翠の証 22

 フレイムが帰ると、ザックは荷物の整理をしているところだった。ベッドの上に服や本が広げてある。少年に気づき、彼は顔を上げた。
「おかえり。どこに行ってたんだ?」
「えっと……、散歩」
 飛竜に会ったということはなんとなく隠したほうがいい気がした。怒ったりすることはないだろうが、いい顔はしないだろう。
「それでね、ネフェイルのことなんだけど」
「ああ、リルコの魔術師か」
 頷きながら、そばに出していた服を詰め込んで、ザックは鞄のふたを閉めた。
「リルコのスウェイズにいるらしいんだ」
「スウェイズ!?」
 驚きの声を上げたのはグィンだった。
「シヤンの隣じゃん!」
「うん、そうだけど……?」
 何に驚いているのか分からず目を瞬いているフレイムに、グィンは興奮した口調で続けた。
「シヤンは僕の生まれたところなんだ!」
 えっ、と三人がそれぞれ違う声で驚く。
 グィンはフレイムの傍まで飛んで近づいた。
「シヤンに寄れるかな?」
「え、えっと……」
 突然のことにフレイムはすぐに思考をまとめることができなかった。それを見て、ザックが笑う。
「いいんじゃねぇの? すぐ近くなんだろ?」
 グィンが嬉しそうにこくこくと頷く。
 ザックの横で、闇音はグィンに感心した様子で呟いた。
「自分の出身地を覚えてるんですね」
「なんだ? お前は知らないのか?」
 ザックが首をひねって見上げる。闇音は軽く肩をすくめた。
「漠然となら分かりますが……。正直、気づいたらそこにいたというだけで、どれくらい彷徨っていたのかは分からないんです。影の精霊や風の精霊はそんなものなんですよ」
「……そういや、誕生日も分からないって言ってたっけ」
「ええ」
 答える闇音を見上げて、ザックは頬杖をついた。
(だよなあ。誕生日プレゼントとかどうすりゃいいんだ……?)
 悩む彼には気づかず、フレイムはベッドに腰を下ろした。グィンがその肩に座る。
 正面に座った少年に目をやり、ザックは眉を寄せた。
「おまえ、神腕を使っただろう?」
 思いもしなかった問いにフレイムがぎょっとする。確かにネフェイルを捜すために使った。だが、疲れは休憩しながら帰るうちにだいぶ取れたはずだ。顔色でなければ残留魔力に気づいたのだろうが、魔力に敏感な者ならともかく、ザックに分かるはずがない。
「な、なんで?」
「なんとなく」
 根拠のない回答にフレイムは一瞬かたまり、それからため息をついた。
「ああ、そう……」
 しかし闇音は表情を険しくしてザックを見下ろした。
(……魔力の気配に気づくようになってきている?)
 初めて出会ったときには何も知らない青年だった。だがここ最近、彼は魔力の強い者たちと接触している。魔力がどういったものなのか分かるようになってきたのかもしれない。
(……しかしそれでも、魔術を使ったあとの残留魔力に気づけるはずがない……)
 魔力を持ったことのない者にそこまで知覚することは不可能だろう。
 闇音は目を細めて、頭の中を整理しようと努めた。母が神臓の持ち主だと聞いてから、気になっていることがある。
(なぜ、ザックは魔力を持たない?)
 疑問に思いながらも、自分の感覚を信じようとした。それにフレイムもグィンも、ザックは魔力を持たないと言っているのだから。
 だが、科学的根拠はなくとも、長い歴史が証明した「事実」があった。
 ――血を媒介とした神臓。母がその持ち主であるなら……

 それは必ず子に受け継がれる。

「で、結局使ったのか? 使ってないのか?」
 ザックが再びフレイムに問う。
 その声が耳を打ち、闇音ははっと気がついた。森の中で聞いた言葉が脳裏を過ぎる。
 ――おまえは気がついてないのか?
 そして、魔術によって不自然にえぐられた地面――中央だけを残し、堀のようになっていた。
(気づいてない……何に?)
 今更、答えはひとつしかない気がした。
(……ザックの……魔力、に……?)
 静かに、闇音は深呼吸をしようとした。しかし喉は震えて酸素はいかほども得られなかった。
 フレイムが苦笑しながらザックに答えている。
「使ったけど、何か危険なことがあったわけじゃないよ。言っただろ、ネフェイルの居場所が分かったって。魔術で調べたんだ」
「ああ、それならいいけど……無理はするなよ」
 そう言われてフレイムはふと思い出したように瞬きをした。言葉を探して短く思案する。それからにこりと笑った。
「無茶はしないよ」
 言葉遊びのような返答。だが続きには叱咤を込める。
「それにそれはこっちのセリフ。熱があるのを黙ってたり、病み上がりに飛竜と対峙したり、快復したかと思えばまた倒れたり……無理も無茶もしすぎだよ、ザック」
 思いがけず始まった説教に反論できないのか、ザックが唇を歪める。
「ねぇ、みんな心配してるんだから、少しは甘えてもいいと思うよ?」
「いや……だって、もう子どもじゃないしさ……」
 うつむいてもごもごと言い訳をするザックに、グィンは首を振った。フレイムの肩からぴょんと飛び降り、ザックの目の前で人差し指を突きつける。
「バカだなあ。そりゃ子どもと大人じゃ体力に差はあるだろうけどさ、辛いってのは同じなんだから、甘えていいに決まってるじゃん」
 ザックは困ったように眉を下げ、助けを求めて闇音のほうを仰いだ。すると彼は滅多に見せない最上の微笑みを返してきた。
「ええ、いいんですよ」
 綻ぶ花のような笑みにザックはもちろん、フレイムもグィンも思わず見惚れてしまった。本来ならばそれはザックだけが見ることを許されたものだったのだろうが。
(……私の命に代えても守りますから)
 そのとき、誰も想像していないだろう決意を、闇音は改めて固めたのだった。
 まさか闇音にまで甘えていいなどと言われるとは思ってもおらず、頭を掻きながらザックはぎこちない笑みを浮かべて見せた。引きつるようなあいまいな笑み。
 照れるのを隠そうとしているのだ、そう悟ったのはフレイムだけではないだろう。
「……ああ、うん、まあ……努力はしてみるよ」
 か細い声でそう言って、ザックは顔を隠すようにうつむいた。