翠の証 21

「飛竜……」
 フレイムは袖口で汗をぬぐいながら、現れた男を見つめた。
 相変わらず何を考えているのか読めない笑顔。飛竜はにこりとさらに破顔した。
「ネフェイルの居場所、分かるぜ」
 さらりと告げられた言葉にフレイムは目を見開いた。
「どうして、ネフェイルのこと……」
 飛竜はきょとんと目を瞬いた。当たり前だろうと言った表情で答える。
「ネフェイル・ホライゾだろ? 魔術の世界じゃ有名人じゃないか」
 フレイムは眉を寄せて首を振った。
「そうじゃなくて、なんで俺が彼を捜してることを知ってるのかって言ってるんだよ」
「ああ……」
 飛竜は納得がいったようで頷いた。
「そりゃ、おまえの魔術を追跡すれば分かることじゃないか」
 こともなげに答えられてフレイムは絶句した。
 他人の魔術を追うというのは言うほど簡単なことではない。探索魔術は術者の求めるものを捜して無作為に世界を飛び回る。それを確実に追尾しなければならないのだ。
 集中力と魔術の精度は並以上のものを要求されるだろう。
(まただ……)
 この飄々とした男はいとも簡単に高度な魔術を使う。たとえ神通力を持っていたとしてもそれを制御するだけの技術がなければ役に立たない。魔術は術者の魔力だけによるものではないのだ。
 天賦の才。そんなものが本当にあるのだと改めて思う。
「それでネフェイルの居場所なんだが……聞くか?」
 意地悪そうな笑みを浮かべた男に、フレイムは眉を寄せた。頭を過ぎったのは「医療費」と放心状態のザックだった。
「……なにか、見返りがいるの?」
「いや? ただプライドに触るんじゃないかと思っただけさ」
 そう言うと肩をすくめて笑う。
「まあ、ここはプライドをたてるより親切なお兄さんに頼ったほうが利口だが」
「親切なお兄さんはそんな嫌味なことは言わないよ」
 不機嫌そうに答えて、それからフレイムは一度小さく深呼吸すると、まっすぐに飛竜を見つめた。
「教えて。こんなところでもたついているわけにはいかないんだ」
 藤色の瞳は晴れた空を映して美しい。強い意志を感じさせるその輝きは、何か決意をした者のものだ。
 飛竜はにっと口の端を吊り上げた。赤い瞳が楽しそうに輝く。
「リルコのスウェイズだ」
 フレイムはその土地の名を知っていた。
 聖なる森として名高いシヤンに隣接する町だ。のどかな僻地。
 スウェイズについて考えているのだろう、遠くを見つめる少年を飛竜は観察した。
(ザックたちを守る決意はしたみたいだな。こんなガキがどこまで強くなるかは分からんが……。まあ、守ってもらわなきゃ困る)
 黒髪の青年のことを思い出して、自然と口元が緩むのを飛竜は自制できなかった。
 静かな雨の降る森で見つけた最高のブランド。それは――

 それを手にするのは自分だ。
(フレイムにも影の精霊にも渡さない……)
 どうせ彼らはまだ気づいていない。それならそれでしっかりお守りをしてもらえばいい。
 警戒が必要なのは別にある。
(白き城……その奥で目を光らせてる奴がいる)
 きらびやかな宮殿に潜む魔物。飢えた瞳で世界を見ている。自分の指は動かさず、獲物が捕らえられるのをただ待っているのだ。
 飛竜は目を細めた。
(ザックに賞金をかけてくれたのには感謝してるが、な)
 そのおかげで出会えたのだから。
「ありがとう」
 唐突に耳を打った声に飛竜ははっとした。相手があまりにも驚いたことに、さらに驚かされたのか色の白い少年が目をぱちくりさせる。
「……あの、教えてくれて……」
「あ、ああ……。大したことじゃないさ」
 嫌味ったらしく教えたので、まさか礼を言われるとは思っていなかった。飛竜はこっそりとため息をついた。
(……驚かすなよ)
 耳の後ろがくすぐったい。礼など言われたのは久しぶりだった。こんな少年に感謝されたのは、おそらく初めてだろう。
(まあ、悪い気はしないが……。どうせならザックがよかったなあ)
 翠を刷いた黒い瞳が強く印象的で、耳に触れる低い声が心地よかった。
 いや、心地よかったのはあの身を包む気だ。強気で、真っ直ぐな若木のような空気――本人ですら無意識に、必死につくろった見せ掛けの空気だ。針で裂けばあとは勝手に綻びていくだろう。
 綻びの向こう、たった独りで抱えてきた恐怖。それが、心地よかった。
 飛竜はちらりフレイムを見やった。
(さて、お前はその綻びを修繕できるか?)
 小さく笑うと、飛竜はくるりと振り返って歩き出した。
「じゃあな。早めに行けよ。賞金首がこぞって来る前にな」
 手を振りながら、背後の少年に忠告する。
「分かってる」
 短く、しっかりと答える声。
 それに満足して飛竜はその場から掻き消えた。
「転移……」
 飛竜が去ったのを見て、フレイムはぽつりと呟いた。
 魔術陣が輝いたのはほんの一瞬だった。やはり呪文は唱えず、前振りもなしに魔力を使う。
(……神通力じゃない……。けど似てる。何か媒介があるんだ)
 思い浮かんだのは魔具だった。魔術の発動を補助する道具。それを用いれば確かに高度な魔術も扱いやすくなる。
 しかし。
(そういうのを使うのが好きなようには見えない、よね)
 自分の身一つで生きてきた、気ままな放浪者。そんな印象が飛竜にはあった。
 自己中心的で軽薄、人を傷つけることに躊躇しない冷たい瞳。しかしそうかと思えば、治癒魔術にも長け、的確な助言を与えてくる。
 本当に、気まぐれだけが行動理由のような男だ。フレイムには彼を理解することはまだ困難なように思えた。
 誰もいない道を見つめる彼の前髪を風が撫でた。
 雨上がりの冷えた風。空は高く、雲は細くたなびいている。見上げて、フレイムはまぶしさに目を眇めた。
 秋の始まりだ。