蒼穹へ大地の導き 2

「お客さん、ついたよ」
 御者台のほうから声がかかり、フレイムはぱちっと目を開けた。いつの間にやら眠っていたらしい。寝癖のついた髪を手櫛で直しながら体を起こすと、グィンがにこりと微笑んできた。
「おはよー」
「あ、うん、おはよう」
 ついたのはリルコとコウシュウの間にある関所である。見回すとすでにザックと闇音は馬車から降りており、こちらを見ていた。
「ごめんっ」
「いや、別にいいよ」
 慌てて荷物を背負うフレイムにザックは手を振った。何か他に気になることでもあるのか、辺りを見回している。
 フレイムが降り、馬車が行ってしまうとザックは小さな声で呟いてきた。口に手を添えた内緒話ポーズで。
「ふと思ったけどさ、関所、通れると思うか?」
 一瞬、目をぱちくりさせ、それからフレイムは青ざめた。
 そう、二人は罪人なのだ。飛竜はガルバラにはまだ令状は届いていないと言っていたが、それはもう三日前のことである。
「うっかりしてたよなー。シェシェンとコウシュウの間はなんかおまけみたいな関所しかなくて、顔もろくに見せずに通れたし」
 その関所では実際、ザックが愛想笑いをしている横をフレイムはコソコソと通り過ぎたのである。買ったばかりの帽子を目深にかぶって――そう、普通はその程度なのだ。関所と言っても所詮は国内での話なので、詳しい取調べなどはない。厳重なのは国境にある関所だ。
「でも、リルコはある意味外国だからな」
 そう言ってザックの見つめる先には実に立派な関所が建っている。ガルバラの国色である赤を主張するレンガ作りの、頑丈そうな平屋だ。
 リルコはガルバラの領土ではあるが、国教とは違う宗教を信仰する者が多く、かなりの昔から自治区として認められている。
 二人でじっと関所を見つめていると、闇音がため息混じりに告げてきた。
「御者に聞いたんですが、関所では身元証明と旅券の審査が行われるそうですよ」
 ザックがよろりと天を仰ぐ。
「……身元証明……」
「……旅券の審査」
 続けて呟いたフレイムを、ザックは目を細めて見下ろした。
「……まさかフレイム、旅券も持ってないのか?」
「……うん」
「どちらにせよ、身元証明で賞金首であることはばれるんですから。旅券はあまり関係ありませんよ」
 遠慮がちに答えたフレイムに、闇音が首を振りながら告げる。
「どうやってリルコに入るの?」
 グィンがなぜか面白そうに聞いてくる。
 ザックが考え込むように眉根を寄せると、フレイムがぽつりと呟いた。
「空間転移という方法もあるけど……」
「お、画期的じゃん。関所を通り越すんだな」
「……俺、得意じゃないんだよね」
 フレイムが表情を曇らせる。
「空間転移は難しいですからね」
 闇音も付け加えて、他の案を考える。ザックは空間転移の何がどう難しいのか分からず、二人とは違う意味で眉を寄せた。
「じゃあ、武力行使だね」
 明るい声でグィン。にこにこと笑顔で三人を見下ろしている。
「ぶりょくこーし、だと?」
 聞き返したのはザック。片目を細めて疑わしげに緑の精を見つめる。グィンはあっさりと頷いた。
「関所の、武器を持ってる衛兵相手に武力で挑むのか? 言っとくけど奴らの中には魔術師もいるんだぞ」
「えー、でも闇音もいるし。何とかなるんじゃない? 怪我したら僕が治してあげるから」
 楽観的な意見にザックが顔をしかめて反論しようとすると、闇音は意外にも頷いてみせた。
「まあ、ひとつの案ではありますね」
 グィンの意見を肯定する自分の精霊にザックは顔を歪めた。自分は反対だと口調に込めて言い返す。
「本気かよ? 衛兵まで怪我させたら、ガルバラでも罪人になるんだぞ? 八方塞(はっぽうふさがり)じゃねぇか――なあ、フレイム」
 促されて、ずっと黙っていたフレイムがやっと口を開く。
「あ、うん、俺もザックに賛成、かな」
 自分はともかく、ザックの罪をこれ以上重くはしたくなかったし、できれば争いは避けたかった。
「でも、じゃあ、どうするの?」
「それは……」
 口を尖らせるグィンに、フレイムは視線を落とした。
 と、視界の影が大きくなる。自分より背の高い者が背後に立ったのだ。
 じゃっとザックの靴が土を蹴る音と、次いで野太い声が響いてくる。
「さっきから……フレイムだの、ザックだの……大物賞金首の名前が聞こえてくるのは気のせいか? んー?」
 振り返ったフレイムの目に、大きな槍を担いだ男が映る。その後ろには何人か、これまた武器を持った男たちがいた。
「なんだ、ただの賞金稼ぎか」
 驚かすなよ、とザックがため息をつく。その態度にぴくりと槍を持った男の眉が動いた。
「ただの……?」
 フレイムは怒気をみなぎらせた男を見上げた。茶色の髪に浅黒い肌。背は高いが、それでも規格はずれというほどではない。確かにただの人だ。
(と、思うのは……やっぱり……)
「飛竜と比べたら、なあ?」
 苦笑して、ザックがこちらを振り返る。同じことを考えていたフレイムは頷いた。飛竜はその瞬きひとつの間にこの男たち全員を地に伏せることができるだろう。彼はそれだけの実力者だ。ついでに言えば、目の前にいる賞金稼ぎたちは雰囲気でさえ、飛竜には遠く及ばない気がした。
「ば、馬鹿にしやがって!」
 顔を真っ赤にして賞金稼ぎが、槍を一閃させる。切っ先は一番近いザックを向いていた。
 届く、男はそう確信して口元を笑みの形に歪めた。
 しかし、その視界に映ったのは、こちらを見つめる涼やかな黒い瞳だった。すい、と軽く睫毛を伏せたかと思った次の瞬間には、槍は空しく空を切っていた。
 目を瞬く男に、ザックは微笑んで手を振った。それからフレイムたちを振り返る。
「俺は関所を越える妙案も浮かばないし、こいつらの相手でもしてるよ」
 気楽に言うザックにフレイムは思わずため息を漏らした。
「……うん、分かった」
 少年のやる気のない返事が、始めの合図となった。