赤き魔女の封印 23

 応接室をひとつ借り切って、アーネストとザークフォードは沈黙していた。センターテーブルの上には、二つのティーカップ。紅い液面に花瓶の花を映している。
 ――どういうことだろうか。
 アーネストはじっと紅茶に浮かぶ白い花を見つめた。
 なぜ、ザックはあの場に現れたのだろうか。なぜ、王妃が彼を従えているのだろうか。考えても思考はまとまらず、宙を回って霧散するばかりだった。
 どれほどの時間が経ったのか分からなくなった頃、ザークフォードが口を開いた。
「マクスウェル殿、あれは」
 話しかけても微動だにしないアーネストを前に、それでもザークフォードは続けた。その思考を断つことで、アーネストが我に戻るのではないかと思ったのだ。
「操作系の魔術だろうか? ジオルドには彼自身の意思がないように見えた」
 王妃の横に立つ彼の暗く沈んだ双眸は誰をも見ていなかった。
「操作……」
 顔こそ上げないものの、アーネストがやっと口を開く。
「それは……誰がやったことなのでしょうか?」
 彼の脳裏に広間での光景が鮮明に蘇り始めた。
 金鷹、金獅子の団長はザックの登場に驚いていた。操作系の魔術は容易くはない。王は元金獅子。剣術を本分とする彼はそのような魔術は使えないだろう。ならば――。
 翠の双眸は瞠目したまま、一つの疑惑に辿り着いた。ザークフォードはそれを察する。
「それは危険な憶測だ。まだ口にしてはいけない」
 厳しい口調でたしなめられて、アーネストは顔を上げた。
「そう……ですね」
 肩を落として、息をつく。
「大丈夫か?」
「大丈夫です。すみません。……さすがに、驚きました」
「私もだよ」
 ザークフォードは同意して肩をすくめた。
 まさかザックが王妃に従うことになるとは想像もしていなかった。彼らは“ザックはフレイムをおびき寄せるための餌として捕らわれた”のだと考えていたのだ。
「やっかいなことになった」
「様子を見るべきか、まずはそこからですね。焦りは失敗への近道ですが、だからと言って待つことに徹するわけにも行きません」
 いつものように語り始めたアーネストに、ザークフォードは笑みを浮かべた。状況がなんら好転したわけではないが、この冷静な態度には頼りがいを感じる。
「一度、屋敷に戻ってフレイム君に伝えようか」
「そうですね」
 そう言って二人は立ち上がる。扉へと向かうザークフォードにアーネストが声を掛けた。
「フェルビッツ殿」
 呼びかけて、相手が振り向くのを待って告げる。
「人の意思を曲げる行為を、私は許しません」
 その言葉にザークフォードも無言で頷いた。

 金獅子団長イルフォード、彼の心境もまた穏やかではなかった。足早に執務室まで戻ってきた彼は、机の前で立ち止まった。
 ――予想はしていたことだ。
 イルフォードは王妃の様子がおかしいことには気づいていたし、逆に王はまっとうすぎるくらいまっとうであることも知っていた。
(ただ、だからこそ)
 ザック・オーシャンに何かあったとしても、それが公に知れ渡ることはまずないだろうと踏んでいたのだ。王が堤防になるだろう、どうしようもできなくなれば自分への相談もあるだろう、そう考えていたのである。
(何かあったのか、エイルバート……)
 眉根を寄せ、どかりと椅子に腰を下ろす。そうしてやっと、真っ先に声を上げるはずの副団長が沈黙を守っていることに気づいた。深海の双眸はじっと床を見つめている。
 その背後で所在なく立ち尽くしている部下たちに、イルフォードは手振りで部屋から出るように指示する。皆、当然のように下がり、副団長だけがその場に残った。
「ウィルベルト」
 呼びかけると、意外なことに、すぐに顔を上げた。
「何か?」
「……副団長に問う。先ほどの者は金獅子の団員としてふさわしいだろうか」
 ウィルベルトは首をかしげる。
「試験を行えば、分かることでは?」
 その返事にイルフォードは片眉を上げた。さらに問う。
「急なことだが、試験は通常のものでよいだろうか?」
「そうですね。いかんせん、人となりは一目で分かるものではありませんし、筆記試験、実技試験の後、王が出発するまでの間を試用期間とするのが良いかと」
 らしくないほど、淀みなく答える。
「ふむ。通常は候補生の間にその人柄を見るものだからな」
「そうです。そして、出発前日にでも合否を下してはいかがでしょうか」
 そこまで言って、ウィルベルトは机を叩いた。
「って、馬鹿か! 誰が認めるか!」
 突然の怒号にさすがのイルフォードも目を見開く。
「どう見ても操作魔術ではないか。神の華だかなんだか知らんが」
「おい」
 反逆罪の次は侮辱罪か、たまらず声を掛ける。ウィルベルトは皆までは言わず言葉を切った。
 溜息を零して、イルフォードは腕を組む。
「この件、どう思う?」
 問いかけに、ウィルベルトは双眸を細めた。普段は穏やかな彼が不愉快げな表情を見せるのは、相当に悪い予感を覚えさせる。
 イルフォードは水色の瞳でその顔を見つめた。柔らかな雰囲気を失った、冷たいだけの端正な顔。海の青はなお深く、揺らめいて一つの感情を覗かせる。
「私を怒らせた」