初心者マジックアイテムの入門 4

 再び襲い来るレイヌイに斬りつける。
「こ……っの!」
 剣が刺さらない。ザックは片手で握っていた柄にもう一方の手を添え、力で振り払った。しかし今度はレイヌイも無様に転がるようなことはなく、平衡感覚を保って地面に着地した。
 すぐに防御の姿勢をとったザックに対し、レイヌイは静止した。息を整えているといっても間違いはないかもしれない。細い体躯が上下する。
(なにか、狙ってる……?)
 後ろに跳べるように重心を変えながら、ザックは相手の様子を窺った。
(レイヌイに勝つ気はない)
 どうせ剣では敵わない。時間さえ稼げば、あとは闇音が始末する。そう考えながら、上手く連携をとる残りの二頭に手間取っている闇音をちらりと見やる。
 ふと、周りの空気がちりりと摩擦して緊張するような気配を感じた。
 それはセルクが結界を張った時に感じたものと似ていた。予感は冷たい汗のように背筋を伝わり、剣士であるザックを緊張させた。
(まさか……、魔術を使うのか……?)
 訝(いぶか)る間もなく、レイヌイの口内に赤い発光体が形成される。
「火球を撃つ気だ……」
 フレイムは小さく呟いた。魔力で作る炎。剣で防げる代物ではない。
「ザック! 無理だ、下がって!」
 背後から少年の叫ぶ声が響く。だがザックは動かなかった。
(下がるだって? そんなのは……無理だ)
 タイミングを逸した。
 密度が高められた魔力が放たれる直前の硬直。体は既にそれに包まれていた。
 赤い炎。それが一気に膨れ上がり、魔獣の口から放たれるまで、ザックは微動だにできなかった。

 巧みに距離をとり二頭で翻弄してくるレイヌイを、闇音はやっとのことで仕留めた。思いのほか手間取ってしまった。
 しかしほっと息をつく間もなく、背後で魔力が膨張した。

「ザック!!」
 レイヌイが一頭増えていたことには気がついていたが、それが最も魔力を持った魔獣であることは知ることができなかった。それが今、主人に向って火球を撃ちだしたのだ。
 闇音は焦りの中で、防御の呪文を唱えた。
 間に合うか。
 ――っばん!!
 爆裂音が響く。
 それは防御壁から発せられた音ではない。しかし、火球が命中した音でもなかった。
 レイヌイはその場から動いていない。ザックが立っていた位置には爆発後の煙が立ち込めている。
 フレイムも防御壁を張ろうとしたらしい。右腕を掲げたまま、表情は呆然としている。
 やがて煙が晴れ、現れたのは顔に煤(すす)をつけた、ザックだった。
「……びっくりしたあ……」
 驚いた表情のまま、ぽつりと漏らす。
「な……、どうやって……」
 フレイムが困惑した声で呟く。
「レイヌイ!」
 周りが戸惑う中でグィンが叫ぶ。甲高いその声に耳を打たれ、はっとして闇音はレイヌイに向き直り、攻撃呪文を唱えた。
 魔力を放った後の静止状態にあったレイヌイがその攻撃にあっけなく散る。どす黒い鮮血が地面を汚した。
 腰が抜けたというわけではないが、闇音は脱力してその場に座り込んだ。
「……どうやって火球を防いだんですか?」
 一呼吸おいてから、主人に尋ねる。するとザックは気まずそうに唇を曲げた。
「怒るなよ」
「? 助かったのになぜ?」
 首を傾げると、眉根を寄せてこちらを見やる。
「じゃあ、絶対怒るなよ」
 その様子を怪訝に思いながらもとりあえず、うなずく。フレイムもじっとザックを見つめている。
 ザックは小さくため息をつき、それをきっかけにして言葉を漏らした。
「賢者の書を火球にぶつけた」
「……」
 沈黙が降りる。
 彼の言葉を理解するのには、時間がかかった。
「何ですって……?」
 思わず呻く。
 ザックはこめかみを押さえて目を伏せた。
「魔力を込めた本、マジックアイテム。つまり賢者の書っていわば魔力の塊なんだろ? だからそれをぶつけて相殺したんだ」
 フレイムは口をあけたままで静止し、闇音はうつむいた。
 それを見やってから、ザックは乾いた笑い声を上げた。
「いやあ、思ったより早く役に立ったなあ」
 グィンががっくりとうなだれる。
「馬鹿……」
 賢者の書は買ってから一時間も待たず、灰になってしまった。いや、灰と言うよりはもう粉煙となって消えたといった方がふさわしいか。
 どちらにしろ、彼はマジックアイテムとしての一生を全うすることはなかった訳である。
「……ザック」
 やがて闇音が低く呼びかける。
「ん?」
 冷や汗をかきつつ、ザックが笑顔で応じる。
「賢者の書の値段を言ってごらんなさい」
「……一万二千フェル」
「では私たちの一週間の食費は?」
「九千くらいだな。……宿をとれば別だが」
 きっと闇音は主人を睨んだ。
「そこまで分かっていてどうして賢者の書を無駄にするんですか!!」
 怒りに任せて声を張り上げる。ザックが一歩あとずさる。両手で押さえるような仕草をしながら。
「死なずにすんだんだからいいだろ?」
「フレイム様の防御壁が間に合ったかもしれないんですよ!」
「いや、分からんだろ」
 言い合う二人を眺めながら、フレイムはなんともなしに上着のポケットに手を突っ込んだ。しかしそこでぎくりと動きを止める。
(海石が、ない。……落とした?)
 辺りを見回す。落としたのだとしたらさっきだ。レイヌイの不意打ちを避けようとしたとき。
 ぺたぺたと地面を手で探る主人を怪訝そうにグィンが覗き込む。
「フレイム?」
 その精霊の声にザックも気づく。
「なんだ? 何か落としたのか?」
「えっと……」
 困った表情を浮かべるフレイムを闇音は見つめた。
「海石ですか」
 指摘すると少年は驚いた様子でこちらを見上げてきた。
「あ、はい」
「うみいし?」
 ザックが首を傾げる。
「魔石ですよ。単なる石ころです」
 どこかとげのある口調。闇音が海石の性能を知っていることを悟り、フレイムはうつむいた。
(情けない……と思われちゃったかな? 過去にすがろうとしてるって)
 けれどあの海石は自分のために買ったのではない。
「何だ、それを落としたのか? どんなのだ?」
「……探してくれるの?」
 屈むザックを見やって、フレイムはそう尋ねた。ザックが眉根を寄せる。
「探さないのか?」
 不思議そうに尋ね返され、フレイムは慌てて首を振った。
「……青い石なんだけど」
「え?」
 ザックが首を傾げて、指差す。
「それってあれか?」
 言って彼が示したのは最後に倒したレイヌイの死体だった。
 その血だまりの中、青い石が光っている。
 それを目にしてフレイムはぎくりと息を詰めた。闇音も同様である。
「あれ……、光ってるよな? 魔石ってそういうもんなのか?」
 言いながらザックが近づく。
「だめ!!」
 フレイムが叫ぶと同時に、海石の光が増した。