赤き魔女の封印 13

 目を開けると、そこにザックが立っていた。
(違う……)
 ザックにそっくりな男だ。金色の髪がザックとは違う。
(ザックのお母さんの血筋……)
 金の髪、銀の髪はイルタシアの貴族には多い色である。
 背後に黒い鉄格子の門を背負う相手の、翠の瞳をフレイムは見つめた。
「君がフレイム・ゲヘナだね。合言葉は聞いているよね?」
 アーネスト・マクスウェルがそう問うてくる。フレイムは頷いた。
「はい。ジオルド、と」
「ふむ。とりあえず、屋敷に入ろう。君のような有名人を誰かに見られでもしたら大変だからね」
 アーネストは手を振って、フレイムとグィンを門内に招き入れた。
 門をくぐって、フレイムはそびえ立つ屋敷を見上げた。白い外観はイルタシアではポピュラーなものである。
 だが、確かな技術を持って美しく剪定された庭木や、玄関上に掲げられた国旗は一般家庭ではあまり見かけない。
(貴族の白い家……)
 ここは確かにイルタシアの王都なのだ。
「どうかしたかい?」
 玄関の前で、アーネストが立ち止まっているフレイムを振り返る。
「あ、いえ……ホワイトガーデンだなあって……」
 そう答えると、アーネストは一瞬きょとんとして、すぐに笑った。
「時差ボケなんてなしにしてくれたまえよ? ここは、そう、王都だよ。少し歩けば王城も見える」
 フレイムは息を呑んだ。
 国王がいるのだ。
 緊張した面持ちの少年に対し、アーネストは剣呑な笑みを見せる。
「君の敵がいる」

 赤い布地が張られた壁には、大きなタペストリーも下げられている。本格的な冬が来れば、その数は増えるだろう。床もまた赤い絨毯で、白で模様が描かれている。
 広い部屋に置かれたテーブルに一人でちょこんと腰掛けて、フレイムは室内を見渡した。グィンも所在なさげにテーブルの上に座っている。
(凄い部屋……家具のことなんか分からないけど、やっぱり俺の家にあったのとは雰囲気から違うよね)
 我が家の家具は、こんなにもきらきらしてなどいなかった。フレイムの記憶にあるのは、四角で小さいダイニングテーブルだ。
「すまない、待たせたね」
 謝ってアーネストが部屋に入ってくる。その後から、ティーポットとカップが載ったお盆を抱えた女性も現れる。
「こちらは私の細君になる」
 アーネストはポットから紅茶を注ぐ妻を指して、そう紹介した。
「どうぞ」
 微笑んでマクスウェル夫人はフレイムにカップを差し出した。
「あ、ありがとうございます」
 フレイムはぺこりと頭を下げた。
 そう目立つ美人ではないが、目鼻立ちは整っており、何よりもその笑顔は柔らかく優しげだ。蜂蜜色の髪からは甘い香りが漂ってきそうで、フレイムは思わず頬を染めてうつむいた。
 夫人はにっこりと微笑むと、夫に軽く会釈をして部屋から出て行った。
 扉が閉まるのを確認して、アーネストはフレイムの向かいの席に腰を下ろした。
「見た目はああだが、怒らせると怖いぞ」
 呟かれた言葉に、フレイムは目を瞬いた。アーネストは意地悪げに笑う。
「私もあの微笑にだまされたのだよ。初めて喧嘩した夜には詐欺だと思ったね」
 グィンがころころと笑う。
「でも、そんな所まで好きになっちゃったんでしょう?」
 人の感情に敏感に反応する緑の精霊に、アーネストは目元を緩めて、肩をすくめた。
「これはこれは、精霊相手では惚気(のろけ)になってしまったかな?」
 自分の紅茶に口をつけて、アーネストは息をついた。
「さて、早速本題に入ってもいいかな?」
 翠の双眸が鋭さを帯びる。フレイムは緊張した面持ちで頷いた。
「まず、君はどの程度の魔術が扱えるのかな?」
 相手はフレイムが神腕の持ち主だと知っている。その上、マクスウェル家は魔術に長けた一族だとネフェイルにも聞いた。
 フレイムはこの時になって、自分の魔術の心許なさを悔いた。
「……中級魔術師の程度なら、問題なく」
 白い指がテーブルの上で組まれる。
「ふむ」
 アーネストは失望しただろうか。フレイムは顔を上げることが出来なかった。
「城で魔術師として仕えている魔術師は、候補生を除いてすべて上級だ。金鷹はその中でもさらに抜きん出いている。言うなれば、上の上」
 淀みなく語る声からは感情を汲み取ることが出来ない。
「金獅子は剣が専門だが、もちろん魔術も使う。正団員は中級魔術師免許の取得が必須だ」
(……俺は魔術であっても、金獅子に劣るのか……)
 神腕、それがどれほどの役に立つというのか。
 落ち込む様を見せる少年に、アーネストは微笑んで見せた。
「つまり、君は金獅子とならば、対等に戦えるわけだ」
 その言葉を脳内で反芻して、フレイムは顔を上げた。
 アーネストは力強く言う。
「戦力としては十分だよ、フレイム君」
 フレイムは頬がほてるのを感じた。
「君は神腕の引き出すことの出来る魔力が凄まじすぎるゆえに、それと比べてしまって、自分を過小評価しがちのようだね。中級魔術師なんてそう簡単になれるものではないよ」
 グィンが嬉しそうに繋ぐ。
「だよね。僕、フレイムは謙遜しすぎだと思ってたんだよ。金獅子と同じ中級だってことは、魔力切れにならないフレイムのほうが有利なんだからね」
「……そう、かな」
 フレイムはそれでも自信なさげに呟く。
「しっかりしたまえ。味方は多くないんだ。君も戦うんだよ」
 アーネストはきっぱりと言い放って、フレイムの双眸を真っ直ぐに見つめた。
 味方が少ない。
 そう、この場で望めるのは目の前の青年の助力だけなのだ。ホワイトパレスには金鷹も金獅子もいるのに。
(金獅子……)
 フレイムはふと思い当たった。
「あの、例えば、ザックの先生……スフォーツハッドさんには協力を頼めないんですか……?」
「スフォーツハッド!?」
 アーネストが驚愕の声をあげ、椅子から腰を浮かす。フレイムはびくんと肩をすくめた。
 テーブルに乗り出し、困惑の入り混じった声で、アーネストがもう一度繰り返す。
「スフォーツハッドと言ったか……?」
「……は、はい」
 なぜこんなに驚かれるのだろうと、疑問に思いながらもフレイムはとりあえず頷く。
「ザックは……ウィルベルト・スフォーツハッドさんに、剣を教えてもらったって言ってました、けど」
 椅子に腰を下ろし、アーネストは顔を覆ってふらりと天を仰いだ。しばらくそうしていたかと思うと、おもむろに姿勢をただし、少年に向き直る。アネスは人差指を立てて見せた。
「……スフォーツハッドは……フレイム君、スフォーツハッド家は魔法剣士を輩出する名門だ」
 魔法剣士、その言葉に息を呑みつつフレイムは続きを待った。
「金獅子へ何人も送り出してるし、王家への忠誠は特に厚い。……たとえウィルベルトが、そう、よりによってスフォーツハッド家当主が、ザックの剣の師匠だとしても……」
 息をつく。
「助力は期待できない。城内を騒がしてでもザックを救出しなければならない、そんな我々に力を貸してくれるとは到底思えない」
「……でも、スフォーツハッドさんは……」
 ザックととても親しそうで……、そう言い募るフレイムに、アーネストは首を振った。
「無理だ」
 フレイムはアーネストがきっぱりと言い切る根拠が気になった。
「どうして、そうはっきり言えるんですか……?」
 痛みすら感じさせるような眼差しで、アーネストは答えた。
「ウィルベルト・スフォーツハッドは、イルタス六世の金獅子時代の同輩で、そして親友だ」
 見開かれるガラス玉の瞳を見つめながら、アーネストは嘆息する。
「……スフォーツハッドは王家を、いや、イルタス六世を裏切らない。絶対にだ」
 フレイムは目を閉じて、椅子に全体重を預けて沈み込んだ。
 脳裏に笑みを浮かべた赤い髪の男が描かれる。腰に佩いた金の剣は王家より授かるもの。
(親友……か)
 自分がザックを助けたいと思うのと同じように、ウィルベルトはイルタス六世を庇うのだろう。