金の流れ星 13

「……空間移動の魔術……」
 辺りを見まわし、闇音は息をつきながら言った。
 フレイムは荒い息をつくと、支えていた糸が切れたように倒れた。
「フレイム様?」
 闇音は慌ててフレイムの上体を支えた。少年は冷たい汗をかき、気を失っている。
 グィンが闇音に囁いた。
「あんなふうに魔術を使うのはフレイムにはきついんだ。魔力をめいいっぱい制御しなくちゃならないから」
 ザックはゆっくり上体を起こすと、闇音の腕を支えた。
「替われ。俺が持つ」
「何言ってるんですか。無理です」
 闇音がぴしゃりと咎める。
 グィンは口元を引き結ぶと、ザックの怪我をしている肩に下りた。
 傷口にそっと触れ、呪文を唱えた。ゆっくりと、流れていた血は乾き、傷は閉じていく。ザックは目を丸くしてグィンを見た。
「昨日のお礼だよ。僕だって役に立つんだからね」
 グィンは照れ隠しに口を尖らせた。ザックはこの日はじめて目元を緩めて笑った。
「ああ、サンキュ」
 闇音からフレイムの体を受け取ると立ち上がり、フレイムの頭が自分の肩に乗るように抱き上げた。
「今夜はここで休むのか?」
 グィンはフレイムの蒼白な顔を見つめて答えた。
「多分……。ここまで跳んだって事は。ノムの木の下だし、近くに小川の流れる音もする」
 ノムの匂いを魔獣は嫌うのだ。小川があれば水も確保できる。
 ふむとうなずき、ザックは闇音にあごで示した。闇音はザックの鞄を開くと毛布を取り出した。木の下に毛布を広げると、ザックはそこにフレイムをそっと寝かした。
「よし。闇音、今日はもういいぞ」
 毛布をかけながら闇音に言うと、彼は首を振った。
「いいえ。まだ、知りたいことがあるのです」
 闇音は近くから薪を拾ってきたグィンを見た。
「フレイム様の力のこと、話してください」
 グィンは持っていた枯れ枝をぎゅっと握り締める。
「僕が話せるところまでだったら……いいよ」
 ザックがグィンの拾ってきた薪に火を起こした。顔に赤い光を受け、ためらいがちに口を開いた。
「ガンズは……殺したのか?」
 グィンは首を振った。体育座りをしている闇音の膝の上に腰掛けている。
「あれはね、ガンズの周りに結界を張って、その中の空気を抜いたんだ。ガンズは気を失っただけだよ。起きてもしばらくは頭痛がすると思うけど……」
 そっと肩をすくめて続ける。
「あんなことをするより、殺してしまうほうがフレイムには簡単なんだ。フレイムは魔力が大きすぎて、制御が大変だから……」
 闇音が閉じていた瞼を上げると重々しく口を開いた。
「あれは『神腕(しんわん)』ですね」
 グィンははっとして闇音を振り返った。ザックが聞きなれない言葉を繰り返す。
「しんわん?」
 グィンは膝を抱えて炎を見つめた。
 間を置いて、いくらかはばかりを気にする口調で語り始める。
「僕達精霊は仕える神の加護を受けて、その力を行使することができるんだ。そのためには何らかの方法で、神の世界にチャンネルを開き、力を請わなきゃならない」
 闇音が後を続けた。ザックが魔術を扱う者ではないのでゆっくりと説明した。
「一般的にはそれが呪文です。精霊は呪文が短くてすみます。簡単なものは呪文も必要ありません。霊的な力を元より備えていますから。人間は長大な呪文、必要に応じては魔具も使用するのです」
 静かに眠っているフレイムに目をやる。
「神腕はそれ自体が神の世界に通じるもの。それゆえ神腕を持つ者は、呪文も何も使わずに膨大な魔力を使用することができるのです。神腕によって引き出される魔力は『神通力』と呼ばれます」
 ザックは息を呑んだ。先刻のガンズの言葉が頭の中でやっと意味を成した。
「それじゃ、フレイムは罪人として追われてはいるが……」
 グィンがうなずく。
「イルタス王はフレイムの力が欲しいんだ」
 嫌悪とともに吐き捨てた。
 つまりイルタス王はフレイムに高額の賞金を掛け、人々に捕まえさせようとしているのだ。そうして巧みに万の軍隊にも勝る力を手に入れようというわけである。それゆえ、「生け捕り」が第一条件に挙げられていたのだ。
 闇音がザックのほうを向いた。
「現国王のイルタス六世は正式の嫡男ではありません。前王の正妃の娘であるパステァ皇女の夫として王室に入り、国王の座についたのです。彼が強欲な者であるなら、フレイム様の力はなんとしてでも手に入れたいでしょう」
 ザックは炎を見つめ、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「世界の覇者となることか……」
 赤い炎の作る光はゆらゆらと揺れている。炎だけを見つめれば、その温かさに安らぐ。だが、その影を見るとなんとも心がざわついて落ち着かないものだった。
 ザックはフレイムを見た。先程よりは顔色もよくなっている。あどけなさを残す寝顔は白く、綺麗だった。
 一国の王がこんな少年を操ろうというのか。
 吐き気にも似た思いが、胸でわだかまりをつくる。ザックは苦々しく視線を炎に戻した。
「あいつは……どこまで逃げ続けるんだ?」
 グィンは目を瞑り、首を振った。
「わからない」
 闇音の膝から飛び降り、天を仰ぐ。小さな体は不安とそれを超える決意に震えた。
「だけど僕はどこへだってついて行くんだ。一年前、助けられてから、僕の命はフレイムのものだ」
 闇音はグィンの気持ちに共感する部分があった。精霊の多くは人間を好きでもないし嫌いでもない。彼らは愛情というものがいくらか希薄であった。
 だが一度惚れてしまえば、彼らは死の間際までその者に尽くす。
 炎の輝きを受ける主人の横顔を影の精は静かに見つめた。出会って半年。しかし、闇音は彼が何を思っているのかが感じ取れた。
 出会ったばかりの少年を守りたい、と。
 闇音は睫毛をやや伏せた。漆黒の瞳は憂いを秘めていた。
(彼は愛を注ぐことを惜しまない者だ。惜しむことを知らないのだ。緑豊かな島と果てなく広がる海を見て育ったから)
 だから自分は彼を愛しているのだ。彼の意思に背こう筈もない。
 しかし、人の持ち得るものを超える神腕は危険を伴うばかりである。
 フレイムを見た。
(出会うべきではなかったのだ。助けるべきではなかったのだ)
 長く、淡い色をした睫毛を伏せた少年の寝顔。
 深い悲しみをたたえたガラス玉の双眸が脳裏に甦る。彼が誰にも助けを求めることもなく、声なき悲鳴を上げていることは感じていた。闇音自身も昏き所に生まれた者である。
(フレイム様にはザックが必要なのかもしれない。出会いは神が定めたのか……)
 闇音はきつく目を瞑った。子どもじみた嫉妬に対する自己嫌悪が、重く彼を侵す。
「闇音?」
 唐突に響いたザックの声に、弾かれるように闇音は目を開いた。
「どうした? 疲れたのか? 他人の結界内で魔術を使うのってしんどいんだろ」
 こちらを向き心配そうに話しかけてくるザックに、闇音は軽い眩暈を起こした。
 こめかみに手をやり、ちかちかとする目を閉じる。
「……いいえ、大丈夫です。ただ……」
「『ただ』?」
 ザックは首を傾け、闇音の言葉を反芻する。子どものような仕草に闇音はやや呆れた。
「……なんでもありません」
 ――自分は相当この男にまいっている。
 そう悟り、何やらさっきより頭が重く感じ、闇音は深く息をついた。
(なんと言うか……何故だろう。彼は愛を惜しまないうえに、誰にでも与えるのだ。悪く言えば八方美人……というところか)
 若い主人は頭の上に疑問符を浮かべて、こちらを見ている。闇音は目を細めた。
(まあ、そこが良いところでもある……とも言えるのか)
 闇音はためらいがちに、しかしもう決意はして口を開いた。
「私は……構いませんよ。フレイム様とともに旅をしても」
 ザックは最初に目を見開き、次に疑問を浮かべ、最後にともかく嬉しそうに笑った。
 闇音はその様子を見てふっと含み笑う。
「そうか。いや、しかしなんでお前は俺が言う前に分かるんだろうな」
 それはザックが考えていることは全部顔に出るからだ、とは闇音は言わなかった。
「以心伝心と言うものですよ」
 闇音の何か、いたずらさを含んだ笑みにザックは首を捻る。