蒼穹へ大地の導き 7

 フレイムは瞼を持ち上げた。
 目の前には家がひとつ。その周りは少し開けていて、あとは森になっている。そのことをぼやけた視界で確認しつつ、フレイムは嘆息した。
 だるい。身体が前後左右に揺れているような気がする。
「大丈夫か?」
 ぼんやりしていると背後からザックが声をかけてきた。のろのろと振り返って頷く。黒髪の青年はなんともないような顔でこちらを見ていた。彼の背後には小道が細長く伸びている。自分達はその道を歩いてくるはずだったのだ。
 だが、その行程はすっぱりと省かれて、いつの間にか目的地についている。再びため息が漏れた。
 どうやら自分は転移に軽く酔ったらしい。馬車に揺られた後だったことも響いただのろう。
 軽い眩暈と、転移中に見た過去の夢を振り払おうと首を振る。そうしていると前方から声が響いてきた。
「……久しぶりだな」
 懐かしい声。つい先ほど、自分達を空間転移させた張本人である。フレイムは顔を上げて、その男を見た。
 長く、深い緑の髪。自分と比べて幾分か浅黒い肌に、淡い色合いの長衣を身に着けている。そして、大地に萌える緑の双眸。すべてを見透かすような深い輝きを宿している。
 その男、ネフェイル・ホライゾは二年前と何も変わっていたなかった。
「うん、久しぶり……だけど、ちょっと乱暴な招き方じゃないかな……」
 返事をし、それから声量を落として呟く。転移酔いしているらしい少年に気づいてから、ネフェイルは笑った。
「確かに、遠隔操作で四人も転移させるのはいささかスマートさに欠けたな」
 そう答えてから、少年の背後にいる三人に向き直った。
「はじめまして、わたしはネフェイル・ホライゾ。魔術師だ。精霊は持っていない」
 まずはこちらを警戒心を持って見ている精霊たちに、挨拶として微笑んで見せる。
 男がフレイムの探していた人物だと分かると、グィンはほっとしてからフレイムの肩に降り立った。
「僕は緑の精霊。グィン。フレイムの精霊だよ」
「ああ、よろしく」
 小さな精霊に微笑み、それから自分のほうを向いたネフェイルに、闇音が口を開く。
「はじめまして。闇音と申します」
 グィンに比べれば無愛想な挨拶ではあったが、上級精霊ともなるとその思慮は深い。名乗ったくらいで親しくはしてくれないことは分かっていた。ネフェイルは頷く。
「……君は、フレイムの精霊ではないね」
 それだけ確認するように告げ、最後に黒髪の青年を見やる。
「さて、君は?」
 精霊たちに挨拶をする男を観察していたザックは、こちらに視線を向けた緑の瞳を見つめた。相手が信じるに足る人物なのか、値踏みするようなその眼差しを、ネフェイルは黙って受け止める。
 ザックがネフェイルのことをどう思ったのかはフレイムには分からなかったが、ザックはとりあえずは小さく笑んで口を開いた。
「ザック・オーシャンだ。フレイムと一緒に旅をしている。それと、闇音は俺の精霊だ」
 ネフェイルは頷いて左手を差し出した。
「よろしく」
 左利きなのかと思いつつ、ザックがその手を握り返そうと、自分の手を伸ばす。
 しかし、お互いの指先が触れた瞬間、ザックは驚いたように手を振り払った。目を瞬いて、緑髪の男を見返す。
「な? え……、静電気?」
 ネフェイルは黙って、弾かれた自分の左手を見下ろした。
 フレイムたちはわけも分からず二人を見比べる。ザックの言葉からすると、どうも触れた際に両者間で静電気が発生したらしい。珍しいことではあるが、ありえないことでもない。
 やがてネフェイルは顔を上げ、呆然としている青年を見つめた。
「……君は……一体……?」
 変化は乏しかったが、ネフェイルが驚愕していることにフレイムは気づいた。いや、驚いているからこそ、表情が欠けているのだろう。
 ネフェイルはその緑の双眸を上下に動かし、何度もザックを見直す。
 そして、まさか、と呟いた。うろうろしていた視線は、いまや青年の顔を凝視している。
「……マクスウェル嬢の、子か……?」
「マクスウェル……?」
 確信のない声で漏らされた名をザックは反復した。
 どこかで聞いたような名だった。だがどうも思い出せない。どこで聞いただろうか。
 青年が首を傾げると、ネフェイルは眉を寄せる。
「……違うのか……?」
 疑わしく聞かれて、ザックは困惑した様子で首を振った。
「何の事だか分からない」
 そんな主人を庇って、闇音が前に出た。夜の眼差しはいつもと同じ無表情である。
「ネフェイル様、あなたの言うマクスウェルとは、もしやザックの母親でいらっしゃるマリー様の旧姓ではありませんか?」
 指摘されて、ネフェイルは合点がいったようだった。
「なるほど。そうか、彼女は家を継がなかったのか……」
 そしてもう一度、そうかと呟き、彼は視線を下ろした。
「どうかしたの?」
 フレイムが尋ねると、ネフェイルは顔を上げて首を振った。
「いや、まさかマリーの子どもと会うことになるとは思っていたなかった。驚いたよ」
 そう言って笑う双眸は思考が読めない。飛竜とは違った意味で、理解しがたい瞳。秘密を守ることに慣れた瞳だ。
「立ち話もなんだから、中へ入ろう」
 そう言って背後の家を示す。平屋の小さな家だ。
 ネフェイルは扉を開けて四人を振り返った。
「ようこそ」

 家の中に入る途中、闇音はザックに小さく囁いた。
「……マクスウェル、覚えていますか?」
「……いや、なんか聞いた覚えがあるような気はするんだが……。お前、分かるのか?」
 ザックが首を傾げると、闇音は視線を落とした。
「いえ」
 短く答える。ザックはお前もか、とため息をつくだけで終わった。そのままフレイムたちを追ってネフェイルの家に踏み込む。
 闇音はそんな彼を一瞥し、それから目を伏せた。耳に甦る声はまぶたの裏にその男の赤い髪を描く。
 ――そちらの黒髪の方はマクスウェル家の御曹司だ。
(……偶然か……?)
 イルタシアの国色である白のマントが翻ってちらつき、また、ザックと笑みを交わした優しい海色の双眸が過ぎった。憶測の邪魔をするかのように。
 闇音はすでに閉じた視界を、片手でさらに覆った。この闇の中で見極めなければならない。

 偶然か、――それとも……