赤き魔女の封印 12

「返事が来た」
 ネフェイルはフレイムの部屋に訪れた。フレイムは椅子に座ったまま、緊張して彼の言葉を待つ。
「協力する、だそうだ」
 ネフェイルは満足げに、そう言った。片手に持った紙片を振ってみせる。
「本当?」
 フレイムは顔を綻ばせて立ち上がった。
「ああ。それに、今のマクスウェル家当主はザックの従兄に当たるそうだ」
 ネフェイルは頷いて、持っていた一枚の紙を広げて見せた。
 ネフェイルの手元にある紙に、魔術で直接文字を書き込む――そうして届いたアーネストからの手紙である。
「その当主からの伝言がある」
「何?」
 覗きこむフレイムに手紙を渡し、ネフェイルはその要旨を伝えた。
「王都に着いたならば、すぐにマクスウェル家に来ること、あとは、そのときの合言葉についてしたためてある」
 フレイムはその手紙を左から右に読んで頷いた。顔を上げて、ネフェイルに笑みを見せる。
「ありがとう」
 グィンも嬉しそうに笑っている。
「だが、私に出来ることはもう少ない」
 緑の双眸から笑みを消し、ネフェイルは静かに告げる。
 フレイムは頷いた。
「はい」
 彼を頼ってばかりいられない。
「さあ、準備をしなさい。イルタシアの貴族の屋敷は、侵入者を防ぐために結界があるから、家人がいなければ入れない。マクスウェル家のすぐ側まで送ってやろう」

 ネフェイルの家の庭に立ち、フレイムはリュックを背負った。グインも彼に寄り添う。
「ネフェイル」
 振り返った先には、杖を持ったネフェイル。その杖は精度向上の魔術具である。
「イルタシアは剣と魔術の国だ。王室の誇る金獅子、金鷹はそれだけで軍隊と呼べる」
 皺の刻まれた彫の深い顔に影を落とし、ネフェイルは続ける。
「覚えておきなさい。二つをまとめているのは王室であることを」
 フレイムは彼の言わんとするところを悟った。神妙に頷く。
 王室は、それらを上回る力を持つ。現国王が剣の名手であることは、近隣諸国にも知れていることだ。
(それほどの力があって、どうしてまだ望むんだろう)
 イルタス王がフレイムに莫大な賞金を掛けているのは、それを生け捕らせ戦力にするためだと考えられている。領土拡大のためだという。
 フレイムは空を仰いだ。
 この空よりも深い、海の色の双眸を持った剣士を思い出す。澄んだ眼差しを持つ彼が忠誠を誓う相手は、そんな私欲に燃える男なのだろうか。
(それとも、本当に……罪人を放っておかないために……?)
 すべては憶測だった。徐々に、聞き知った事柄と、目の前に現れる存在が、その噛み合せの悪さを物語り始めている。フレイムもそれを感じ取り始めていた。
 まだ、王の声すら聞いたことがない。
(イルタシアに行けば分かる)
 イルタシアには国王がいる。ウィルベルトがいる。アーネストがいる。
 そして、ザックがいる。
 フレイムはもう一度、しっかりとネフェイルを見つめた。
「ネフェイル、じゃあ」
「うむ」
 ネフェイルが杖を振る。色鮮やかな魔術陣が地面に描かれていく。曲線を描いて伸び、更に伸びて絡まる。編み出されていく、魔術陣は遠くイルタシアに繋がる道だ。
 二度と踏むことはないだろうと思っていた地。
(アーシア……)
 彼の地で、彼女に出会って、人を愛することを知った。
 彼女を失って、人を愛することを忘れた。
 ザックが思い出させてくれた。心を偽ることを知らない真摯な眼差しが、氷を溶かした。
(俺は、イルタシアに行く……)

 フレイムは、今後を暗示するかのようにその色を変化させ続ける魔術陣に、足を踏み入れた。

     *     *     *

(暗雲を見るようだ)
 ネフェイルは静かになった庭で、西の空を見つめた。
 イルタシアから吹いてくる風は、不穏を孕んでいる。
(……マリー嬢はこうなることを知っていただろうか)
 息子が大陸の地を踏み、そしてイルタシア王室に捕らわれる。
 マリー・マクスウェルはその世代を代表する類まれな魔術師――「赤き魔女」と呼ばれた女性だ。体内を駆ける血潮は無限の魔力を紡ぎ出し、彼女は圧倒的な存在感を持って、かの魔術の国の王宮で強く輝いていたのだ。
 その魔女の封印は、彼女の死後、今もなお息子を守っている。
 ネフェイルは流れる雲を注視した。
 魔力を封じて、息子の何を守ろうとしたのか。魔術こそ、身を守る術にもなるというのに。
(……赤き魔女の、封印……)

 守ろうとしたものは――?