蒼穹へ大地の導き 24

 フレイムはネフェイルの部屋を訪れた。
 振り返った緑の双眸がひどく懐かしく感じて、フレイムはほっと息をついた。
(大丈夫だ。怖くない)
 これで彼が封じた記憶はすべて取り戻したのだ。
 安堵の表情を浮かべた少年を見て、ネフェイルが口元に笑みを刷く。
「シヤンに行ってきたそうだな。巫女に会ったのか?」
「……うん。励ましてもらったよ」
 緑に輝く森は優しくフレイムを力づけてくれた。
 ネフェイルは椅子に腰掛けたまま、膝の上で手を組んだ。
「それでは、聞こうか――なぜ、強くなりたい?」
 二度目の問いかけ。
 口ごもることなくフレイムは答えた。
「守りたいんだ。大切な人たちを」
 自分の不甲斐なさに泣くのはもう嫌だ。
 力を持つことを怯えてはいけない。それは傷つけるものではなく、守るために必要なものなのだから。
 ネフェイルが頷いて更に問う。
「自分を信じられるか?」
 フレイムはわずかに眉を下げた。
「正直に言うと、まだ自信がないんだ。俺はまだたった十七年しか生きてなくて……自分のこともよく分からない。……でも」
 フレイムは一度言葉を切って深呼吸した。
「俺はこれからも生きていくわけで、こんな俺との付き合いは死ぬまで続くんだ。死ぬ時に後悔がないように、俺は俺の出来得る限りをしておきたい」
 生きていく限り、この長い付き合いは終わらない。
 そんな相手を――自分を、信じなくてどうする。
 右腕に宿る力はきちんと使えれば、たくさんのことが出来るはずだ。グィンやザックや闇音を守れる。そして、それはナキアやタグルたちの笑顔にも繋がるだろう。
 すべては失われたと絶望したあの炎の日から、いつの間にか、守りたいものができて、増えていた。
「ネフェイル、俺は俺の力を守るために使いたい」
 色の淡い双眸に、力強い光を称え、フレイムはネフェイルを真っ直ぐに見つめた。
 その眼差しを受け止め、ネフェイルは微笑んだ。
 長く地上にあって、鳥たちの羽を休めるために枝を伸ばし、まどろむ獣のために葉を茂らせ陽光を柔らかく遮る。大樹は大地に深く根付いて、優しい。
 ネフェイルの瞳はそんな緑をしている。
「炎の中から助けたばかりの頃のお前は、失ったものの事ばかりを考えていて……生き残った者に気づいていなかった」
 ネフェイルは青空を背負って続ける。
「死んだ者は喜びも悲しみもしない。喜ぶのは生きている者であり、恨むのも悲しむのも、また生きている者だ。死者を安らかにしてやるのも、生きている者だ。安寧は生きている者たちの中にある。過去を悔やむなとは言わない。だが、お前が安らぐことを望んでいる死者もいるであろうことを忘れてはいけない」
 同じことを二年前にも言われたことをフレイムは思い出した。その意味をあの頃は理解することが出来なかったのだ。
「……はい」
 フレイムはゆっくりと頷いた。
 これからの自分の喜びがアーシアにも届くといい。喜びという温かいものが彼女の魂を癒してくれるといい。
 ネフェイルが椅子から立ち上がる。
「では、魔力の制御について講義をしようか」
 フレイムははっと目を見開いた。
 端にあった椅子を引っ張ってきながら、ネフェイルが苦笑する。
「なんだ、魔術を学びたいのだろう?」
「う、うん。……いいの?」
 戸惑いがちに、しかし嬉しさを顔に滲ませて問うてくる少年に、ネフェイルは笑った。
「強くなりなさい、フレイム。守りたいものがあるなら」
「はい」
 フレイムは返事をして、ネフェイルの側に歩み寄ったのだった。

     *     *     *

「よう、大変そうだな」
 家から出てきたフレイムに、剣を振っていた手を止めてザックが話しかけてくる。フレイムは小脇に抱えた本を揺すって見せた。
「ネフェイルってば、予想以上にスパルタかも……」
 ネフェイルに魔術を学ぶことになった翌日、渡された本は魔術の種類に関するものだった。日用魔術から、戦争における大規模な破壊魔術まで数々の術について広く綴られている。掘り下げて書かれている部分は少ないが、それぞれの魔術の動作原理が簡単に示されているのだ。
 それらを頭に叩き込み、瞬時に対応できるようにならなければいけないとネフェイルは言う。
「相手の魔術を防ぐにもその特性が分からないといけないから……っていうのは分かるんだけど……」
 フレイムは本をニ、三ページ捲って顔をしかめた。
「やっぱりちょっと分厚いよ」
「いいじゃねえか」
 ザックは気楽に笑う。
「基礎は大事だぜ。ウィルベルトもそこんとこは厳しかったもんなあ」
 そう言って懐かしそうに空を仰ぐ。
「フレイム、ファイトだよ」
 フレイムの耳元でグィンも励ます。フレイムは笑って礼を言い、木陰に座っていた闇音に迎えられ、腰を下ろした。
「そういえば、精霊はどうやって魔術を覚えるの?」
 フレイムは横のグィンに尋ねた。グィンはさあと答える。
「本能ですよ」
 困った顔をするフレイムに闇音が変わりに答えた。
「獣が生まれてすぐ立ち上がるのと同じです。私たちにとっては魔術とは腕を上げることとさほど変わらないのです」
 グィンも頷く。
「だよねえ。魔術の使い方教えてって言われても困っちゃうもん。説明なんてしようがないし」
「そっか……」
 だから学院で精霊魔術について学んだときもやたらと難解で苦しんだというわけだ。人間と彼らは違うのだ。
(ってことは、やっぱり俺は俺なりに頑張らなきゃいけないってことだよね)
 膝の上に乗せた茶色のカバーの本を撫でる。
 顔を上げれば、ザックが剣の修行を再開しているのが見えた。一心に剣を振るその瞳に迷いは見えない。他の事を考えている暇などないのだろう。
 強くなりたい。
 守りたいものを持っていて、想うことは同じなのだ。
 フレイムは視線を上昇させた。
 緑茂る向こうに蒼穹が広がっている。高い空を見上げ、フレイムは双眸を細めた。
(俺はみんながいるから頑張れる)
 そしてまたザック、グィン、闇音を見る。
 一人微笑む少年の頭上を、風に乗った鳥が高く舞い上がっていった。