赤き魔女の封印 14

 ――パスティア皇女と婚約することになった。
 王城の裏庭、白薔薇の咲き誇る美しい庭で、エイルバートは静かにそう言った。

「副団長」
 白いマントがふわりと広がる。
 応接用の長椅子に腰掛けたまま、ウィルベルトは名を呼んだ相手を気だるそうに見上げた。
「申し訳ございません。国王陛下はただいま、ガルバラの外交官とご面会中でして……今しばらく」
 ブラウンの髪を揺らして、金獅子副団長補佐はそう言った。
「……そうか」
 頷いて、ウィルベルトはおもむろに立ち上がる。謹慎中に人目を忍んで王宮まで出てきた彼は、白マントも金の剣も身につけてはいない。
「じゃあ、私は帰るよ」
「そんな」
 もう少し待っては、そう言う部下にウィルベルトは首を振った。
「いいんだ。もう三日もすれば私の謹慎も解ける。それからでも遅くはあるまい」
「せっかくおいでになったのに。陛下も残念に思われます」
「……私が来たことは陛下には伝えないでくれ。ただ、謹慎明けの面会をしたいと」
 ウィルベルトは小さく笑って、眉を寄せる部下の肩を叩いた。
「団長の世話は大変だろうが、もうしばらく頼むぞ」
「……かしこまりました」
 神妙に頷く副団長補佐に、片手を上げてみせ、ウィルベルトは内殿を後にした。

 ウィルベルトが王城から出てくると、裏門の側で一人の男が待っていた。風に揺れる髪の青と、夜空を走る雷光の双眸は人外の色だ。
「早かったな。お目通りは叶わなかったか」
 黒い服に身を包んだ男は皮肉げな笑みを浮かべて、ウィルベルトを迎えた。
「それなら、あいつにでも会ってくればよかったのに。ほら、あのチビ、黒髪の」
 一人で勝手に喋る青毛の男を一瞥して、ウィルベルトは不機嫌そうに答える。
「アレス、ザックはもう『チビ』ではない。それに彼は罪人として拘束中だ。会えるはずがない」
 魔法剣に宿る精霊アレスは主人を見下ろして、笑顔を絶やさない。
「チビはチビさ。十年前のあいつは俺の腰の高さしかなかった」
 ウィルベルトはため息を零す。
「アレス」
 たしなめる主人の肩に手を回し、アレスはもう一方の手でウィルベルトの頬をつついた。
「ウィールー、お前は頭が固すぎるのさ。エイルバートも陛下呼ばわりだし、拘束中だろうとお前が言えば、チビにも会うことは出来るだろうに。しかも謹慎中だからと、生真面目に俺は置いていくし」
 ウィルベルトはアレスを睨んで、その手を振り払った。
「なんだ、連れて行かなかったことがそんなに不満か」
「ふふ、そのとおりだ。いいか、俺はお前が気に入ってるから、お前に使われてやってるんだぜ。選ぶのは俺だ。俺はどこにでも連れて行け。俺を手放すな」
 ウィルベルトは心の中でもう一度ため息をついた。
 この高慢な精霊は、初代からスフォーツハッドの当主に仕えている。純粋にウィルベルトを慕っているサラとは違うのだ。
「次にエイルバートを訪ねるのは、謹慎明けか?」
「……そうだな」
 ウィルベルトは陽光を眩しく弾く内殿を見上げた。
「……王には、聞かなければならないことがある」
「それなら、エイルバートの仕事が終わるまで待てばいいのに」
 アレスは目を細めて、酷薄な笑みを主人に向ける。
「待たずに帰ってきたのは、本当は、聞くのが怖いからだろ?」
 ウィルベルトは精霊の青い瞳を見つめ、そのまま何も言わずに逸らした。歩き出す。
 無言で足早に歩く主人を追いかけ、アレスは背後から小さな声で囁いた。
「白い庭に彼(か)の腕が来てるぞ」
 途端に、ウィルベルトは足を止めた。驚きを隠せない顔で振り返る。
「緑の精を連れていたあの子が?」
 二人は特定の単語を遠まわしに表現して言葉を交わす。
「俺が感じたのは力の気配だけ。どこの誰かは知らないね」
 アレスは肩をすくめる。ウィルベルトは渋面で地面を睨んだ。
「まさか、助けに……?」
「気配はすぐに消えた。おそらくどこかの結界内――貴族の屋敷にいるな」
 ウィルベルトは青い瞳を鋭く細めた。
「貴族の協力者か。……赤き館だな」
 アレスはさも楽しそうにくつくつと笑った。
「ウィル、王に反する者に協力する貴族がいるみたいだな」
「赤き館は危険だ」
 ウィルベルトは顔を上げ、きっぱりと言った。
「王に手出しはさせない」
 声に迷いは聞こえない。
 そして、再び歩き出すウィルベルトの背中を、アレスは満足そうに見つめた。
(それでいい。信じてないお前はお前らしくない)
 エイルバートが、それでも裏切ったときは――。
(俺が自らの腕を振り下ろす)

「恐れ入ります、陛下」
 金獅子の剣士に呼び止められて、面会を終えたイルタス六世は顔を上げた。
「なんだ」
「スフォーツハッド公爵より、謹慎の明けた後に面会の申し入れが入っております」
 王は一瞬だけきょとんとした表情を見せた。
「ウィル……あ、いや、スフォーツハッド公が? ガルバラとの面会中に使者が来たのか?」
「あ、……はい。どうなさいますか?」
 王はマントを翻して、息だけで笑った。
「断る理由もあるまい」
 金獅子の副団長補佐を務める剣士は、表情を明るいものに変える。
「はい。では、そのように」
「ああ、頼む」
「かしこまりました」
 頭を下げる剣士に頷いて、王は側に控えていた従者から書状を受け取った。小さくため息をつき、彼は書状を従者に返すと、「案内してくれ」と言う。
 副団長補佐はその様子に眉をひそめた。
「まだご公務ですか? 恐れながら、お休みになられた方が良いかと……」
 早い星は既に輝いている。風も冷たくなり始めたこの時季、無理をするのは良くない。
「平気だよ」
 王は微笑む。
 副団長補佐は思わず息を呑んだ。こんな笑い方をする人だっただろうか。
「ありがとう」
 こんな、儚い――。
「い、いいえ」
 副団長補佐は深々と頭を下げた。
(これが……あの好戦的な王だと、言われた人か)
 夜風が冷たく彼らを撫でた。