金の流れ星 15

「アーシア!」
 夢の中で少年は叫んだ。
 美しい亜麻色の髪が宙をなびいて視界から消える。
 その先に、こちらに拳銃を向ける男がいる。険しく、感情が殺された瞳が亜麻色の髪を追っているのが見えた。
 自分の口から漏れる以外は何者も音を生み出さない。この夢はいつもそうだった。
 少年は床に座りこんで、倒れた女性を抱き上げた。その胸は赤く滲んでいる。
「アーシア! ……どうしてっ」
 女性は涙に濡れた蒼い瞳をかすかに開き、わずかに唇を動かした。
「そんなこと出来ない!」
 少年は激しく首を振った。
「世界中の誰が忘れたって、俺はアーシアを忘れたりしない!」
 女性の長い睫毛から涙があふれる。少年はきつく彼女を抱きしめた。
「それが……っ、……俺がアーシアを愛した証だ……」
 彼女は少年の耳元でかすれた声を絞った。
 そして静かに目を伏せた。女性の体から力が抜ける感触に少年は喘いで、涙を零した。
 男が女性の亡骸を見やり、ゆっくりと口を開く。
 少年は顔を上げ、激しい憎悪を男に向けた。男の唇がにやりと歪む。
 少年の右腕が、金色に輝いた。

「あっ……」
 フレイムは自分の流した涙が頬を伝う感触に目を覚ました。冷たい夜風が頬を掠め、こちらが現実だと理解する。
 涙を拭くと、自分の右腕を毛布から出し、見つめる。
(そうか……今日は神腕を使ったから……)
 だからあんな夢を見たのだ。
(もう、現実であんな思いはしたくない……)
 こぶしを握り締め、フレイムは睫毛を伏せた。
 ふと、起き上がり辺りを見まわした。
 先程消えたのか、灰色の焼けた木が所々赤くくすぶっている。
 横に目をやると三人が眠っている。自分の記憶は、血まみれで青い顔をした青年で途切れていたので、静かな寝息をたてるザックを見とめるとほっとした。
 雲は切れ、月の光が降り注ぎ辺りは明るくなっていた。
 すっかり目を覚ましてしまったフレイムは毛布を持って立ち上がった。ザックの傍に行き、毛布をかけると火のない焚き火の近くに座った。
 フレイムは焚き火をもう一度つけなくてはと思った。この辺りの山は魔物が少ないが、煙は虫除けにもなる。
 人差し指と中指を立て、その手を口の前にやると、小さな声で呪文を吐きかけた。二本の指の上に小さな火が点る。少年の白い指がロウソクのようであった。
 傍らにあった枯れ枝と枯れ草を灰の上に置き、火をつけた。はじめ火は草の上でくすぶっていたが、しだいにぱちぱちという音をたてて木を燃やした。
「それも神腕てやつの力なのか?」
 唐突に背後から響いた声に、少年は跳び上がるほど驚いた。
「……ザックさん」
 高鳴る胸を撫でながら振り返った。
 黒い髪の青年が炎の光を受けて、赤い顔をこちらに向けて起き上がっている。
「ごめんなさい。起こしちゃいましたか?」
「いいや」
 ザックは首を振ると毛布を置いて、傍に歩み寄った。
(昨日は、全然起きなかったのに……)
 フレイムは少しおかしなモノを見るように、横に座ったザックを見た。
「闇音が神腕には呪文が要らないって言っていたが?」
 ザックがフレイムの指を指しながら言った。フレイムはさっき火をつけた自分の手を見た。
「……さっきのは普通の魔術です。簡単なものなら、俺も使えるから」
「ふぅん」
 フレイムは視線を炎に向けたまま口を開いた。
「あの、神腕のこと……グィンに聞いたんですか?」
 その声は微かに不安を孕んでいる。ザックは少年の細い肩が震えているのを見た。
「いや、闇音が知ってて……。お前のチビが自分からばらしたんじゃないぞ」
 フレイムは小さくうなずく。尋ねておきながら、彼の耳にザックの声は届いていない。
 自分を「高額の賞金首」と知る者と、「神腕の持ち主」と知る者に対する恐怖は全くの別物である。フレイムにとってザックは再び脅威となったのだ。
 細い体をした少年は明らかに怯えている。神腕という途方もない力の塊を携えた少年が、自分を利用しようとする者を恐れる気持ちは分かる。だがザックには、そんなことをするつもりはもちろん微塵もなかった。
「おかしな誤解をするなよ。ちゃんと話をしようぜ」
 フレイムは首を振った。何もかもに不安を覚え、子猫のように体を小さくして震える。
 頭から信用しようとしない態度に、ザックは小さな苛立ちを覚えた。
「こっち、向けよ」
 静かに、しかし短く言いつけた。フレイムは睫毛を震わせてうつむく。
 ザックは顔をしかめると、横にあった枯れ枝を掴み炎に投げ入れた。ぱちんと炎がはぜる。
「フレイム」
 青年の声は不機嫌に低く響いた。フレイムは肩をすくめたまま顔を上げない。
 ザックはむっつりとため息をついた。
「こっちを向かないなら、てめえを役所に突き出すぞ」
 短く告げられた言葉に、フレイムは弾かれるように顔を上げた。
 瞬間、ザックは両手で少年の小さな顔を挟んだ。
「あっ……」
 フレイムは小さく声を上げ、視線を逸らす。
「往生際が悪いぞ」
 ザックがそう言うと、フレイムはおそるおそる青年の顔を見返した。
 それでもザックの黒い瞳を見ることは出来ない。
「役所になんか連れて行かねえよ。俺は別にお前を利用しようとか、イルタス王に売りつけようなんて思ってないよ」
 ザックは声を落ち着けて、諭すように言った。
「命の恩人に仇なすほど、人悪くは育ってないつもりだ」
 フレイムが瞬きをすると、睫毛から雫がこぼれた。ザックは驚いて手を離す。
「……フレイム」
 フレイムはしゃくりあげ、涙をぽろぽろと落とした。
「だって、みんな……みんなそう言うんだ」
 ザックは息を呑み、肩を強張らせた。
「俺……信じられないよ……」
 フレイムは首を振り、崩れるように体を伏せた。ザックはその肩を支え、むせび泣く少年を見下ろした。
 今まで、一体何人の者がこの少年に出会い、騙して去っていたのだろうか。
 胸のわだかまりがしだいに大きくなり、きりりと痛みを伴うのを感じた。
 ザックは少年を起こすときつく抱きしめた。フレイムは体を硬くして、薄い胸を喘がせた。
「どうやったら……信じてくれるんだ」
 ザックは唸るように声を絞った。
 壊れそうな色の瞳をした少年は、体を締めつける力の強さに眩暈がした。
 フレイムが苦しそうに息を震わせたのにザックは気づいて力を抜いた。だがその腕は少年の細い体を開放しようとはしない。
 フレイムは額をザックの胸に預け、うつむいて震える唇を開いた。
「もう……俺に関わらないで……」
 ザックは愕然とした。
 拒絶。それが少年の選んだ、少年の心を守る術だった。
 ザックは腕を伸ばし、フレイムの体を支えると、その顔に触れた。フレイムはされるがままだったが、その瞳はもうザックをとらえてはいない。
「それしかないのか……」
 ザックは掠れた声を出した。
 ふいに月を雲が覆い、辺りが暗くなる。ぱちぱちと炎の燃える音だけが響く。
 数秒後、再び月の光が降り注ぐ。上方から青い光、右下方から赤い光を受ける少年はあまりにも幻想的で、儚かった。
 ザックはその柔らかい髪を撫でた。フレイムの肩がびくりと跳ねる。
「や……、離し……」
 切れぎ切れの声を絞り、フレイムは青年の胸を押しやった。
 ザックはフレイムの瞳をじっと見据えた。
「俺に出来るのは、お前が落ち着くよう頭を撫でてやるだけだ」
 囁いて、それからにやりと笑う。
「お前が女だったらもっと別の慰め方もあるんだけどな」
 冗談にもフレイムは生真面目に首を振る。ザックは苦笑した。
「ガキだな」
 フレイムは腰をずらして後ろに下がり、ザックとの距離をあけようとする。
「おいおい」
 ザックが逃げる足を掴んだ。フレイムの足首は、ザックの手のひらで容易に掴み取ることが出来た。
「は、離してください!」
 フレイムは慌てた。
「嫌だね」
 ザックは短く答え、足を掴んだまま、フレイムに詰め寄る。
「お前が寝ている間にな、闇音とグィンと話をしたんだ」
 ぱちんと炎のはぜる音にフレイムは顔を向けた。
「こっちを向けって」
 あいている手でフレイムの頬に触れる。フレイムは、今度はザックの真摯な眼差しを受け止めた。
「俺と闇音はお前と一緒に旅をすると決めたんだ」
 フレイムはゆっくりと目を見開いた。それは彼がザックの言葉を理解する早さであった。
「……一緒に?」
 フレイムは小さく呟いた。
「そうだよ。俺はイルタス王みたいに他力本願な男は大っ嫌いだ。そんな奴の好きにはさせない。それにお前と一緒にいれば、またガンズと闘える」
 ザックの言葉にフレイムは顔を青くした。炎の光を左から受ける青年は、笑みを浮かべて続けた。
「今すぐには無理だが、いつか必ず勝ってやる。負けたままじゃすまないんだ」
 力強く響くザックの声にフレイムはただ聞き入っていた。
「あとな、これが一番の理由なんだが……上手く言葉にできないんだ……」
 急に力を落としたザックに少年は首をかしげる。青年は恥ずかしそうに鼻の頭を掻き、ためらいがちに口を開く。
「単刀直入に言うと、お前を守りたいんだよ」
 フレイムは首をかしげたまま、瞬きをした。
「子どもが泣いてるのがな……、俺は苦手なんだ。お前が笑っていられるように、一緒にいたいんだ」
 ザックは恥ずかしくてうつむいていたが、そこまで言うと顔を上げた。
 フレイムは瞬き一つせずに、こちらを向いていた。
「……フレイム?」
 ザックが手を伸ばすとフレイムがその手を掴んだ。両手でザックの手を握り締め、うつむいた。淡い色をした前髪が握られたザックの手に触れる。
「……本当に……?」
 祈るようにフレイムは声を絞った。その手は小さく震えている。
 ザックは口で答える替わりに、もう一方の手をフレイムの手に重ね、力を込めた。
 二人の間に、ぽたぽたと雫が落ちる。
 ザックはそれを見とり、震える少年の肩を抱きしめた。
「俺はお前を裏切らない」