白銀の王妃 2

 お茶会を終えたその夜、風呂から上がったフレイムはベッドに座って息をついた。横ではグィンが鼻歌を歌いながら濡れ髪を梳いている。
 フレイムはじっとその様子を見つめた。彼女と話をしようと思ってから、一日経ってしまっている。今更だろうかと不安になったが、このまま流す気にもなれなかった。雨の中で聞いた、悲しみと怒りの混じった声が忘れられない。
 グィンの手が止まったのを機に、意を決して口を開く。
「もう大丈夫?」
 率直に問うと、グィンはきょとんと首を傾げた。
「昨日、泣いてたから……」
 グィンは驚いた様子で一瞬だけ目を見開くと、気まずそうに視線を下げた。髪から滴った水のあとを見つめる。
「うん……大丈夫、だよ」
 自分でも確認するように呟いて、フレイムを見上げる。
「本当は分かってたんだ」
「え?」
 目を瞬く主人を、グィンは真っ直ぐに見つめた。
「闇音は僕が仇をとることを望んではいないって」
 彼女はザックを守るために命を懸けた。グィンが命を懸けたいのはフレイムだ。
「だけど、僕はいろいろ見失いかけてた」
 フレイムを守ることより、仇を討つことを優先しようとしていた。闇音がいたらきっと叱咤していただろう。自ら選んだ使命を忘れてはいけないと。
 それをまさか、会って間もないウィルベルトに指摘されるとは思ってもいなかった。敵の名を教えなかったのは、グィンにとっては警告のようにも思えた。そして、眠ると言って話し合いに出ず、一晩中考えたのだ。
「焦ってたんだ。敵が強くて、味方だってみんな強くて」
「グィン」
 フレイムが声を上げると、グィンは首を振った。
「僕だけ力不足なんだ。分かってるよ」
「でも、グィンは」
 フレイムは声を大きくする。
「グィンは俺の傍で、俺を勇気付けてくれる。そんな人、他にはいないんだよ」
 ザックと闇音が傍にいなくなってから、なおさらそう感じていた。アーネストもザークフォードもよくしてくれるが、彼らは親しい友人というわけではないのだ。
 グィンは恥ずかしそうに笑った。
「ありがと」
 そして肩をすくめる。
「心配かけてごめんなさい」
 フレイムはとんでもないと首を振った。
「そんなの、俺のほうが今までいっぱい心配かけてるよ」
「じゃあ、おあいこ」
 グィンが笑って、フレイムも表情を緩めてみせた。
(おあいこ、なんて。謝るのは俺の方だよ)
 いつもグィンに励まされている。それが当たり前のようになって、彼女も落ち込んだり悩んだりするのだということを、意識していなかった。
(俺だってグィンの力になりたい……)
 彼女の陽だまりのような笑顔を見るのが好きだから。
「グィン」
 名を呼ぶと、相手はこちらを見上げる。
「何かあったら、俺に話してよ」
 グィンは目を瞬いた。
「頼りないかもしれないけどさ、それでも話を聞くことくらいは出来るから……」
 語気は弱くなってしまった。まずは聞くことから始めようと思ったのだが、それで良かっただろうか。自信なさげに首を傾げてしまったフレイムに、グィンは照れた様子で笑う。
「へへへ、嬉しいけど、フレイムが聞いてくれるなら、僕が言うのは好きだよって、そればかりになっちゃうよ」
「えっ」
 今度はフレイムが目を瞬いた。そしてすぐに頬を染める。
「……いや、その、そういう、俺はマジメに」
 グィンは小首を傾げてにっこりと笑った。
「好きだよ、フレイム。ありがとう」
 そして、気恥ずかしそうに笑う主人に、こぶしを握ってみせる。
「僕、頑張ってもっと強くなる。フレイムを守りたいもん」
 健気なその言葉に、フレイムは胸の奥が熱くなるのを感じた。身を乗り出すようにして意気込む。
「俺も頑張るよ」
 グィンは微笑んで、下を向いた。目を伏せて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「あのね、僕はちょっと驚いてるんだ」
 足元のシーツはなめらかで肌触りがいい。今まで触れたどのシーツよりも品質の良いものに違いない。
「フレイムが王都にいて、王城の人間と一緒にいる。協力してるんだよ」
 何の話だろうかと不思議そうにしている主人に視線を戻し、グィンはもう一度笑った。
「初対面のザックから逃げ出したフレイムが、さ」
 フレイムは目を見開いた。ザックとの出会い、もう随分と前のことのように感じる。
「アーネストはまだ分かるよ。ザックの従兄だし、ネフェイルの紹介だし。でもさ、ウィルベルトはなしでしょ。あの人、国王の手先なんだよ?」
 わざと煽るようなその言葉に、フレイムは息を呑んだ。そう言われるまで、自分でも気づいていなかったのだ。
 イルタシアに関わるものすべてから逃げていたのに。よりにもよって、王室につながりのある人間と、同じ屋敷の中で過ごしている。少し前の自分なら、ウィルベルトが優しいだけでは、信じたりはしなかっただろう。
「フレイムは疑ってばかりをやめたんだね。僕、フレイムが誰かと一緒に楽しそうにしてるの嬉しいよ。ずっと寂しそうだったからさ」
「グィン……」
 グィンはふわりと浮いて、目尻に涙を浮かべた主人の頭を撫でた。優しく語り掛ける。
「フレイムは強くなってるよ。僕、負けてられないね」
 フレイムが涙を拭って見上げると、グィンはこちらを見つめていた。
(かなわない、なあ……)
 本当によくこちらを見ているのだと、今更ながら実感する。そして、慰めて励ましてくれる。
(なんだかグィンに頼りにしてもらうのは遠そうだなあ)
 だが、歯がゆさはなかった。素直に、頑張りたいと思える。
 支えられるだけでなく、支えあえるように。グィンと一緒に、頑張っていきたい。

 ふいにノックが響く。
「フレイム君」
 声はアーネストのものだった。フレイムがどうぞと答えると、相手は扉を開けて顔をのぞかせた。
「今からいいかな。昨日の続き」
「あ、はい」
 返事をして立ち上がる。
 昨夜はウィルベルトが途中で席を外したから、話が終っていない。彼の体調が良くなっているから、今夜は長くなるだろう。フレイムがグィンを見やると、彼女は湿った髪をさっと結んだ。
「今日は僕も出る」
 飛び上がって主人の肩に座り、耳元で囁く。
「僕はフレイムを守りたいんだから、フレイムのそばを離れたりしないよ」
「うん」
 笑みを零すとともに頷いて、フレイムはアーネストに従って部屋を出た。