赤き魔女の封印 8

「ザックがイルタシアに捕らわれた」
 ネフェイルの一言に、フレイムは動くことが出来なかった。
「……え?」
 長い間を置いて、やっとそれだけの音が発せられた。
「闇音は?」
 グィンがすかさず問う。
 ネフェイルは眉を寄せ、厳しい顔つきで声を低くした。
「死んだ」
 その言葉の意味を理解することはできなかった。
 なんと言ったのか、もう一度尋ねようとしたところ、ネフェイルがまた口を開く。
「霊子に分解された。それは精霊にとっては『死』と言うだろう?」
 グィンに向けて問う。
 グィンは真っ青になって、ふらりと机の上で座り込んだ。そしてぽろぽろと、あっという間に大粒の涙が溢れてその頬を伝う。
 透明な滴が小さな膝を濡らすのを見て、フレイムはわずかに我に帰った。
「冗談、じゃないよね? ……だって、たちが悪すぎる……」
「残念ながら……たちの悪い、事実だ」
 ネフェイルは重く答える。
 フレイムは机に頼って立ち上がった。
「……ごめん……ちょっと……歩いてくる」
 ぼんやりした口調でそう言って、ふらふらと部屋を出て行く。ネフェイルは何も言わず、黙ってそれを見送った。
 外はいい天気だった。
 自分の目の動きに従って、視界に映るものが変わる。
 地面から草が生え、木が伸び、風がその間を舞う。
 そして、空はどうしようもないほどに静かだった。

         *       *       *

 手を伸ばして掴んだものは、空気だった。
 涙に溺れながら、ザックは目を覚ました。
 視界の先には青い壁。浮き彫りで巻き蔓が描かれた重厚な――ああ、壁ではなくて天井だ。
 自分は仰向けに寝ている。そう悟って、ザックは息を吐き出した。
 手の甲に触れる滑らかな感触は絹だ。
「……?」
 装飾の凝った室内に上等のシーツ。
(ここは……どこだ?)
 鈍い痛みの走る頭を押さえながら、起き上がる。
「イルタシア国ホワイトガーデン、王城ホワイトパレスの一室だよ」
 不意に響いた声に驚いて、ザックは声の出所を振り返った。
 扉の近くに丸椅子を添え、そこに腰掛けている男がいた。三十歳前後か、痩せ気味の目の細い男だ。白いローブが印象深い。
「僕はエルズ・キセット。もうしばらくは君の世話をする」
 ザックはしばらく男の言葉を反芻した。訳が分からない。
「なんで……?」
 自分は罪人として捕らえられたのではなかったのか。これではまるで客の扱いだ。
 エルズはザックの疑問には答えず、背後を振り返る。その仕草で、まだ他に人がいるのだとザックは悟った。
「陛下」
「……え!?」
 エルズの言葉にザックは驚愕した。国王がそこにいるのかと思ったのだ。
 しかしそれは間違いだとすぐに気づく。さらりと銀のドレスが絨毯の上を滑る。
(陛下は陛下でも、王后陛下の方だ)
 それにしても王后陛下がわざわざ罪人に会いにきたというのか。ザックは不安を感じて、シーツを握り締めた。
 それは美しい女だった。
 輝く銀糸の髪。深い紺碧の瞳とそれを縁取る長い睫毛。唇は血色が良く、優美な笑みを浮かべている。
 パスティア・ユンセイ・イルタス。イルタシア国の国主イルタス六世の妻――現イルタシア王后である。彼女はふわりと微笑んだ。それはどのように見ても、罪人に向けるものではなく、ザックは大いに困惑した。
「臣下が手荒な真似をしなかったかしら?」
 声までも美しい。
 ザックは答えられず王妃を見つめた。
 王妃は静かに歩み寄ると、わずかに背を傾けた。ザックに目線を合わせる。
「疲れているようね。だめよ」
 その聞き惚れる声が紡いだ次の言葉に、ザックはぞっと総毛立った。
「あなたは大切な人なのだから……。マリー」
「……な、なにを……言って……」
 渇いた喉から必死に声を絞る。
 マリー・マクスウェル。二十年近く前に死んだザックの母だ。
 パスティアが頬に触れてくる。優しい手つきだが、ザックはナイフの刃で撫でられている気分だった。
「マリー、あなたは私のもの。もう二度とどこへ行くことも許さないわ」
 澄んだ青い瞳、そこに浮かぶ光が狂信的なものであることにザックはやっと気がついた。
 彼女の背後で、エルズが小さく笑みを浮かべているのが目の端に映る。嘲笑のような薄い笑み。彼は知っていたのだ。この類まれな美貌を持つ王妃の、異常を。
「……い、嫌だ」
 首を振りながら、ザックは以前もそのように感じたことがあるのを思い出した。
 この王妃は嫌だ。
 一年前、大陸に来て間もない頃、偶然にも王族の馬車を見かけた。そのときに垣間見たパスティアに吐き気がするほどの嫌悪を覚えたのだ。
「……う……っ」
 ザックは思わずベッドに突っ伏した。
 喉に熱いものがこみ上げてくる。
「まあ、大丈夫?」
 あいかわらず気持ち悪いほどの優しい手が背を撫でる。
 その手に心臓が飛び上がるほど怯えながら、ザックは吐き気を堪えたながらも声を絞った。
「なんで……フレイムのことは……?」
「フレイム?」
 王妃は記憶を探る表情をして、すぐに、ああ、と言った。
「神腕の子どもね。罪人ですもの、捕らえなくては。あなたとは違うのよ」
 ザックは困惑した。自分はフレイムを庇ったために反逆罪を負わされたのではないのか。
「あなたがフレイムと一緒にいると知ったときには、驚いたわ。でもそうね。神器の持ち主さえいれば、あなたを探し出せるとは思っていたわ」
 それではフレイムが生け捕りとされていたのは、自分を探させるためだったのか。ザックは吐き気も落ち着いてきたので、さらに尋ねてみた。
「……イルタス王もそのつもりで、フレイムを?」
 王妃は長い睫毛を瞬かせ、笑う。
「王が? なぜ?」
 ぞくりと、背筋が冷えるのをザックは覚えた。
「あなたを必要なのは私よ」
 白く細い指が頬に触れる。ザックは息を呑んだ。
「マリー、ずっとここにいてね」
「お、俺は……」
 言い淀むザックを抱きしめ、王妃は相手の耳元で囁いた。あやすような柔らかい声音で。
「だって、あなたは独りになってしまったのに。私がいなければどうするの?」
 意識が落下する。
「……あっ」
 ザックは頭を両手で押さえた。
 光の渦が――を呑み込んでいく。消えていく!
「俺は……」
「あなたは私のものよ」
 青い青い瞳、海よりも深い。この海が自分を呑み込む。
 王妃の腕の中でザックは気を失った。