白銀の王妃 7

 夜が更けるにつれ、時を刻む秒針の音が大きくなる。そんな錯覚を覚えながら、フレイムは時計から目を離した。
 飛竜を迎え、改めて全員が席についたところだ。アーネストが飛竜に目を向ける。
「我々の関係は目的を同じとする同盟と言ったところだな。己の益を損なわないためのものだ」
 飛竜が頷く。
「そうだな。お互いに思惑が違うことは承知している」
 ザックを救出するための一時的な協力関係。目的が達成されれば、その関係は解消される。
 フレイムは唇を引き結んだ。同盟の枠の中では飛竜は信用するべき相手だ。だが、ひとたび枠の外に出れば、彼はザックの魔力を狙う強大な魔術師なのだ。
 決断を下した際の緊張の余韻があった。落ち着きを求めて、フレイムはそっと息をついた。
 協力関係を結ぶと決めた以上、枠の中でまで疑っていては連携に支障が出る。ただ、全面的に信用する必要もないということだ。こちらに協力することで相手が得られるもの、あるいは協力しないことで損なうもの――それが分かっていれば、手を組む判断もできる。
 フレイムは顔を上げて、話の中心を向いた。
 アーネストがテーブルにカレンダーを広げる。テーブルの上にいたグィンは場所を譲り、フレイムのティーカップの受け皿に腰掛けた。
 月表を綴じたものを切り離したらしく、今月と来月の暦が並べられる。日付を見て、フレイムは外の風景を思い出した。残暑の名残りも峠を越え、空の高さを意識する季節だ。
「まず、期限について話しておきたい」
 彼はカレンダーを指差した。
「期限」
 飛竜がその言葉を口にする。アーネストはやや皮肉げな笑みを浮かべた。
「いつまでも呑気に紅茶を飲んでいるわけにはいかないからね」
 そう言ってから、笑みを消す。彼は背筋を伸ばすと、窓の外の闇に目を向けた。
「だが、いざ行動を起こすとなると、やはり慎重になる。……あるいは躊躇っているのではないかとも思ってしまうが」
 フレイムはその横顔を見つめた。ザックによく似ているが、アーネストは落ち着いた雰囲気を持っている。
「躊躇わずにいるのは難しい相手だろう」
 ザークフォードが同情を示す。ウィルベルトはなにも言わなかったが、表情を見れば似たような気持ちであることは知れた。
 王室の警護を受け持つザークフォードとウィルベルトはもとより、アーネストもイルタシア貴族として王宮に出仕しているのだ。王室への忠誠心がある。王妃を相手にして、思うところがないわけではないのだろう。それでも彼らは選んだ――フレイムは胸が痛くなるようだった。
 彼らが背負っているものは大きすぎる。ひとりの人間のためだけに投げ捨てられるものではないはずだ。捨てさせないためにも、この計画は上手く運ぶ必要がある。
 ふと、フレイムは飛竜を見た。相手もこちらを見ていた。お互い、彼らと同じような感慨に耽ることはないことを目線で確認しあったような心地がした。
「それで、期限は?」
 飛竜が先を促す。アーネストは頷いてカレンダーを指差した。
「アルディアの豊穣祭」
 アルディア――フレイムは頭の中でその国名を反芻した。東の国だ。魔術に関する研究が最も進んでいる大国。豊穣際という言葉に、農業が盛んな国であったことも思い出す。豊かな土地なのだろう。
「王陛下と王后陛下はこの豊穣祭に招待されている。その護衛として、金獅子と金鷹から十数名が付き添う。例年、団長らが選んだメンバーで構成されるのだが」
 アーネストはそこまで話して、フレイムと飛竜に視線を向けた。フレイムは相手の視線が意味するところを察して、眉根を寄せた。
「まさか、ザックを……?」
 なるほどと顎を撫でたのは飛竜だった。
「ザックは王妃とともに行動しているんだったな。連れて行こうとしているのか」
 アーネストは二人の反応に頷いた。
「どうも突然の決定だったようでね。日を改めて確認してみたが、護衛に見合う能力があるのか試験することまでは本決まりらしい」
 ザークフォードが重い溜め息を零す。
「集会の場で取り上げられたのがまずかったな。貴族たちの前で陛下の意見を否定することは難しい」
「本来、事前に打ち合わせが済まされているはずですからね。あそこで揉めては事が大きくなりかねません」
 アーネストは同意し、フレイムと飛竜に向けて説明する。
「ザックは賞金首だからね。王妃の意向で護衛団入りさせようとしていることが知られれば、王室不信を招きかねない。護衛団としてはそれは避けなければならない。そもそも王室と護衛団の認識に不一致があるということ自体、王宮出仕者にとっては不審の種になるんだ」
 今は王妃が推薦した剣士が賞金首ザック・オーシャンだと理解している者は少ない。王妃のお気に入りの剣士という話で済んでいる。
 飛竜が眉根を寄せた。
「しかし、単純な話、王妃の我がままだろう。王は承知しているのか?」
 臣下がなにも言えなくとも、王ならば話は別だろう。
 その指摘にアーネストとザークフォードは表情を曇らせた。二人の意識がウィルベルトに向かう気配が感じられた。彼は現役の金獅子団員だ。
 ウィルベルトは膝の上で手を組んで表情を厳しくした。
「王陛下は承知しているようだった。少なくとも、あの集会を見る限りでは」
 彼はいったん言葉を切った。集会に出席していたアーネストとザークフォードも反論しない。
「王陛下と話をしておくべきだったな……。私は国外任務後、謹慎していて陛下とは長く話をしていないんだ」
 ウィルベルトはイルタス王に匿われていたことを伏せた。それに、踏み込んだ話をしなかったことも事実だ。彼はなにも聞かないことでこちらを見逃してくれたのだ。
 フレイムはウィルベルトを見つめた。彼はザックとイルタス王が友人関係にあることを、アーネスト達には明かさないつもりなのだろうか。もちろん、友人だからと言って協力が望めるとは限らないし、集会の様子を聞く限りでは王は王妃の行動を認めているようだ。そこにどういった事情があるのかは、フレイムには分からないが。
 ウィルベルトとイルタス王が親友であることを思い出す。
(ウィルベルトさんは親友を巻き込みたくないのかもしれない)
 アーネストが王室不信の懸念を挙げたように、王が罪人を庇ったとなれば、その権威に傷がつく。
(……捨てさせるわけにはいかない)
 心の中で繰り返す。たとえ、それが自身にとって不都合だとしても。
 フレイムは己の胸元を握り締めた。
 飛竜が厄介そうに溜め息をつく。
「つまり、このままにしておくと、ザックが金獅子に組み込まれるというわけだな」
 そのとおりとアーネストが認める。
「団員として登録されてしまうと、救出が難しくなる」
「馬の骨がいなくなるのとは騒ぎが変わってくるわけか」
 飛竜の言いざまにウィルベルトが苦笑する。
「ひらたく言えばそうだな。それに入団前に試験をすることになっているから、合格しなかったと取り繕うこともできるんだ」
 グィンが首を傾げる。
「そもそもザックってその試験に合格できるの?」
 王室直属の護衛団の入団試験ともなれば易しいはずもないだろう。精霊の問いにアーネストは肩を竦める。
「操作魔術を受けているからね。ひととなりについては、王妃の推薦いうことで通されるだろうし」
「そっかー」
 アーネストは改めてカレンダーを指差した。空気に溶けていた秒針の音が再びフレイムの耳に届き始める。
「アルディラ豊穣祭は来月。我々に残された時間は少ない」