独り、だった。
暗い夜、潮騒に独りで怯えていた。青い亡霊に怯えていた。
彼女が現れるまで。
「ナキア……」
自分の呟きで、ザックは目を覚ました。
ぼんやりと視線を動かす。客室のベッドに自分は寝ている。そう悟って、ザックはため息を漏らした。
(そういや、シェシェンでもナキアの夢を見たな。……ま、海に落とされるしょうもない夢だったけど……)
再び目を閉じて、その少女の姿を思い浮かべる。空に跳ね上がるような明るい笑い声。
(って、思い浮かべなくていいって)
自分に突っ込み、上半身を起こす。
「大丈夫ですか?」
声のほうに顔を向けると、ベッドのそばの椅子に闇音が腰掛けていた。だがフレイムもグィンもいない。
「ああ……。俺、どれくらい寝てた?」
「そんなに長くはありませんでしたよ。一時間ちょっとです」
そんなもんか、と呟きザックは頭をかいた。ふと、手を止めると闇音に向き直る。
「……俺、寝言言ってた?」
気まずそうに尋ねてくる主人に闇音は目を細めた。だが隠したところで意味はないだろう。自覚のあるたずね方だ。
「ええ。一言、ナキア、と」
「ああ……忘れてくれ」
呻きながらザックはうんざりとした様子で手を振る。
「……それは結構ですが」
言いながら立ち上がって、ザックのそばに歩み寄る。それから床に片ひざを着くと主人に目線の高さを合わせた。合わせたと言っても、闇音のほうがやや見上げる形になっているが。
「シギル様と何を話したのかは教えてください」
精霊の真摯な眼差しを、ザックは黙って受け止めた。だが、ふいと逸らす。
「だめだ。話す気はない」
強い口調で言うと、闇音はザックの袖を掴んできた。らしくない衝動的な行動に思わず、目を見開く。
「ザック様」
出会ってすぐに禁じた呼び名を口にされ、ザックは顔をしかめた。
「闇音……」
制止しようとする彼を、闇音は首を振って遮った。
「どうして何も話してくれないのですか? いつも独りで背負い込んで、それで私が納得するとお思いですか?」
「闇音……、やめてくれ」
顔を覆う主人になおも詰め寄る。
「私はたとえ苦しみの捌け口として扱われても、それであなたが楽になるのでしたら、それこそ本望なのです」
言い切って、闇音はうつむいた。その肩はかすかだが震えている。
懇願にも似た声に、ザックは胸が痛むのを覚えた。精霊としてではなく、ただの友人として付き合おうとしたのは、人間のほうの驕りだったのだろうか。
(いや……)
たとえ人間でも、友人の苦しみを軽く出来ないのは歯痒いことだろう。
島の友人たちを思い出し、ザックは小さく息をついた。
それからそっと闇音の髪を撫でる。彼ははっとして視線を上げた。
「分かった。悪かったよ」
ほっと安堵の表情を見せる精霊に、ザックは笑みを浮かべた。それから目を閉じて続ける。
「……でもシィと何を話したのかは言えない。人に言っていいようなことじゃないんだ」
眉を寄せる闇音に手を振って、ザックは眉尻を下げた。
「怒るなよ。実は相談したいことはちゃんとあったんだ。そっちを頼むよ」
「……なんですか?」
少しばかり不服そうな顔をしながらも、闇音は納得した様子で聞き返した。
「俺の母親な、神臓を持ってたんだって」
闇音はゆっくりと目を見開いた。黙ってザックの顔を見つめる。
完璧な美しさを誇る精霊の驚愕の表情は、どこかぞっとするものがあった。いたたまれず、ザックは先に口を開いた。
「なんだよ。そんなに驚くことか? フレイムだって神腕を持ってるのに」
「驚きますよ!」
思わず声を荒げた闇音にザックが肩をすくめる。
闇音は落ち着こうと、深呼吸した。
「――いいですか。神通力とはとんでもない力なんですよ。一億に一人が持って生まれるか否かなんです」
声を厳しくしてザックに詰め寄る。
「フレイム様を見て分かるとおり、その力を欲しがる者は国王にすら及ぶんです。神通力が遺伝するという確証はありませんが、実際遺伝している者もいるんです。あなたはまだ賞金首をかばった反逆の罪しか被っていませんが、母親が神臓の持ち主なんて知れたら……」
語尾は虚しく空に消える。闇音は肩を落としてうつむいた。
それは単なる予感。
けれど、身体を震えさせるほどの恐怖。
「……だれにも……誰にも話してはいけません」
押さえた低い声が漏らされる。
「これ以上、危険なことは……、もう……」
闇音は両手で顔を覆った。
自分はザックを、命を懸けて守るつもりでいる。しかし守りきれる保証はない。昨日だって、飛竜(敵)の手にザックは落ちたのだ。
ザックは震える闇音の肩を抱き寄せた。
思えば、ここ連日、自分は周りの負担になってばかりいた。その中でも闇音への負担は特に大きかっただろう。
「……悪かった」
腕に優しく力を込める。
「心配、かけたな」
温かい腕の中で、闇音は首を振った。
「……あなたの意志に、逆らうような事をするつもりはありません。けれど、軽率に身を危険に晒すような真似はしないでください」
「……分かった。心にとめておこう」
ザックは闇音の流れるような黒髪をゆっくりと撫でた。
(――でも、やはり死なないとは約束できない)
フレイムにも言ったことがある。
人はいつ死ぬか分からない。分からないが、いつか死ぬのだ。必ず。
その冷めた概念は、いつもザックの心の奥底にあった。
(だけど……、いや、だからこそ『今』を精一杯生きなきゃならないんだ……)