頷いて続ける。
「イルタシア王室とて例外ではありません。大戦でイルタシアを率いた魔法剣士こそがイルタス一世なのですから」
 力のある者が世界を治める。フレイムは思わず右腕を押さえた。
 神腕――万の軍に匹敵すると言われる神通力を引き出す媒介。
(そんなの、嘘だ)
 引き出せても操れなければ、一人の兵だって倒せない。操れたとしても、本当に万の軍に通用するはずがない。たった一人でどうにかできるほど、軍はひ弱ではないのだ。
「そちらの四人は……」
 衛兵がこちらに目を向けてきたので、フレイムはぱっと顔を伏せた。ウィルベルトは四人を指し示して答える。
「ああ、私の連れだ。急いでるんだ。検問の時間が惜しいので、このまま通してもらえるか?」
 衛兵はじろじろとこちらを見やる。
「失礼ですが、四人は一般の方のように見えるのですが……。それでは……」
「ああ、お忍びの旅の途中だから。いかにも貴族ですといった格好では宿も取りにくいのでね。彼らは、と言っても二人は精霊だけど、残りの二人はちゃんとした貴族の出だよ」
 そう説明されて、フレイムとザックは思わず顔を引き攣らせた。ウィルベルトは構わず笑顔のまま続ける。
「そちらの黒髪の方はマクスウェル家の御曹司だ。今回、私はこの方の護衛が仕事でね。この方を疑われるようでは、私も侮辱されたと思うしかないのだが……」
 言って、ちらりと衛兵を見つめる。穏やかな青い瞳は、しかし光の具合によっては冷たい深海を思わせることもできた。衛兵はぎくりと体を強張らせると、びしっと敬礼の姿勢をとった。
「スフォーツハッド様、及び他四名、リルコへの通過を許可します」
「ありがとう」
 ウィルベルトは衛兵に微笑むと、ザック達について来いと手で示して歩き出した。四人は慌ててそのあとを追った。
 そうして、関所を無事通過したのであった。

「ったく。俺のどこをどうとって貴族だなんて言うんだよ。フレイムのほうがよっぽどそれらしい顔してるじゃないか」
 関所から出て、ザックはウィルベルトに向かってそう愚痴をこぼした。ウィルベルトは笑う。
「いいじゃないか、向こうは信じたんだし。それにお前だって綺麗に着飾って黙ってれば貴族に見えないこともないさ」
「馬鹿野郎。イルタシアの貴族に黒髪はいねぇだろ」
「ああ、そう言えばそうだったな」
 指摘されて名高い金獅子の剣士はぽんと手を打つ。
「いやー、ここがガルバラでよかったなあ。イルタシアだったら即刻ばれてただろうなあ」
 実はかなり危ない橋を渡ったのではないかと、フレイムは内心で冷や汗を流した。
「どうしようもないオマヌケさんだね」
 グィンもそう思ったのか双眸を細めて呟く。闇音は何も言わなかったが、苦笑を浮かべていた。
「でも、本当に助かったよ。ありがとう」
 ザックがそう言って手を差し出すと、ウィルベルトはそれを握り返した。
「まあ、命の恩人の頼みだしな」
 そう言って片目を閉じてみせる。ザックは眉を下げて笑った。
「うん。それでウィルベルトは本当はどうしてガルバラに来てるんだ?」
 尋ねられると、ウィルベルトは表情を変えて教え子の問いを手で遮った。
 その仕草は「極秘任務だから聞くな」と暗に語っている。黙り込んだザック達にウィルベルトは笑って見せた。
「ちょっとした行楽だよ」
「あ……、ああ、そうか。じゃあ、楽しめるといいな」
 ザックはぎこちなく言葉を返し、手を放した。外国までの旅を「ちょっとした行楽」とは言わないだろう。あいかわらず上手い嘘を言えない師匠にザックは微笑んだ。
「また、いつか会えるといいな」
「……そうだな」
 そう言って、別れを告げる。
 フレイムたちもウィルベルトに礼を言い、四人はまたスウェイズに向けて歩きを再開したのだった。

 遠く小さくなっていく四人を見つめて、ウィルベルトは風に吹かれた前髪をかき上げた。
 その背後に静かに男が歩み寄る。ウィルベルトと同様の白いマント。しかし金の剣は帯びていない。剣師団の候補生である。濃い金髪を持ち、快活そうな瞳は澄んだ水色をしている。二十歳前後であろうその青年は、赤毛の剣士の三歩ほど後ろで足を止めた。
「良いのですか、スフォーツハッド様」
 若い候補生は窺うように首を傾げた。もちろん表情は見えないが、俯(うつむ)く彼がどのような顔をしているのか青年は想像出来るような気がした。
「彼らは反逆罪で賞金のかかっている賞金首でしょう?」
「……ディルム、口外はするな」
「しかし……」
 言い募る後輩を振り返り、ウィルベルトは謝るように笑みを見せた。
「教え子を罪人扱いはしたくない。お前が罪を犯したとしても、私はそう思うだろう」
「私は罪など犯しません。私は高潔なる金獅子の団員となるのですから」
 むっとして言い返すディルムに、ウィルベルトは苦笑する。誇り高いと言うか負けん気が強いと言うか。その気概が一人前になる頃にはこの若者も金の剣を手にしているだろう。
「……そうだな。……そうだ、私とて金獅子の一員だ」
 呟いて金の柄を撫でた。固く冷たい剣と、先ほど握り締めた青年の手を比べる。どちらも彼にとっては捨てることの出来ないものだ。
(二度目はない。『またいつか』会うときは、私はお前を裁く……)
 赤い髪を風に遊ばれるに任せ、目を伏せる。ウィルベルトは純白のマントを翻し、振り向きながら風の狭間で小さく呟いた。
「ザック・オーシャン……二度と会うことがないと良いな……」