一条の銀の光 6

「フレイム・ゲヘナ?」
 フレイムはシェシェンの端にある高級宿に連れてこられた。貴人用の広い部屋に通され、中にいた絹の服を着た男にそう尋ねられた。
「ええ……」
 短く答え、男を見る。男は壮年で中背。おおよそ、肉体労働で人を雇えるほどの地位についたわけではなさそうだ。
 部屋の扉は鍵を掛けられ、傍にセルクが立っている。彼と絹衣の男のほかには部屋の中には誰もいないが、外に二人の兵がいた。
「私の名は、トリア・シェハード。まあ、そこに掛けたまえ」
 赤い布が張られ、重厚な飾りの彫られた肘掛のソファをトリアは示した。彼自身は間にテーブルを挟み、一人掛けの椅子に座っている。フレイムは言われるまま腰を下ろした。
「このままおとなしく、私と共にイルタシアの国王陛下のもとへ赴(おもむ)く気はあるかい?」
 トリアは薄い笑みを浮かべ、少年をその濁った瞳で見つめた。フレイムは首を横に振らなかったが、縦に振ったわけでもない。
「……できれば、遠慮させていただきたいです」
 静かに、トリアを見据えて口を開いた。壮年の男は一瞬目を剥いたが、唇を吊り上げ、喉の奥で笑いだした。
「ではここへ何をしに来たのかな?」
 赤い、大きな宝石が輝く指輪をはめた右手を広げてトリアはフレイムに尋ねた。フレイムはわずかに眉を寄せてその指輪を見た。金が目的ではない。この男は「高額の賞金首を捕まえた功労者」という名声が欲しいのだ。
「いいかげん、俺を追うのを止めていただきたいと、お伝えしたくて。うんざりしているんです」
 フレイムは目を細め、淡い笑みを湛えた。それは愛らしい華がほころぶ様に似ていたが、しかし、その華は激しい嫌悪を身に纏っていた。
 トリアはコツンと指で肘掛を叩いた。
「セルク……」
「なんでしょう?」
 セルクが儀礼的な笑みを向ける。トリアは目の前の少年をあごで示した。
「隣の部屋に。……鍵を掛けておけ」
「魔術を使いますよ。その少年は」
 トリアはもう一度、コツンと音を立てた。フレイムは黙って、その指の動きを見ていた。
「そうか。村を一つ燃やしたんだったな。天使の顔をした悪魔と言うわけか……」
 男は侮蔑を込め、唇の端を持ち上げる。フレイムは唇を引き結び、奥歯を噛み締めた。
「では、セルク。おまえがついていろ」
「かしこまりました」
 金髪の魔術師は軽く一礼すると、フレイムの傍で歩み寄った。
「行くよ。話は聞いていただろう」
 フレイムはセルクを見上げたが、立ち上がろうとはせずに、トリアの方を向いた。
「俺が捕まったんです。ガンズを引き上げさせてください」
 トリアは鼻で笑った。フレイムは眉を寄せ、壮年の男を睨み据える。
「グルゼ島出身の剣士のことが心配か……」
「彼を殺しても一銭にもなりません。無駄金を使うことを、あなたのような人種は嫌うでしょう?」
 嫌味な口調でフレイムは言った。トリアは目の前の、金飾りのカップに入ったワインに目を落とした。
「私の友人に、拷問好きの男がいる。彼なら、高値で買ってくれるだろう」
「腐った交友関係ですね」
 間髪入れずにフレイムが毒を吐く。トリアは少年を見上げ、目を細めた。カップを手に取ると、テーブルの上で逆さに返した。悪態をつかれた場にあったワインなど飲む気はないらしい。
 真っ赤な液体が飛沫を上げて落ちる。
「だが、これで剣士が殺されることはなくなったぞ。ガンズに生け捕りにするよう、使いを出そう」
 フレイムは重力に従って落下するワインを見つめた。
 ――血だ。
 ざわざわと、胸の奥が騒ぐ。月のない夜。ザックの肩を滴った赤い――。
「彼に手出ししたら、あなたを殺す」
 殺さないと誓った。もう誰も。誰であっても。
「ガンズも、セルクも、全員殺してやる」
 ガラス玉の双眸は、天井から下がるシャンデリアの光を映し、空恐ろしいまでの輝きを放っている。
 トリアは呑み込まれたように押し黙った。
 ぴりぴりと少年の怒りで空気が張り詰める。一本の細い糸で紡がれたような沈黙。
 破ったのはセルクだった。
「隣の部屋へ」
 フレイムの肩に手を置いて、促した。少年の細い肩がびくりと跳ねる。
「……あ」
 小さな声を出し、正気に戻る。睫毛を震わせ、テーブルの上の赤い液体を見つめる。
(ワインだ。ただの赤ワイン……)
 そう自分に言い聞かせ、のろのろと立ち上がった。
 少年がセルクと共に、扉の方へ歩いて行くのを見て、トリアは深く、安堵の息を吐いた。

 例によって、宿の裏。角材や、石材の積まれた広場にトリアの私兵団は陣取っていた。
 ガンズはこれからの一仕事のために自分の大剣を磨き上げた。白銀に輝く刃を満足そうに眺め、鞘に納める。
「ガンズ隊長!」
 若い兵の呼びかけに、迷彩服の大男は振り返った。一ヶ月強、自分の仕事を邪魔してきた男をやっと始末できると、彼は意気揚々だった。
「なんだ?」
 思いがけず、上機嫌な顔で振り返られ、若い兵は反射的に笑顔を作った。多少の引きつりはあったが、ガンズは気にはしなかった。
「トリア様からの使いで……。例の剣士は殺さずに連行しろと――」
 若い兵の言葉は途中で遮られた。突如、辺りを覆った怒気によって。周りにいた兵達が思わず、肩をすくめる。辺りを見回し、その怒気の出所を見つけると、慌てて顔を逸らした。
「……殺さずに……?」
 怒気の発生源は唸るように聞き返した。若い兵はただひたすらにうなずいた。
「トリアの命令はフレイムの捕獲だろうが。なんでザックの事にまで口を出して来るんだ。あの成金ジジイは。ええ?」
 詰る様に、拳で若い兵の胸を軽く叩く。若い兵は怯えきり、あとずさった。
「……捕獲された少年が剣士は殺すなと……トリア様に……」
 震える声で使いから伝え聞いたことを反芻する。
「フレイムか!」
 ガンズが大きな音を立てて舌打ちをする。雇い主ご所望の少年がとうとう捕まったことは聞いていたが、なんと迷惑なことをしてくれたものか。いまいましげに眉を寄せて、歯噛みする。折角、念願の獲物をどのように調理するか、楽しく考えていたと言うのに。
 ふと、思いついたようにガンズは口を開いた。
「殺すなと言うのは分かったが、なぜ連れていかねばならん?」
「そ、そこまでは……」
 若い兵は手を上げて、首を捻った。
 ガンズは若い兵に行けとあごで示し、自分は腕を組んだ。若い兵はこれ以上の怒気を浴びるのはごめんだとばかりにそそくさと戻って行った。
 近くの角材の上に腰を下ろし、ガンズは地面を睨んだ。
(フレイムをおとなしくさせるために連れていくのか?)
 自分の知るトリアは優しい性格ではない。むしろ、人をいたぶるのを好むあくどい男だったと記憶している。いつもなら少年の願いなど聞かず、逆にザックを殺すように命令してくるだろう。
(気まぐれか……。何か金になる事を思いついたか)
 どちらにしろ、ガンズにとっては喜ばしくない状況となった。何の為に剣を磨いたのか。
(……捕まえる際に怪我させても文句は出ないだろ……)
 ガンズは地面の土を靴で撫で、そう結論付けた。