蒼穹へ大地の導き 12

 青い屋根の店から出て、ザックは小さな紙袋をポケットにしまった。
「ねぇ、それ、誰にあげるの?」
 耳元でグィンが不思議そうに尋ねてくる。ザックは目元を赤く染めながら、彼女を睨んだ。
「だれだっていいだろ」
「ナンパに使うの?」
「ナンパでこんなんやるか!」
 怒鳴ってザックはさっさともと来た道を歩き出した。
「もういいだろ。森には行かないんだし、誰か知り合いがいるわけでもない。飯の美味い店だって知らないし、散歩にしちゃもう随分歩いた」
 ついでにわけの分からない二人組みに捕まった。
 グィンも頭の後ろで手を組んで、そうだねーと応じた。
「だいたい、僕とザックで出掛けようってのが失敗だったかも」
「だな」
 ザックは頷いて、歩く速さをいつもどおりの速度に落ち着けた。グィンはザックの頭上に寝そべる。
「昼飯何だろうな」
「デザート出るかな?」
 二人で料理店と思しき店を横目に見ながら、会話を交わす。
「さーな。しかしあのおっさんにしたって、急な来客な訳だろうし、そんなに準備良くないかもしれないぜ」
「じゃあ、買って帰ろうよ」
 果物屋を指差しながら、グィンが声を弾ませた。しかしザックは首を横に振る。
「あんまり金持って来てないから無理」
「ぶー」
「なにがぶーか。つい昨日だぞ。金を節約しようって話をしたのは」
「それって、賞金首になっちゃったから?」
「そう……っ……!?」
 うっかり答えて、ザックは戦慄した。背後から響いたその声は高く、しかしグィンではなく、他の女のものであることは容易に知れた。
 相手はこちらを賞金首だと知っている。知っていて会話に入ってきたのだ。
「……っ信じられない!! 本当にあんただったのね!」
 続いて浴びせられた言葉に、いや、その訛りを帯びたヒステリックな口調にザックは目を見開いた。頭の上のグィンが振り落とされそうになるのも構わず、地面を蹴って振り返る。
 目の前に幻があった。
 長い黒い髪。光を多く含む黒曜石の瞳。それを縁取る長い睫毛。その美しいけれど、強気そうな造作の顔立ちは忘れるはずがない。
「なによ。幽霊でも見たような顔をして」
 それは、ナキアの幻だった。
「なっ!!」
「何でここにるんだー! ……って?」
 背の高いその女性は腰に手を当て、挑戦的にザックを見上げてきた。優美に唇の端を吊り上げる。
「あんたがね、どーうしようもない馬鹿だって分かったから、笑いに来てやったのよ!」
 そして、平手が一閃。
 グィンは既にザックの頭から離れていたが、その鋭い音に思わず目を閉じた。肩をすくめたまま、次に目を開けるタイミングに悩む。
 殴られて呆然としていたザックは、頬がじんじんと熱を持ち出してやっと我に帰った。
「な、なにすんだ、てめぇ!」
「今のは心配かけた罰よ!」
 そう言い放つとナキアは今度はザックの襟首を掴んだ。反射的にザックは目を閉じた。
 だが、訪れたのは二度目の平手ではなく、唇に触れてくる柔らかい熱だった。
「……会えて、嬉しい」
 身体を引いて、ナキアは微笑んだ。
 二度目の自失。しかし、すぐにここが往来だと思い出して、ザックは青褪め、そのままふらりと一歩後退した。
「な、ナキア……」
「なーに? ザック」
 小首を傾げたその笑みは、可憐な花にも似て、先程とはまるで別人である。グィンは内心で頬を引き攣らせた。
 この女性がザックとどういう関係なのかはもはやどうでもいい。問題は周りの人々に自分が彼らの知り合いだと思われてしまったいることだ。じろじろとこちらを観察する視線と辺りを包む話し声は、小さな彼女にも十分に突き刺さっている。
(他人の振りがしたい!!)
 心底叫ぶが、ザックと会話をしていたことは誰もが気づいている。グィンは心の中でフレイムに助けを求めた。
 動かない三人に向かって、おずおずと申し出る声があった。
「な、なあ、こんなところでなんだからさ。ザック、お前、今どこの宿に泊まってるんだ? そこへ行こうよ」
 ナキアの背後にもう一人いたのである。同じく黒髪の男。
 ザックは再び驚きに目を見開いた。
「タグル……」
 タグルと呼ばれた男は眉を下げて笑うと、な? と目で訴えた。
「あ、ああ……そうだな」
 ザックはギクシャクと振り返るとなんとか一歩踏み出した。
「こっちだ」
 それに従って黒髪の男女も歩き出す。
 三人の黒髪を見つめて、グィンはしばらく唖然としていたが、すぐに慌ててあとを追った。

     *     *     *

 扉を開けて、主人を迎えた闇音はぱちくりと目を瞬いた。
「……どちら様ですか?」
 ザックの背後にいる二人を見つめて、訝しそうに眉を寄せる。
 その質問に対して、ものすごく疲れている様子のザックはためらいがちに口を開いた。
「幼なじみ」
「えっ」
 思いがけない一言に、驚きの声を漏らす。確かに黒い髪と黒い瞳はザックと同じだが、なぜそんな者がここにいるのか。
 困惑している様子の精霊に、ザックはため息をついて見せた。
「悪い。あとで説明するからさ……。ちょっと待っててくれ」
 そう言って、ザックは二人についてくるように手招き、ネフェイルに割り当てられた部屋へと入っていく。同じように扉の向こうに消えていく男女を闇音は静かに見送った。
(長い……黒髪……)
 胸中で呟く。
「闇音ー。僕、もうすっごくすっごく疲れちゃったよー」
 耳元で響いた声で、やっとグィンの存在に気づく。闇音は振り返って、緑の精に視線を移した。
「なにかあったんですか?」
「何って? 僕は何もなかったけどさー」
 グィンは間延びした声で答えながら、肩を落とす。
「……疲れた」