金の流れ星 3

 フレイムは通りの突き当たりにある広場で、噴水のふちに腰を下ろした。丸い広場はベンチもあり、休む人々が見受けられる。端の方では旅芸人が人々を集めて、風船を膨らませていた。
「たのむよ、グィン。俺、あんまり目立ちたくないんだ。ああいう事はもうしないでよ」
 疲れを含んだ口調でたしなめる。
 妖精は袋からピンクの実を引っ張り出すと、嬉しそうにキスをした。実に小さな歯をたてると、フレイムのほうを見上げる。
「だって、あんな奴は嫌だよ。変だよ。はじめてだからって、あんなにじろじろ見て。男の子が好きなんじゃないの」
 フレイムは頭痛を押さえるかのように額に手をやるとため息をついた。
「……やっぱり失礼なのはお前のほうだよ。名前も知らない人相手に何を言ってるんだ」
 言いながら、黒髪の青年を思い出す。
(『旅人さん』って言ってた。傭兵(ようへい)とか、そう言うのじゃないんだ。でも、あれはこの国の訛(なま)りじゃない。イルタシア人に近いものがある)
 思案していたフレイムは、手のひらが影になっていて、その背の高い影が自分の頭上に降っている事に気が付かなかった。ベリーを一つ食べ終えた、グィンが声をあげる。
「あっ、さっきの変態!」
 フレイムはびくっとして顔を上げる。視界に黒い髪が飛びこんでくる。続いて、日に焼けた顔と甘い光を浮かべた瞳が映った。
「妖精さんにはずいぶん悪い印象を与えちまったみたいだな」
 先程の青年が手にこちたのものと同じ袋をぶら下げて立っている。フレイムは突然のことに声が出せなかった。
 そんな少年に青年は目を眇めて笑う。謝罪の意が含まれた笑みだった。
「さっきはすまなかった。これ、詫びだ。受け取ってくれないか?」
 そう言って、手に持っていた袋を相手の目の前に突き出す。フレイムはその勢いに負けて思わず受け取ってしまった。中を覗くと、エルフィンベリーが詰められたパックが入っている。
「こんな……、受け取れません」
 フレイムは困って袋を青年に返そうと腕を伸ばした。だが、中身を匂いで悟った妖精がその腕にぶら下がる。
「もらっちゃおうよ。僕が食べる!」
「グィン!」
 青年が手で口を覆う。笑らわれているのを感じて、フレイムは顔を真っ赤にして困った。
「ご、ごめんなさい」
 誤り、腕にしがみついている妖精を剥がそうと苦心する。青年は腕を振った。
「いいんだよ。受け取ってもらえたほうが嬉しい」
 フレイムは青年を見上げた。優しい黒い瞳が自分を見下ろしている。
「あ……、ありがとうございます……」
 青年は満足そうに頷くと、そのまま横に腰を下ろした。フレイムは驚いて、おずおずと腰を横にずらした。妖精は新しく増えたベリーのパックに頬ずりをする。
 青年は笑顔で話を始めた。
「なあ、あんたどこの出身なんだ? あんたの故郷はみんなそんな色の頭をしているのか?」
 フレイムはうつむいたまま、か細い声で答える。
「アシール……じゃない、今はデブリスっていう……村の出身なんだけど……」
 いつもは他人に自分の事を話したりはしないのに、なぜかこの青年には話してしまった。
(似てるんだ、雰囲気が。優しく、自分の頭を撫でてくれたあの人に……)
 しかし、だからと言ってフレイムの警戒心が解けるわけではない。
「あの……あなたは?」
 尋ねられ、青年はいまさら忘れていたというように笑った。
「あっ、ああ……俺はザックって言うんだ。ザック・オーシャン。イルタシアのグルゼ島の出だよ。半年ほど前、この大陸に来たんだ。この国に入ったのは……、えーと? 一ヶ月前かな」
「イルタシア……」
 フレイムは聞き取れないほど小さな声で、その国の名を呟いた。フレイムは白人で肌の色が白いのだが、よく見知っている者が見れば、今の彼はいつになく蒼白な顔をしていた。
 もちろん、今日出会ったばかりの青年はそんなことには気が付くはずがない。ただ、少年の呟きは聞き取ることができたらしく、嬉しそうに言った。
「デブリスもイルタシアの村だろ? 知ってるぜ。俺達、同じ国の人間だな。あんた、名前はなんて言うんだ?」
「ごめんなさい」
 フレイムは目を瞑り、手を握り締めて顔をそむける。
「ゴメンナサイ? 変わったなま……、え? 『ごめんなさい』?」
 声の端が上がる。少年の言葉を反芻(はんすう)したザックはフレイムのほうを向いた。彼は荷物を抱え、うつむいて立っていた。
「おい?」
 ザックは腕を伸ばしたが、フレイムのほうが一瞬早く走り出していた。
 心臓が高鳴り、右腕が痛んだ。
(イルタシアの人間……)
 肺の軋む苦しさに喘ぎながらも、フレイムは山に向かって全力で走った。
 黒髪の青年は、あっという間に小さくなってしまった、その後ろ姿を見つめていた。右手を首に回し、ため息をつく。
「あれが、フレイム・ゲヘナ?」
(旧アシールの出身。暖灰色の髪。ここまではばっちりだが……)
 真っ赤になって、腕にしがみつく妖精と格闘する少年の顔が思い出される。
 ザックはまたため息をつき、首にやっていた手で頭を掻いた。

 山の裾野の森まで走ってきたフレイムは、立ち止まり、近くの太い広葉樹の幹に手をついた。
 呼吸の苦しさに、声も出せない。うつむいた頭の髪を伝った汗が滴り、足はがくがくと震える。
(ばかだ。こんなに疲労をためちゃ、山を登れない。でも、ここにいるのはいやだ。さっきの男が来るかもしれない)
 木の幹に体を任せ、ずるずると座り込んだ。風が吹き、木々がざわざわと声をたてる。呼吸は落ち着いても、足はまだ震えていた。
(……怖い……)
 自分は追われている自覚があった。この、腕のせいで。
 恐怖とともに腕が痛む。歯を食いしばり、右腕をぎゅっと掴んだ。医者には、痛むはずはないと言われた。精神的なものが原因なのだ。
 空を見上げると、豊富な葉をつけた枝と枝の隙間から白い光が漏れていた。
(……すこし……、少しだけ、休もう)
 蒼白な顔のまま、目を閉じる。

 視界は涙で滲み、その向こうは真っ赤だった。
(また、この夢……)
 どこか遠くで、別の意識がそう囁いたが、それどころではなかった。
 真ん中に小さなダイニングテーブルが置かれた、板張りの台所の床に髪の長い少年は座りこんでいた。腕の中では、女性が長い睫毛で縁取られた瞼を永遠に閉じている。
 その周りは真っ赤な炎が渦巻いていた。それでも少年は動かない。
 無慈悲な叫び声をあげ、燃え盛る化け物はすべてを焼き尽くうとしている。炎はすでに隣家にも腕を伸ばしていた。炎は彼の心の現れだった。
 愛する女性を奪われた悲しみと怒りが彼の心を包み込んでいる。

 ――この女性(ひと)がいない世界なんて、いらない。