金の流れ星 17

 フレイムが朝食を終えるとザックが意見を出した。
「なあ、山を下りて街道を進まないか」
 フレイムはためらって睫毛を伏せただけで、ザックが上げた腕はそのままになった。
「……俺、余り人目に付きたくないんです」
 青年はこほんと咳をし、静かに腕を下ろした。
「街道は整備されてて歩きやすいし、食糧も寝床も確保できる。魔物に襲われる心配もほとんどないぜ」
「それはそうなんですけど……」
 街道の所々にある関所には役人がいる。ガルバラと隣国イルタシアの国交は現在良好である。イルタス王が、ガルバラにも令状を出している可能性はある。
「ガルバラは広い。あんな令状、でかい都市にしか配布されてないって」
 フレイムはそれでも不安そうにうつむく。ザックは話にならないと両手を上げた。
「フレイム様。確かにザックはまだ弱いです」
 闇音が落ち着いた声でフレイムに話しかけた。ザックがおいおいと言う顔をしたが、ここは闇音に任せることにして押し黙った。
「弱いと言っても、その辺りで関所を守っている傭兵よりは腕が立ちます。ガンズのような者はガルバラにはそう多くはいません。ガルバラを抜け、より大きな国に出る頃にはザックの剣の腕もだいぶ上がっているはずです」
 フレイムはザックのほうに視線を向けた。彼は当たり前だと言うように大きく頷く。
「私も神腕には劣りますが、これでも上級の精霊です。決してフレイム様を悪しき者に渡したりはしませんよ」
 フレイムは睫毛を伏せた。
「……俺、みんなを危険な目には合わせたくないんです」
「大丈夫だって言ってるのに。どうしてお前は信じようとしないんだ」
 ザックが責めるように言うと、フレイムは弾かれるように顔を上げた。
「ザック」
 闇音が咎めるように名を呼ぶ。
「……違います。信じてない訳じゃないんです」
 フレイムはぎゅっと手を握り締め、掠れそうな声を絞った。
「……神腕のせいで……、俺……」
 きつく目を瞑り、忌まわしい過去を瞼の裏に描いた。
「恋人が殺されたんです……」
 三人は息を呑む。フレイムが人との関わりを避ける一番の理由。
「また、この腕のせいで、誰かが……。……俺、怖くて……」
 すべての不安を払うように、首を振る。 
 きつく握り締め、白く震える指の間が赤く滲んでいることに、ザックが気づく。
「フレイム!」
 フレイムの手を取ると、固まったようなこぶしを開かせた。
「バカ! お前は何やってんだ!」
 フレイムはザックにしかられ、血の滲む手のひらを見た。そこでやっと自分が何をしたのかに気が付いたようで、深く息をつく。
 手の傷はグィンが治した。
「フレイム……」
 ザックはそのままフレイムの横に腰を下ろすと、ゆっくり口を開いた。
「俺は死なない……とは約束出来ない」
 フレイムは顔をあげ、ザックを見た。日の光の下、こんなに間近で彼を見るのは初めてだった。フレイムは青年の黒い瞳が淡い翠を含んでいることに気がついた。
「人がいつ死ぬかなんて分かりはしない。もしかしたら、この一秒後に死ぬかもしれない。死ぬかもしれない、なんて思ってたら何も出来ないぜ」
 ぽんとフレイムの頭に手を置く。
「死ぬかもしれないなんて思うなよ。『今、生きている』ってそれだけを感じろ」
 フレイムは淡い藤色の双眸を瞬かせた。
「今……生きている」
「そう、それだけで十分。要らんこと考えるから、不安ばっかりで勇気が出ないんだ」
 フレイムは睫毛を伏せ、
 ――今、生きている
 そう心の中で繰り返した。
 生きているから、人は温かい。
 自分の手のひらに視線を落とす。傷が付けば血が流れる――生きているから。
 ぐっと握り締め、しっかりとうなずくと、笑みを浮かべた。
「じゃあ、山を下りましょう」
 ザックは歯を見せて笑うと、置いていた手でくしゃくしゃとフレイムの頭を撫でた。
「山通って行くのも、それは見つかりにくいとは思うけど。どうせ、追われてることには変わらないんだ。いろんな街のいろんなもの見た方が得だと思うぜ」
 フレイムは笑顔でうなずく。
「何二人で、勝手に話しを進めてるのさ」
 グィンが肘でフレイムの頭を小突いた。口に手を添え、小さな妖精は他の二人に聞こえないように囁いた。
「すでに親友?」
 耳元でぽそりと呟かれ、フレイムは笑った。
「これからだよ」
 そう答えると、グィンも笑った。
 ザックは闇音と山を下りる準備をしている。フレイムも二人の傍へ歩み、準備に加わった。
 周りの木々は日の光にまばゆく輝いている。
 風が吹いて、フレイムは空を仰いだ。白い雲が東へ流れていく。
(あの雲が流れていくところに、俺達も行くんだ……。この空の下ならどこへだって進んでいいんだ)
 右手を握り締める。過去のことを思えば鈍い痛みが甦る。この痛みを自分が人を殺めた罪と一緒に生涯背負うことになるのだろうと思った。
 アーシアが死んでから、村を焼き尽くした時から、これまで何にしても神腕を使わぬように心がけてきた。それが償いだと。しかし、これからは。
(神腕で二度と人を殺したりはしない。でも、神腕を使わないわけじゃない)
 青い青い空を見つめると、その彼方に吸いこまれそうな感覚に陥る。
 ガラス玉の瞳は空の青を映し、湧き溢れる清流のように美しく輝いている。
(これからは、人を救うために。傍にいる人たちを守るために使うんだ)
 フレイムは静かに睫毛を伏せた。
「フレイム! 行くぞ」
 背後から響く温かい声に、淡い髪をした少年は笑顔で振り返る。
 彼を待つ、仲間の元に新たな気持ちを携え、駆け寄るのだった。