一条の銀の光 18

「シェシェンにもお別れかあ」
 グィンがフレイムの頭上で疲れたようなため息をつく。
「そんなに長くはいなかったけどね」
 リュックにせっせと荷物を詰め込みながらフレイムが応じる。
「誰かが不機嫌なせいで、ずいぶんと長く感じましたがね」
 そう繋いだ闇音はどういう手順か、あっという間にザックの荷物の整理を終わらせていた。
「ほんと。しかもいつのまにか機嫌直ってるし」
「たくさん寝たし、もう早起きする必要がなくなったからだよ」
「あれ? フレイム、原因知ってるの?」
 うつぶせていたグィンがそのままの姿勢で滑り降り、浮いて主人の顔を覗きこむ。
「聞いてもザック教えてくれなかったよ?」
「え……」
 ふと、「その時」のザックの顔が浮かぶ。らしくもなく赤面していた。
「さあ? なんとなく」
「なんとなくー?」
 グィンが納得いかないように唇を尖らせている。その向こうで闇音が笑っているのが見えたが、フレイムは知らない振りを通した。

「じゃあ、行くか!」
 雪の店の前。荷物を抱えてはりきった声を上げたザックの後頭部に闇音が手刀を軽く入れる。
「病み上がりが何を仕切ってるんですか」
 叩かれた頭を押さえ、じと目で自分を見る主人から荷物を取り上げる。それから替わりにフレイムを先頭に押し出した。
「どうぞ、フレイム様が仕切ってよろしいのですよ」
「わーい、フレイムがリーダーだ!」
 グィンが勝手に喜ぶが、フレイムは困惑するばかりだった。
「え? え?」
「フレイム、俺はいつでも代わってやるからな。リーダーの責任に耐えられなくなったら言ってくれ」
 しみじみと頷くザックに、フレイムは唇を尖らせる。
「なんでそんなノリいいのさ。というか、今までリーダーとか決めてなかっただろー」
 こぶしを振ってそう訴えていると、背後から笑い声が聞こえてきた。
「愉快な人たちねえ」
 雪が笑いながら、暁と一緒にこちらに寄ってくる。
「フレイムくん、帽子はそれでよかった?」
「あ、はい」
 フレイムは昨日雪から買った白い帽子を手で押さえた。
「プレゼントでいいって言ったのに、どうしてもお金払うって言うんだもの」
 雪は困ったような嬉しいような顔でため息をついた。
「払わせてやってくれよ。まだガキだっつっても男なんだよ」
 ザックが笑いながらフレイムの頭をポンポンと叩く。フレイムは頬を紅潮させてザックを睨んだ。
「だってあんなにお世話になったのに。帽子まで貰っちゃうわけにはいかないよ」
「そりゃそうだ。あんたも治療費はとらなくていいのか?」
 ザックは片目を伏せて、暁を見やった。暁はにこりと微笑んでみせた。
「払ってもらっても構いませんが、高いですよ? 僕はこれでも上級医ですから」
「へえ、いくら?」
「十億フェル」
 抑揚のない声で告げられた金額にフレイムがびくりと肩を跳ねさせる。グィンはその肩にしがみついた。腰の剣を揺らし、ザックは視線を険し、闇音も静かに荷物を抱えなおす。
 しかし暁の笑顔は揺るがなかった。雪だけが目をぱちくりさせている。
「そういうことです。僕はすぐ分かりました。この世はお人好しばかりではありませんよ。のんびりした旅も、……素敵ですがね」
「それって警告?」
 穏やかでない口調でザックが尋ねる。
「激励です」
 そう言って暁は大きく微笑んだ。雪を除く四人が揃って気圧されたような表情になる。
「特にザックさん。僕の治療を無駄にしたら、その時は怒りますからね」
 しばらくしてザックは頷いた。にっと笑みを浮かべる。
「肝に命じておくよ。そんな大金も払えないしな」
「払ってもらうような日がきては困りますよ。ねえ、フレイムくん?」
 話を振られ、フレイムはただ頷いてみせた。その顔はわずかに衝撃の後が残っている。それを見てザックが帽子の上からぐしゃぐしゃと頭を撫でる。
「なんだか私だけ蚊帳の外だわ」
 雪がわざとらしく頬を膨らませた。暁が慌てたように手を振る。
「別に話から追い出したわけじゃないよ。僕なりの見送りだったんだ」
 雪はちらりと横目で恋人を見やり、フレイムたちに向き直った。
「私には激励の意味はわからなかったけど。この人温厚そうに見えて腹黒いところもあるから、嫌味な激励だったんでしょ? ごめんなさいね」
「ああ、まったくだ」
 ザックが冗談めいた仕種で肩をすくめてみせる。フレイムは小さく微笑んだ。
 雪も微笑み返す。それから彼女はフレイムの肩に手を置いた。
「また、来てね」
 フレイムは笑顔のまま頷いた。
「必ず」
 それから雪はザックの方を見た。
「暁がいなかったらあなたにアタックしてたわ」
「それは残念」
 ぎょっとする暁をよそに、ザックが嘆息する。雪は笑ってザックの頬に触れた。
「フレイムくんは可愛かったけど、あなたは美人ね。次はあなたで遊んでもいい?」
 うっとりとした口調で尋ねられ、思わずザックの笑みが引き攣(つ)る。
「それはおもしろい試みだと思いますよ」
 後ろから闇音が声を掛ける。
「ばっ! 何言ってんだお前!」
 ザックが噛みつかんばかりの勢いで闇音を振りかえる。その横でグィンが笑った。
「別にいいじゃん。いい思い出になるんじゃない?」
「なるか!! フレイム! このバカ精霊どもになんか言ってやれ!」
 びっとグィンたちを指差してザックがフレイムに叫ぶ。フレイムはきょとんとしていたが、やがてにっこりと笑みをつくった。
「大丈夫だよ、ザック。雪さんお化粧上手だから」
 裏切りの言葉にザックが絶句する。
「満場一致ってヤツですかねぇ」
 暁がしみじみと頷く。雪がザックの手を捕らえて、目を輝かせて見上げる。
「ザックさんには黒いドレスが似合うと思うの」
 フレイムは愛らしい桜色だった。思い出して、ザックは青褪めた。
「やはりもう一泊しましょうか」
「いいかも」
 闇音が提案し、フレイムが頷く。
「……お、ま、え、ら、な〜」
 ザックはきっ、と彼らを睨みつけると低い声で唸った。
「あ、怒った」
 グィンが何処か懐かしいものを見たような声を上げる。
「これはいけません。ささ、フレイム様逃げましょう」
 闇音が言いながらフレイムの背を押す。そのままフレイムは駆け出した。グィンが楽しそうな悲鳴を上げ、並んで飛び出す。
「逃げるのか? 逃げるんだな?」
 ザックが薄ら笑みを浮かべて組んだ手を鳴らす。
「しばらく寝てばかりだったからな。いい運動だな」
 そう言って彼らを追って駆け出そうとする青年の襟首を暁が掴む。ぐっと首が絞まり、ザックはその場で咳込んだ。
「っ離せよ! 逃げられるだろ」
「まだダメですよ。傷口が開きます」
 ザックが眉をしかめる。それに対して、暁は首を振っただけだった。
 フレイムたちが笑ってこちらを振り返りながら駆けて行く。
「くっそお〜」
 ザックは硬い靴の裏で思いっきり石畳を踏み鳴らした。
「お前ら、歩いて逃げろ!!」
 その怒声に続いて、高らかな笑い声が眩しい青空に明るく響いた。