正月 6

 呪うような響きさえ帯びたその声に、黒刀は視線をそらした。
「先代高嶺はいい奴だった。そいつのことだけ覚えておけよ。嫌いな奴なんか忘れちまえ」
「バカ天狗」
 即座に返された言葉に黒刀は呆れた声を上げた。
「お前なあ」
「先代高嶺の血は、高嶺の血じゃない」
 こちらの声を遮って漏らされた声は、表情は怒っているようで、腹の底では泣いているような声だった。
 「高嶺」であることのアイデンティティ。
 それはまず松韻の血を引いているということが、松壱にとっては前提のようだ。
 黒刀はため息をついた。
 矜持が高くて、意地っ張りで、口が悪くて、そのうえ綺麗な顔をして頭も切れる。自分の武器を利用して、相手に攻撃する隙を与えないこの宮司は、それなのに自らの傷を癒やせない奴だった。
「あのな、高嶺……いや、松壱。お前に流れてるのは高嶺の血だ。つまりお前が、先代高嶺の高嶺じゃない血を高嶺の血にしてるんだ」
「……訳が分からん」
 不貞腐れた声にもめげず、黒刀は続けた。
「こだわるなって言ってるんだよ。六花(りつか)が高嶺松壱の母親だってことは、すなわち彼女はどうしようもなく高嶺の人間なんだよ」
 黒刀が説明する間にも、松壱は休まずに進み続ける。伝わっただろうかと首を傾げる間も、彼は止まらなかった。
(別に返事なんか期待していないさ。高嶺は素直じゃないから……)
 黒刀は分かっていた。松壱が反論しないときはちゃんと伝わっている時だということを。
 そして神社がそろそろ見えるだろうという頃、松壱がこちらを振り返った。
「お前、慰めるの下手だな」
 黒刀は目を瞬いた。
 逆光を浴びながら、松壱は意地悪げに笑う。
「俺は母親のことでは悩んでないんだよ」
「だから、父親が嫌いなら忘れろって! 最初に言っただろうが!」
 怒鳴る黒刀に怯まず、松壱は問うように笑みを微妙に変化させた。
「じゃあ、俺は誰を父親だと思えばいいんだ?」
「……それは」
 黒刀は言い淀む。
(慰められたのが恥ずかしいからって……)
 ふつふつと湧き上がってくる怒りを抑えて、黒刀はがむしゃらに答えた。
「よし、お前の親父は沖だ」
 予想していない答えだったのが、松壱が目を見開く。
 勝った――と黒刀は思った。何か勝負をしているわけでもないのに、そう思った。
「……あんな狐が父親なんて冗談じゃない」
 松壱はそう答えて、前を振り返った。その声が笑いを含んでいるのを、黒刀は聞き逃さず、満足感を覚えて、歩き出す宮司のあとを追った。

「何これ」
「いらないなら、返せ」
 すっかり日も落ちたころ、帰りがけに黒刀は松壱に呼び止められていた。
 返せと差し出された手から守るように、受け取ったものを握り締めながら、黒刀は疑問を発した。
「いる。いるけど、……この袋はなんだよ?」
 それは毎年貰っている給金であるが、入れ物がいつもの白いのし袋ではない。なにやら可愛らしい狛犬の描かれた黄色い小さな袋に入っている。
 声をかけてきたのは沖だった。
「何ってぽち袋じゃん。黒刀ってば、そんなことも知らないのか?」
 本日二度目のシチュエーションに、黒刀のこめかみに血管が浮かぶ。
「知っている!」
 予想以上の怒号が返ってきて、沖が目を瞬く。
「嬉しくないのか? お年玉だぞ。マツイチがお年玉をくれたんだぞ」
「沖!」
 連呼する狐を睨んでから、松壱は身を翻して去っていく。
 それを見送りながら、沖は黒刀の肩に腕を乗せて小さく笑った。すっかり機嫌のよくなった狐に黒刀はなんとなく面白くない気がした。
「それ、可愛いよな」
 沖は笑いながら、黒刀の手の中のぽち袋を指差す。
 悪戯そうな光を浮かべた青い瞳を怪訝に思いながら、黒刀は首をかしげた。
「なんで、こんな袋に」
 ぽち袋に入っていても、これはお年玉ではない。売店アルバイトの給金だ。そんなことは分かっている。「阿」と口を開けた狛犬をじっと見つめる。
「それ、実は松壱を不機嫌にしてたもう一個の原因」
「は?」
 もうたまらないという様子で笑い続ける沖の横で、いつからいたのかユキが同じ黄色のぽち袋にキスをしているのが目に入る。
「高嶺ってば意外と庶民派だから」
 そう言って沖と同様に笑みを浮かべる。
 訳が分からないと二人と松壱を見比べる天狗に、沖がこそりと囁いた。
「商店街の福引。マツイチ、本当は新しい掃除機が欲しかったんだ」
 黒刀はガックリと肩を落とした。
 狛犬のぽち袋は残念賞の粗品というわけだ。松壱にすれば、ティッシュのほうがずっとマシだったのだろうが、おそらく福引のオバサンに神主だからとそれを押し付けられたのだろう。
 営業スマイルでそれを受け取る松壱を簡単に想像することが出来てしまった黒刀は、今年初めての笑い声を上げたのだった。