翠の証 6

 太陽は昨日同様、節操もなくぎらぎらと輝いている。その陽光をそっくり写したかのような金の麦穂。フレイム達は汗を流しながら、ドワーフを追い掛け回した。
 もともと、フレイムの運動神経はお世辞にもいいとは言えない。直線を走るだけなら同じ年の子らにも負けない自信はある。しかし植えられた作物を避けながらの作業はもちろん、ドワーフ達はすばしっこく、実に骨の折れる仕事であった。
「捕まえた!」
 フレイムは黒い土の上に転がりながらも、やっと一匹目を両手で捕らえた。手の中でじたばたと小人が暴れる。
「離せよぅ! 人間!」
 ドワーフはしわがれた声で喚いた。鼻は鷲鼻で、小さい目がじろりとフレイムを睨む。
「……そんなこと言われても……。君達、放っておいたら農作物荒しちゃうだろ?」
 フレイムは小人が逃げないように注意しながら、ぺたんと地面に座りこんだ。
「おいら達だって、食わなきゃ生きてけないんだ」
「……でも……」
 フレイムは唇の端を下げて、ドワーフを見つめた。そこへ上から白い手が伸び、小人の首根っこを掴んで持ち上げた。闇音はそのまま、ドワーフをぽいと籠の中へ入れてふたをした。
 まるで携帯の監獄に放り込まれたようかのに、ドワーフは竹の柵を握り締めた。
「なんだよぅ。出せよ!」
「食べなきゃ生きていけないなんて、自分達で畑をこしらえてから言いなさい。人様のおこぼれにあずか与ろうなんて百年早いですよ」
 闇音は小人を叱咤して、そのまま籠を抱えると、グィンのほうへ行った。フレイムはその様子を呆気にとられて見ていた。
「……闇音さん、強い……」
 グィンは虫籠の中に捕らえられたドワーフ達と、世間話をしている。小さい者同士、話があうのかとフレイムは思ったが、あえてそれは口に出さなかった。
 ザックは二本の細い広葉樹の下で、シギルの水筒の見張りを言い渡された。今のところそれを忠実に守り、じっと木の下に座っている。実際、動き回ろうにも彼はそれほど回復していなかった。熱が尾を引いているのだ。
 闇音もその様子を見とめ、別段彼に気を掛けはしなかった。
 シギルの畑は広大で、麦の丈は高く見通しが悪い。そのとき、もうフレイム達の目にザックが座っている広葉樹は捉えられなくなっていた。
 樹の作る深い緑の影。時折吹いてくる風が心地よい。
 久しぶりに安穏な空気を得て、ザックはぼんやりしていた。
 そばには剣が転がっている。暇があれば磨こうと思って持ってきたのだが、暇があっても今は武器の類には触れたくない。
「お前は加勢しないのか?」
 ふと、頭上から声が降ってきてザックはそちらを仰いだ。
 白っぽい茶色の髪。ボタンがないくせに前の開いた上着、だぼついたズボンは布のベルトで固定してある――つまりは、変な民族衣装。目に入ったものを頭の中で整列させながら、ザックはきょとんとその男を見つめた。
 男は目の前に広がる麦畑を見渡した。
「みんな畑仕事をしているんじゃないのか? お前はさぼっているのか?」
「……病み上がりは必要ないんだとさ」
 ため息混じりに答える。正確には病み上がりだと言えるほども回復はしていないのだが。
「おまえは?」
 続けてザックは質問し返した。男はどう見てもこの国の人間ではない。
「俺? ちょっとした理由で今は海外旅行の真っ最中さ」
 男はあっさりと、笑み付きで答えた。
 その時、やや強い風が二人の間を割った。ザックは風の吹いてきた方を見つめた。空の彼方がどんよりし始めている。彼が昨日読んだ風がやっと雲を運んできたのだ。しばらくすれば今の晴天は嘘だったかのような曇天になるだろう。
「雨になれば、野良仕事も終いだな」
 ぽつりと呟く。
「ああ、けれどお前には雨が降っても付き合ってもらいたいな」
「は?」
 間抜けな声がザックの喉をつく。男はそんな彼を見下ろして、面白そうに笑った。
「なあ、ザック・オーシャン」
 囁かれた名前。ザックはさっと身を翻して、傍の剣を掴もうとした。
 が、できなかった。
 体が上手く動かせない。それを悟っただけだった。男もそれに気付く。
「ああ、病み上がりだと言っていたか。じゃあ、無理かな?」
 ザックは男を睨んだ。
「なんだ、お前」
 険悪な声にも臆せず、男は笑った。
「飛竜」
「……ひ、りゅ?」
 男の名は聞いた事のない響きだった。どこの国の言葉なのか分からない。
 上手く反芻する事ができず、ザックは眉を寄せた。
「それで、俺に何の用だ?」
 何とか掴んだ剣に頼って立ち上がる。飛竜は片眉を上げた。
「その様子じゃ、まだ知らないんだな。まあ、リスト更新が行われたのは三日前の事だ。隣国まで伝わるにはもう二、三日いるな」
「……なに?」
 飛竜の言いたい事を量りかねて、ザックは首を傾げた。
 赤い瞳が陽に輝く。
「ザック・オーシャン。重犯罪者フレイム・ゲヘナを庇ったため、反逆罪適用。その身柄を拘束した者に五億フェルの恩賞を与える」
 飛竜はすらすらと暗唱してみせた。言い終えて、ザックを見やる。十分に衝撃を受けてくれたらしい。じっとこちらを凝視している。
「三日前にイルタシアの犯罪者リストが更新された。お前は最新で最高の賞金首だ」
 犯罪者。
 その一言が頭の中で増幅していくのをザックは感じた。それはフレイムを庇うと決めた時に覚悟した事だ。
 けれど五億と言う高額を吹っ掛けられるとは思っていなかった。誰がそこまで事を大きくしたのか。
 過ぎったのはシェシェンで壊滅させた私兵団。迷彩服のガンズ。――彼ではない。彼の雇い主の仕業だ。そう確信して、ザックは奥歯を噛んだ。
 と、そこまで考えて。では、この目の前にいる男は?
「……賞金稼ぎ……」
 呆然と呟く。
「当たらずとも遠からず」
 飛竜は笑った。
「別に賞金稼ぎを生業としているわけじゃない。ただやっぱり犯罪者のうちの幾人かは闘って面白い奴らだ。犯罪者リストは俺にとっては、遊び相手リスト、かな」
 ザックはぐっと剣の柄を握る手に力を込めた。
 射るような眼差しを、飛竜は静かに受け止めた。一歩、ザックの方へ寄る。
 ザックはおぼつかない足元で重心を変えた。剣を振り上げても倒れないように。
「……美男だな」
 ぽつりと一言。
「……は?」
 先ほどよりも間抜けな声を上げてしまった。
「ガンズを倒したと言うから、それ相応の豪傑だと思っていたんだが」
 真面目な顔をして飛竜がますますこちらに近づきながら続ける。しかしザックは引くことができなかった。いや、引くことを忘れていた。
 眼前に赤い双眸。
「俺好みの顔をしている」
 その瞬間、ぞっと全身に鳥肌が立つのを、ザックは自覚した。
 飛竜はにっと笑った。尻尾を膨らませて警戒する猫のようになってしまったザックを見下ろす。
「……でも、遊べないんじゃダメだ」
 麦畑のほうを振り返る。
「フレイムと遊ぼうかな……。いるんだろ? ここに」
 その言葉にザックは我に返った。
 変態だろうと、賞金稼ぎは賞金稼ぎ。ここでフレイムと闘えば、被害を被るのはシギルの畑だ。それは許さない。
「……遠慮しなくていいぜ」
 ザックが口を開く。
「俺と遊ぼう、ヒリュウ」
 やや驚いたような顔をして飛竜がこちらを向く。それはすぐに笑みに変わった。
 おもちゃを目の前に差し出された子供の瞳だ。
「本当に?」
「ああ。けれどここは、ダメだ」
 目で麦畑を示す。
「ん? そうか、畑だものな。じゃあ、森の前の空き地へ行こう。あそこなら誰も邪魔しない」
 そう言って、まるで遠足にでも行くかのような足取りで飛竜が踏み出す。
 案外、簡単に要求を受け入れてもらえたことにザックはほっとした。
 畑を振り返る。フレイムも、闇音もグィンも見えない。シギルも。
(……これでいいよな)
 眩しい麦穂の波を見つめて、目を細める。
 こうしてじっと視線を送っていたら、闇音が気付くのではないかと思った。
 ザックは首を振って、歩き出した。飛竜のあとにつく。
(足手まといが仕事の邪魔までするのは、なし、だろ?)