「食事ならばダイニングだぞ」
部屋に押しかけてきた青年を見やり、ネフェイルは静かに告げた。
ザックは睨むように壮年の男を見つめる。
「聞きたいことがある」
「急だな。夕食のあとではだめか?」
ザックは部屋に足を踏み入れなら答えた。
「今のままじゃ、気になって食事なんか喉を通らない」
ネフェイルはため息をついた。しょうがない、と小さく零し、ザックに座るように椅子を示す。
それから戸口の方に立つ影の精霊に視線を移し、君も座りなさいと言った。
「で、聞きたいこととは?」
二人の前に同じように腰掛けて、ネフェイルは問う。
ザックは単刀直入に聞くことにした。鎌などかけていてはまどろっこしくなると思ったからだ。
「あんたの左腕、神腕か?」
闇音がぎょっとしてザックを見やる。
ネフェイルは面白がるように笑った。
「なぜ、そう思う?」
ザックは背後を窺うように一度視線を逸らし、それから答えた。
「……フレイムの右腕に似てる」
ネフェイルは膝を指先で叩いた。ザックの答えを吟味するように目を閉じる。
しばらくして再び目を開くと、青年を見つめてまた笑った。
「正解だ」
闇音がネフェイルを凝視する。ネフェイルは左腕を掲げて見せた。
「私の左腕は神腕だ」
影の精霊を見やり、口の端を小さく持ち上げる。
「普段は完全にチャンネルを閉じてあるから分からないだろうがね。……やはりチャンネルを開いて握手をしたのがいけなかったか……、君が何者か気になったのでね。それで分かったのだろう?」
視線を戻して問うと、ザックは頷いた。
「あんたの左腕、フレイムの神通力の壁に触ったときと同じ感触がしたんだ」
シェシェンで触った魔力の塊。あれほどの力ではなかったが、同質のものであることは知れた。
「ふむ。なかなか鋭い。……ではなぜ、静電気のような現象が起きたかは分かるか?」
「それは……どうだろう。分からない」
ザックが首を傾げると、かわりに闇音が身を乗り出すようにして口を開いた。
「封印ですか?」
「そうだ。私の魔力は見事に弾かれてしまった」
二人の会話にザックが声を上げる。
「それ! 封印てなんだ? 町でも封印がどうのって言われたんだ」
ネフェイルが眉を寄せる。
「誰に言われた?」
予想外に厳しい声にわずかに怯みながら、ザックは両手で身振りして見せた。
「長い緑髪の女と銀髪の男だよ」
ほっとネフェイルが息をつく。
「それはシヤニィの巫女だ。一緒にいた男は……簡単に言えば巫女の護衛だな」
「巫女?」
ザックが知らない単語を繰り返すと、闇音が頷いた。
「聖なる森を守る一族の巫女です。神の声を聞くとか……。確かに彼女なら魔力も強いでしょうね」
神の声を聞くとは預言者のようなものだろうか、だから何か変なことを言っていたのだろうか。そんなことを考えてから、ザックは改めて二人を見た。
「……で、封印て何?」
闇音がネフェイルを見やる。答えてよいのか迷っているようだ。
ネフェイルは精霊に頷いてみせ、ザックに向き直った。
「封印について知るということは、マリー嬢の望みを知り、そしてその望みに反することになる」
「どういう意味だよ」
自分の母親のことを知ったふうに言われるのは癇に障るのか、ザックが唇を曲げて問う。
ネフェイルは膝の上で手を組み、困ったように眉を下げて見せた。
「……確かにもう母親に守られる年ではないようだが……」
マリーは神臓の持ち主で、それゆえに夫を亡くした。息子をも危険にさらすかもしれない――そう恐れた彼女は息子の魔力を封じ、本人にもそれを黙っていたのだ。
だが、それはザックの同意を得ていない。
「知りたいか? 知らねばよかったと後悔するかも知れないぞ」
魔術師の問いに、ザックは養父とのやり取りを思い出した。
知りたくないと言うザックに対し、彼は「知らずに過ごすのは危険だ」と言って、母と父に関して語ったのだった。
ザックは目を閉じた。
「……知りたい。知った上でどうするかは俺が決める」
告げてから、瞼を持ち上げて、その翠の入り混じった黒い双眸をネフェイルに向ける。
真摯な眼差しをネフェイルは真っ直ぐに受け止めた。
「分かった。では話そう」
「俺が……神臓を……?」
ザックが唇を震わせる。馬鹿な、とでも言うように、彼は首を横に振った。
「確かに神臓だが、役には立つまい。魔術の基礎を覚えるにはもうお前は年を取りすぎている」
チャンネルを開き、そこから魔力を引き出し、望む形に変える技。それを学ぶには幼少時からのイメージトレーニングが欠かせないと言われている。
「……なんだ、じゃあ、宝の持ち腐れ……ってやつ?」
肩透かしを食らったような顔でザックはネフェイルを見た。うなずいてネフェイルは続ける。
「第一マリー嬢の封印があるだけに魔力は使えまい。お前は蛇口の壊れた水道と同じだな」
身もふたもない例えにザックは閉口する。
その様子に苦笑したあと、しかし、とネフェイルは言った。
「そうとは知らない者もいる」
「え?」
「お前が神臓の持ち主である――それだけで、もう利用価値があると判断する輩がいるということだよ。お前が不良品だとも気づかずに、な」
目を瞬くザックに対し、闇音は表情を暗くする。
しばらくしてネフェイルの言葉の意味を理解したのか、ザックは眉を寄せた。
「俺はイルタス王になんか媚びないぞ」
「……お前の意志など関係ない。それだけの力をイルタシア王室は持っている」
見下ろすような視線で刺され、ザックは渋面を酷くした。
「絶対、言うことなんか聞かない。相手が何をしてきても服従はしない」
闇音がびくりと肩を震えさせたことにザックは気づかなかった。
ネフェイルが冷えた双眸に憮然とした表情の青年を映す。
(生かしたまま殺す方法などいくらでもあるのだよ……)
年老いた魔術師は心中で呟いて目を逸らした。
その視線の先、窓の向こうには空でしかない空が見えただけだった。