赤き魔女の封印 9

 この頃、宮中はさわさわとさざめいていた。金獅子の副団長が問題を起こし、謹慎しているという噂だ。
 緑の庭園を横に、長い大理石の廊下を歩みながら、アーネストは彼らの小声を耳に掠めさせていた。
(金獅子……か)
 ジル・オーシャンもかつては金獅子の団員だった。
 もう一つの噂とあわせて、奇妙な符号を思わせる。アーネストは翠の双眸を細めて、王宮の奥、王のいる内殿のほうを見つめた。
(ザック・オーシャンが捕らえられた……)
 次に発行される賞金首リストからはその剣士の名は消えるだろう。それがもう一つの噂だった。

         *       *       *

「俺、イルタシアに戻るよ」
 ザックが姿を消してから二日後、フレイムはそう言った。
 側にいるグィンもだいぶ落ち着いたように見える。ネフェイルは向かいの席に座った弟子を見つめた。
「それがイルタス王の狙いだとしてもか」
 フレイムと親密にしている者を捕らえ、それを利用してフレイム自身を誘い出す。
 フレイムは頷いた。
「だって、俺が強くなりたいと思ったのはザックたちのためなんだから」
 ――また、めそめそするのか。
 そう言われた昨日のことを、フレイムは思い出す。

「飛竜……」
 木々の並ぶ小道を歩いていたフレイムは、声をかけてくる男を木陰に見つけた。
「ザックが捕らえられたらしいじゃないか。また、コウシュウのときのように、めそめそするのか?」
 意地悪そうに笑いながら、飛竜は道に上がってくる。フレイムは赤い双眸の男に首を横に振ってみせた。
「ううん」
 飛竜が片眉を上げる。
「だって、ザックは生きてるだろう? 彼のことだから、きっと簡単には諦めないだろうし、俺だって彼を見捨てたりはしない。助けに行くよ」
 相手が黙って聞いているので、フレイムはそのまま続けた。
「ただ……闇音さんは……」
 涙は昨晩使い果たしてしまった。
 風は木の葉にするように、フレイムにも優しく触れる。色の淡い瞳で空を見上げて、息を吐く。
「もう少し……落ち着く時間が……欲しいんだ」
 闇音のためにもザックを助け出さなければならない。
 彼女が命を落としたのだとしたら、それはきっとザックを庇ってのことだろうから。
「なるほどな」
 飛竜は頭の後ろで手を組んで笑った。
「安心した。一度ついた決心がまた揺らいだのでは話にならないからな」
「決心?」
 フレイムが問い返す。
「『こんなところでもたついているわけにはいかない』」
 飛竜はそう答える。
 聞き覚えのある台詞にフレイムは目を瞬いた。
「お前がそう言っただろう。お前は『大切な者』とやらのために、戦うんだろう?」
「……ああ」
 思い出して、フレイムは頷いた。コウシュウで飛竜にネフェイルの居場所を聞いた時に言った言葉だ。
「戦うって表現……でいいのかな」
 目線を下げる少年に、飛竜は肩をすくめた。
「逃げてないなら戦ってるんだろう?」
「でも、飛竜は逃げてないけど、戦ってもいないだろう?」
 切り返されて、飛竜は目を丸くした。すぐに笑い声を上げる。
「確かに! 俺は疲れるのはごめんだからな。俺は逃げてもいないし戦ってもいない」
 笑い声をおさめると、飛竜はまた木の陰に消えていこうと道から外れた。
 フレイムはそれを追うように声を上げた。
「じゃあ、何をしてるのさ?」
 緑と緑の狭間で、飛竜は鮮血の双眸を輝かせて笑った。
「楽しんでいるのさ」

 ネフェイルはテーブルの上で手を組んだ。
「では……出発はいつ?」
 フレイムは考えながら答える。
「……今日、準備をして明日にでも」
「ふむ」
 ネフェイルは組んだ手を撫で合わせた。しばらく考え込み、おもむろに口を開く。
「私が王都まで行って手を貸すのでは、目立ってしまうな」
「うん。……そうかもしれない」
 分かっていた様子でフレイムは頷く。
 ネフェイルは以前は王都で魔術の研究をしていた者なのだ。彼を知る魔術師は王都には多い。もちろんその中には王宮に関係の深い者もいる。
「そうだな。――少し待っていてくれ」
 ネフェイルは立ち上がると、部屋から出て行った。間もなく、手に手帳を持って現れる。
 席についてぱらぱらと捲りながら、あるページで手を止める。
「マクスウェル家に連絡を取ろう」
「……えっ」
 フレイムが驚きの声を上げる。ネフェイルは開いたページを見せる。イルタシアの地図だった。何ヶ所か赤い印が付いており、その一つが指差される。
「王都ホワイトガーデン、その西区にマクスウェル家はある。当主はザックの祖父から次の者に代替わりしているはずだ」
 フレイムは地図を覗き込みながら問う。
「ザックのお母さんは家を出たんだよね? 他に兄弟が?」
「ああ。確か弟がいたはずだが、足が悪いと聞いている。彼に子がいれば、既にその子が継いでいるかもしれない」
「ということは、ザックの従兄弟……?」
 ネフェイルは頷いて、手帳を閉じた。
「マクスウェル家がマリー嬢を絶縁していなければ、協力してくれるかもしれないな」

 祖父からの帰ってこいとの連絡を受け、アーネストは王宮での執務を早めに切り上げ帰宅した。
「お爺様、今帰りました。何用ですか?」
 先代当主の部屋にノックして入り、アーネストは早速本題に入る。赤い生地の張られた椅子に体をうずめ、白髪のだいぶ混じった老人はいまだ衰えぬ眼光を孫に向けた。
「ネフェイル・ホライゾを知っているか」
 突拍子もなく大魔道師の名を出され、アーネストは目を瞬きながらも頷いた。
「ええ。一時は王宮にも足を運んだことのあるという、名のある魔道師ですよね?」
「うむ。その彼から連絡があった」
 祖父の言葉にアーネストはさらに目を大きくした。
「なんと?」
 先代マクスウェル公爵は憚るように声を潜めた。
「お前の伯母であるマリーの息子のことだ」
 ザック・オーシャンだ。アーネストはすぐに思い当たった。彼が今王宮に罪人として捕らわれている。話があるとすれば彼のことだろう。
 しかし、なぜネフェイルからなのか。
 アーネストが疑問を表情に出すと、祖父は頷いて話を続けた。
「ホライゾ殿の弟子が、マリーの息子に世話になったらしい。それでその者が我が孫を助けたいと言っていると言うのだ」
 なんという繋がりだろう。
 アーネストは己の動悸がわずかばかり速くなるのを感じた。
「捕まっておるのがマリーの息子なら私は助けてやりたい」
 祖父は、しかし、と言葉を繋ぐ。
「その者が確かな悪人を庇い、その咎で捕らわれているというのならば、王室が正しい」
 祖父の眼差しは言葉なくとも語っている。アーネストは即座に頷いた。
「私が見極めてまいりましょう」