赤き魔女の封印 7

 スフォーツハッド家はホワイトパレスに程近いところに館を構えている。
 現当主ウィルベルト・スフォーツハッドの妻であるイリーナは突然の来訪客に驚いた。妻の護衛として常に館にいるウィルベルトの精霊サラも、同様に虚を突かれた様子で現れた男を見上げた。
「ヴァンドリー様、どうかいたしましたか?」
「うむ、突然すまない」
 黄色がかった緑の髪を持つ少女の姿をした風の精霊を見下ろして、イルフォードは軽く頭を下げた。
 その肩に主人の姿を見つけて、サラが驚きの声を上げる。
「ウィル!? 何かあったのですか?」
「少々……」
 イルフォードは言葉を濁し、視線を屋敷の奥へと滑らせた。
「スフォーツハッド君の部屋は二階でしたな。このまま運びましょう」
「あ……はい、申し訳ありません」
「いいえ。フォゾット君、アレスを」
 イルフォードはディルムに魔法剣アレスをイリーナに渡すように示した。はい、と返事をしてディルムは魔法剣をイリーナに手渡す。
 受け取った魔法剣をサラに渡し、青いドレスを翻してイリーナはイルフォードを先導するように歩き出した。
「フォゾット様はこちらでお待ちください」
 剣を抱えたままサラはディルムを応接間に通した。団長たちのことが気になるが、しゃしゃり出るわけにもいかず、ディルムはおとなしく席に着いた。
 サラは執事にディルムの相手をするよう伝えると、そのまま主人の後を追っていってしまった。

「ヴァンドリー様、あの……主人は……」
 イリーナは背後を振り返りながら、夫の上司を窺う。ヴァンドリーはうつむき加減に答えた。
「……少々、問題を」
「どのような……お聞きしてもよろしいですか?」
 イルフォードは間を置いて、首を横に振った。
「スフォーツハッド君に直接聞いてください」
「……分かりました」
 やがてウィルベルトの寝室に辿りつき、イリーナは鍵を開けた。
 ふと、イルフォードの背中でウィルベルトは目を覚ました。頭が酷く痛み、自分がどんな体勢になっているのか把握できない。
「ここは……」
「起きたか。お前の家だ」
 上司の声を聞き、ウィルベルトは起き上がろうとして、やっとその肩に担がれているのだと悟った。
「イっ、団長! 下ろしてください!」
「ああ」
 答えて、イルフォードはウィルベルトをベッドの上に放り投げた。
「……っ」
 最高級の柔らかいベッドに沈み、ウィルベルトはシーツに絡まれながら起き上がった。
「団長! 彼女は、あの精霊は!?」
 身を乗り出してくる部下をイルフォードは片手で振り払った。一言答える。
「死んだ」
 海だと形容されることの多い青い瞳が、見開かれて失望を映すのをイルフォードは静かに見つめた。
 相手の唇が震えるのを見て取り、先んじて口を開く。
「ザック・オーシャンの捕縛は終えた。任務完了だ。そしてお前の越権行為は許されない」
 一歩下がったところで、夫とその上司を見守っていたイリーナは片手で口を覆った。
「一週間の謹慎を命じる。家から出るな」
 団長の声は厳しい。
 ウィルベルトは立ち上がって、イルフォードを見据えた。肩を怒らせて問う。
「ザック・オーシャンの精霊を処分する件を、あなたは知っていたのですか?」
 イルフォードは視線を逸らす。ウィルベルトは息を呑んだ。
「イルフォード!」
 思わず、名を呼んで掴みかかる。
「あなた!」
 イリーナは声を上げて、ウィルベルトの袖を掴もうとした。が、それよりも先にウィルベルトはイルフォードに突き飛ばされてしまった。再びベッドに沈む。
「馬鹿者が!」
 怒声を浴びて、ウィルベルトは目を瞬いた。イルフォードに怒鳴られるなど何年ぶりだろうか。
「お前は自分が何をしでかしたのか分かっているのか! ただの越権行為ではない! お前は規約を踏みにじろうとしたのだぞ!」
 イルフォードは指を突きつけて、続ける。
「反逆罪だ!」
 イリーナは今度こそ眩暈を覚えた。倒れるかもしれないと思ったが、すっと横から腕が差し出される。見下ろすと、緑髪の少女が自分を支えていた。
「ああ、サラ……」
 サラはイリーナを見上げると、大丈夫ですか、と囁いて微笑んだ。夫の精霊であるこの少女は、子のない自分たちにとっては娘のような存在でもある。イリーナは息をついて、しっかりと足を踏んだ。
「いいか、しばらくは行動を慎め。お前の失言を聞いていたのはキセットだけだ。お前さえ失敗しなければなかったことにできる」
 イルフォードの諭しにウィルベルトはうつむいた。声を震わせる。
「そんな……地位のために……あの、精霊を……」
 イルフォードは舌打ちをする。
「泣くな。お前は自分の年を分かっているのか?」
 赤い髪――炎の剣士と謳われるこの魔法剣士は、しかしどうしようもない甘ったれであった。
 部下である前に、後輩でもあるこの男の、その性格にどれだけ振り回されたことだろうか。イルフォードは頭を掻いた。
「まったく。イリーナ殿はお前のどこが気に入ったというんだ」
 イルフォードは懐に手を入れた。青い石の付いたネックレスを引っ張り出し、ウィルベルトに投げつける。
「なんだ……? これは……」
 片手で受け止め、ウィルベルトは訝しげに石を見る。まさかプレゼントではあるまい。
「影の精霊のものだ」
「え?」
 ウィルベルトは目を見開いてイルフォードを見上げた。
「……私には必要ない。お前の好きにすればよい」
 そして、ウィルベルトを見下ろして、口調を変えて告げる。
「とにかく、一週間の謹慎だ」
 反論したいことがあるのか唇を歪める部下に、イルフォードは更に言った。
「これ以上、王の心労を増やしたくないならおとなしくしていろ」
 仕えるべき者の名を出されて、ウィルベルトは押し黙った。
 そうだ、もう久しく顔を見ていない。
「陛下は……近頃のお加減は……」
「悪くない。執務に励んでおられる」
 忠実に答えてやれば、案の定沈んだ顔をする。ウィルベルトは目線を彷徨わせて呟いた。
「……少し、休んだ方が……」
 イルフォードはため息をついた。
「そんなに心配するなら、休養をとるよう進言すればよい。ただし、一週間後にだが」
 一週間も後に、と不満そうな顔をする後輩に背を向けながらイルフォードは言葉を紡ぐ。
「友人として人目を忍んで会いに行けばよいだろう。ウィル、エイルバートはお前に会いたがっていた」
 イルフォードはそのまま出て行く。
 ネックレスを握り締めて、ウィルベルトは静かに頭を下げた。
「ヴァンドリー様をお送りしてきますね」
 夫にそう言うと、イリーナはサラを残してイルフォードを追っていった。
 サラは主人に近づいた。そしてネックレスを持つ手をとって、己の白い手で包む。
「……大丈夫?」
「え?」
「泣いていたでしょう?」
 大きな黄緑色の瞳に見つめられて、ウィルベルトは眉を下げた。
「あ、ああ……」
 ザックは闇音を失った。
 自分はサラを失うことに耐えられるだろうか――そう考えると、また目頭が熱くなってくる。
「あら……、ウィルは泣き虫ねえ」
 優しい笑いを含んだ声にウィルベルトは涙をとめることが出来なかった。
 王はなぜ、精霊を殺してしまう命令を下したのだろうか。否――彼がそんな命令を出すはずがない。
(エイルバート……)

         *       *       *

「陛下、ザック・オーシャンを捕らえました」
 エルズは片膝をついて、目の前の人物にそう告げた。相手は窓際に立ち、外を眺めている。高所を舞う強い風が銀糸の髪を攫った。
「そう……」
 パスティア王妃は髪を押さえて、金鷹副団長補佐を振り返った。
「……ようやく、この手に……」
 そう呟く唇は相も変わらず麗しい。そして。
 エルズは頭を下げる。床を見つめたまま、彼は嘲笑を浮かべた。
 縹深き瞳は相も変わらず――狂気的な美しさだ。