赤き魔女の封印 4

 いつの間にそこにいたのか、しかし確かにそこに現れた魔術師を闇音は見据えた。
(強い……)
 ウィルベルトのマントと同じ真っ白のローブ。それを留める金の飾り具。
(これが金鷹か)
 そしてこの男によって音もなく、気圧の変化もなく、結界が張られたことを闇音は悟った。静寂の結界はおそらく魔力の波動を遮断するものだろう。この結界内では魔術を使ってもネフェイルには気づかれない。
 ゆらりと前線に出てきた男を、ウィルベルトは横目に睨んだ。
「キセット殿、手出しは無用だ。これは剣士の戦いだ」
 剣と魔術を重んじる世界。貴族は一対一の試合を邪魔されることを忌み嫌う。
 エルズは笑って頷いた。
「もちろんだとも、スフォーツハッド君。私の相手はあちらだ」
 そう言って目線で闇音を示す。
 ウィルベルトは不愉快げに眉を寄せた。
「彼女は無関係だ」
「そうでもない」
 エルズは肩を揺すって見せた。
「ザック・オーシャンが精霊持ちであった場合、それを処分せよ」
 目を見開く金獅子副団長に、金鷹副団長補佐は残忍そうな笑みを向けた。
「僕にはそう命が下っている」
 何か言おうとするウィルベルトを制すように、エルズは先に口を開いた。
「手出しは無用だよ、スフォーツハッド君」
 そしてローブから腕を出す。その手には魔術具。銀色の錫杖は対精霊魔術を強化する補助器具だ。
 エルズは闇音に向けて声をあげた。
「僕はイルタシア王室直属魔術師団金鷹の副団長補佐、エルズ・キセットだ。我が君の命により、貴殿を処分する」
 ぴくりと闇音は眉を動かす。
「ご丁寧な……死刑宣告ですね」
 漆黒の双眸に浮かぶ光は凄絶だ。ディルムが気圧される中、エルズはその射るような眼差しをさらりと受け止めた。
「決められた文句を読み上げるだけさ。だが」
 赤みを帯びた茶色の瞳をエルズは細く光らせる。
「その意味に相違はない」
 かっと魔術具が輝く。ぎらぎらと強烈な光は忌まわしくさえあった。
 闇音は両手を前方に水平に構えた。
「夜の帳よ。底無き闇よ。落ちゆく深淵よ……」
 闇音の足元に紫に輝く魔術陣が描かれる。
「声無き女神よ」
 魔術陣から溢れた光が闇音の輪郭を覆い、そして消える。身体中に魔力が満ちた。
 肌にプレッシャーを感じるほどのその魔力に、ザックは手の平を汗で湿らせた。ウィルベルトは苦しそうな眼差しを向けている。
「素晴らしい」
 エルズは感嘆の声を送る。
「このような上級精霊と闘えることを僕は嬉しく思うよ」
 そして錫杖を構える。
「嘶(いなな)け! 嘶け、雷よ!」
 大気を揺らし、落雷が闇音を目指す。闇音は片腕を振って天を指した。
「愚かな空駆ける者よ、落ちよ!」
 一本の紫雷がエルズの雷を打ち砕く。どっと白い蒸気が四方に走った。足元をすり抜けていく風に、ザックは上級の魔術師同士の戦いの凄まじさを知った。
(闇音……)
 セルクと戦ったときでさえこれほどではなかった。
 心臓がぞくぞくと慄(おのの)くのを感じる。
 闇音とエルズの戦いに気を取られているザックの耳に、ウィルベルトの静かな声が響いた。
「危険な戦いだ。どちらかが――」
 語尾は再び響いた雷鳴に掻き消された。
 だが、ザックには分かった。歯を食いしばる。
「あんたを倒して、闇音を加勢する」
 ウィルベルトは首を振った。
「今すぐに投降して、私に二人を止めさせるほうが賢明だろう」
「黙れ。あんたは結局、王の言いなりだ」
 ザックは剣を握り締め、声を絞った。
「イルタス王は強欲だ。自国の領土を広げるために、フレイムの力を利用しようとしている」
 その言葉にウィルベルトが不快の色を示す。
「お前は王を勘違いしている。陛下はそのような方ではない」
「どう違うって言うんだ! 神通力は万の兵にも匹敵する、だから――」
「お前にエイルバートの何が分かるというのだ!?」
 自分の声を遮ったウィルベルトの叫びにザックは目を瞬いた。
「え? ……エイルバート?」
 王はイルタス六世ではないのか。
 ウィルベルトは表情を泣きそうな予感のするものに変えていた。
「彼は強欲などではない。……優しくて……強い……」
 震える声に、本当に泣き出すのではないかとザックは心配した。しかし、そんなことはなく、ウィルベルトは剣を構えなおした。
「私は金獅子の副団長だ。陛下の命に従う」
 奥深く澄んだ青い双眸に、ザックは囚われたように動けなくなった。
(なんだ……? 何か、おかしくないか?)
 ザックの知るイルタス王と、ウィルベルトの言う王は“一致していない”のではないか。
(俺は……本当に、イルタス王を知っているのか……?)
 突如と胸に湧いた不安は、そのまま隙になった。
 ザックが我に帰ったときには既に眼前にウィルベルトの剣があった。
「……っこの!」
 慌てて、剣を立てる。
 空気を劈(つんざ)く音が刃の上を駆けた。
(折られる!)
 力を受け流さねば、剣が折られてしまう。ザックは体を引き、くんっと手首を柔らかく曲げた。一瞬の火花を散らして、相手の剣が滑る。
 ウィルベルトは間を与えず刃を返し、そのままザックの剣の柄を切り上げた。同時にアレスが衝撃波を放つ。
 ザックの長剣は宙に舞った。どっと重い感触を耳に残して、地面に突き立る。
 青い光が視界の端に映り、闇音はそちらを見た――見てしまった。
「余所見、か。いいのかい?」
 エルズのねっとりとした声が耳を撫でる。
 はっとして防御の魔術を展開しようとしたが、遅かった。人間の上限にも近いほどの魔力を乗せた声が響く。
「冥王の嘆きを聞け!」
 放たれた魔術は恐ろしく速い。
 夜空を切り裂く雷の色をした光が、闇音を打った。
「ああ……っ!!」
 四肢を引き裂かれるような激痛が全身を襲う。魔術の効力を悟り、闇音は絶望した。
 はじめて聞くかもしれない闇音の悲鳴を耳にして、ザックは彼を振り返った。
 エルズが肩で息をしながら、笑う。
「霊子分解だよ。これで、おしまいだ」