金の流れ星 4

 冷えた汗が頬を伝う感覚にフレイムは目を覚ました。降り注ぐ木漏れ日は赤みを帯びている。
「あ、フレイム」
 フレイムの横に座り、飽きずにピンクの実をむさぼっていたグィンが声をあげる。朦朧(もうろう)としていた意識は、その高い声によって急速に現実へと呼び戻された。
「ああ……、グィン。さっきは、急に詰め込んじゃって、ごめん」
 広場から逃げ出すとき、グィンを鞄の中に放り込んでしまったのだ。
 真っ青な顔で謝る主人を、グィンはどうしようもないお人好しだと思った。もう少し、他人より自分を心配するべきだ――そう言おうかと思ったがやめた。どうせ、少年は淡い笑みを浮かべるだけだろうから。
「今夜はここで休もうよ。そんな具合じゃ山を登れっこないよ」
 グィンはせめてこの蒼白な顔をした主人を休ませようとした。
 フレイムは嫌だと言おうとしたが、足は重く疲れきっていた。
(仕方ない……か。百パーセント見つかるというわけでもない)
 森に入ったばかりのどうしようもない恐怖は、鼓動とともに落ち着いていた。
「……うん、そうしよう」

     *     *     *

 カルセの宿屋にザックはいた。風呂から上がり、黒い髪を濡れたまま紐で縛る。タオルを椅子の背もたれに投げかけて、ベッドに横たわると、頭の下で腕を組んだ。
「どおすっかな……」
 悩みをため息と共に吐き出しす。
 ベッドの向かいの机には古びた一枚の紙が置かれている。

『    令
   次の者、アシールを焼き払いし疑いのある者である。
   フレイム・ゲヘナ。男。現在十五歳。旧アシール(現デブリス)出身。暖灰色の髪。
   なお、死体にはこの令状の対象にならない。
   身柄を確保しだい、イルタシア帝国役所へ届け出よ。恩賞一億フェルを与える。
    イルタシア帝国王室 イルタス六世   』

 令状は二年前のものであった。イルタス六世とサインされた後には、王室の象徴である、竜の四角い朱印が押されている。
 ――アシール大火災。記憶にもまだ新しい、二年前の事件。村人七十余名が暮らす普通の田舎村がある日、突然の火災に見舞われたのだ。
 昼間で外に働きに出ていた者が多かったのはせめてもの救いだった。炎は瞬く間に村を舐め尽くし、無残な姿に変えた。跡からは老人をはじめ逃げ遅れた人々、十数名の変わり果てた遺体が発見された、悲惨な事件であった。
 その炎勢は明らかに自然のものを凌(しの)いでおり、放火、しかも上級の魔術師が犯人であると思われた。そして、火災で生き残り、そのまま行方知らずとなった少年が、その犯人であるとされたのだった。
 ザックが十九になる頃、この礼状は公布され、そして彼に島から出る決意をさせる。
 グルゼ島は美しいが小さく、彼の心はいつも海を越え、遥かな大陸を見つめていた。
 魔物が息づき、人々は魔術を操り、剣を振るう世界。この世には満たされることのない好奇心を満足させるものを求める者達がはびこっている。
 ザックもまたその一人であったのだ。
 身の回りを整理し、家を売り払い、出立金がたまる頃には更に半年が経っていた。大陸ではまず始めにこの令状がまだ無効でない事を確かめ、長旅の仕度をした。賞金額は一年半の間に十倍の十億フェルになっていた。
 金が欲しかったわけではない。途方もない賞金を掛けられた少年に興味があり、出来れば一戦交えたいと思ったのだ。しかし――。
(あんな、子どもなんて詐欺だよな……)
 令状の内容から計算しても少年はもう十七歳のはずで、もっとガタイのいい者を想像していた。しかし、長身のザックにとって、今日見た少年は予想に反してあまりに小さく、細っこかった。どこを見ても、村を一つ火の海にしてしまった凶悪犯には見えなかった。
(人違いだろうか……)
 しかし、一緒にいた妖精は「フレイム」と呼んでいた。少年自身も何かに怯えているようだった。令状に書かれている内容にぴたりと当てはまる。
 しばらく考えをめぐらしたが、やはりあの少年がフレイム・ゲヘナである可能性は高かい。
 ふいに、青年はベッドから飛び起きた。
「闇音、いるか」
 誰もいない部屋で呼びかける。
「いつでもいますよ」
 足元から男とも女ともつかない声が響く。ザックは一度足を上げたが、声の主が現れる気配はなかったので足を下ろした。
「今日見た少年、覚えているか?」
「果物屋で失礼してしまった少年ですか?」
 静かな声が痛いところをつく。若い主人は恥ずかしそうに、こほんと咳をついた。
「そうだ。そいつが今どこにいるか捜してきてくれ。デル山脈に向かって走っていった」
 ザックの影はぐにゃりと歪むと、床から立ち上がり、そして人型となった。闇に属する影の精霊である。
 奥の見えない漆黒の瞳がベッドの上の主人を見下ろす。身の丈ほども長い黒髪と美しい顔立ちだが、そこには感情の表れがない。
「捕獲はしなくていいのですか?」
 闇音は抑揚のない声でザックに尋ねた。
「いや、いい。これ以上、あのちっちゃいのに嫌われたくはないからな」
 闇音は頷くと、また影に戻って消えた。
 床に張りついた染みのような影が部屋から出ていく。その気配が遠のくとザックはベッドに潜り込んだ。