蒼穹へ大地の導き 3

 耳元を掠った槍をザックは軽く手の甲で叩くと、正面から突き刺してきた剣の刃先を靴のかかとで蹴落とした。
「……ますます元気と言うか…」
 関所を通過するための「妙案」を考えなければならないはずのフレイムは、しかしザックの乱闘をじっと見つめていた。
「病み上がりって言うのはもう詐欺になっちゃうね」
 頭上でグィンが頷く。
 実際、ザックの動きは見事としか言いようがなかった。剣こそ抜きはしないものの、拳と脚で相手をいなしていく。
 多勢に無勢と言う言葉もあるが、敵は槍など中距離武器を持つ者がいるゆえに、一度にかかることが出来ずにいる。結果、六、七人で囲んでいるにもかかわらず、実際にザックと相対しているのは二人程度であった。
 闇音もフレイム同様それをじっと見つめていた。ただし、彼は他二人とは違ってその表情は穏やかとは言いがたい。
(……なぜ、剣を抜かない?)
 剣を抜くほどの相手でないのは分かる。だが騒ぎが大きくなれば関所の衛兵が出てきてしまう。乱闘は短時間で終わらせなければいけないのだ。それはザックも分かっているはずなのに。
 闇音は主人の動きに注意を払った。
 三人目を地に伏せさせて、ザックは息をついた。残りの人数を見て、眉根を寄せる。
(早く終わらせないと……)
 だが、彼の手は剣の柄に伸びない。
(……ちくしょう!)
 ザックは内心で罵声を発した。
 剣を握らないのではなく、手が剣を握ろうとしないのだ。
 自分の手が言うことを聞かないことに気がついたのは、一人目をかわして、次の敵の剣を捌(さば)こうと思ったときだった。指先が剣の柄に触れた瞬間。

 殺してくれ。

 手が震えた。
 囁いたのはシギルの声だった。
 青い月光が照らし出す過去。すべてを語った養父の声。
(……俺って随分と小心者だったんだな)
 剣を抜かず、拳で賞金稼ぎのみぞおちを打ちながらザックは奥歯を噛んだ。
 一瞬でも養父を殺さなければいけないと考えた自分を恐れている。刃を掴めば、それが大事な人を貫くのではないかと怯えている。
 その不安を払拭しようと、ザックは必要以上に拳に力を込めた。
 そうしてがむしゃらに暴れた結果、いつのまにか立っている者は自分以外にいなくなっていた。
 目を閉じて、肩で息をする。
「……悪い。手間取った」
 こちらを見ていた三人に気づいて、苦笑混じりに告げる。
 フレイムは首を振った。ついでに手も振る。
「ううん。お疲れ様。もうすっかり元気だね」
 安堵した様子の少年に頷いてから、ザックは自分の精霊を見やった。冷ややかな闇の瞳とぶつかる。
「……お疲れ様です」
「……ああ」
 返事をしながら、ばれたかな、と思う。
 ザックは片眉を下げて、無表情な闇音に笑みを返した。じとりと物言いたげな視線がちくちくと痛い。この漆黒の精霊はどうにも鋭くて困る。
 だが、それでも何も言わずにいてくれる闇音に感謝しながら、ザックはフレイムたちに首を傾げて見せた。
「で? 黙って見ていたみたいだけど、何かいい案は浮かんだのか?」
「あっ、えーっと……」
 言い淀む少年に、ザックは嘆息をこぼした。
「……だよなあ。本当にどうしたらいいのか……」
 そう呟きながら、彼には実は心当たりがなくもなかった。
 うまくいけば、もしかしたら一気にネフェイルのところまで到達することも可能かもしれない案。だが、それを実行に移すには自分が犠牲になる必要があるのも分かっている。
 記憶から消し足りたい出来事ナンバーワンともいえる惨事を思い出し、彼はげんなりと肩を落とした。無意識に自分の口を片手で覆う。
 そう、その案とは、あの忌々しい赤目の魔術師を呼ぶことである。
(うぅ……、やっぱり嫌だ)
 成功率はきわめて高いだろう。ハイリスクハイリターンとはよく言ったものだ。
 この提案を仲間に述べるか否か、ザックは頭を抱えた。
 と、そこへぱちぱちと手を打つ音が響いてくる。顔を上げると、フレイムたちも驚いて音のほうを見ていた。無理もない、それは自分たちへ向けられる拍手だったのだから。
 倒れた賞金稼ぎたちの向こうに、男が一人立っている。呆然とする一行への拍手をやめ、にこりと笑う。その仕草にあわせて、赤い髪が揺れた。
「すごいな。これだけの人数を一人で倒してしまうなんて」
 男の声は明るい。
「……何、この人?」
 グィンが小さく呟く。
 拍手を聞いた瞬間、フレイムの頭を過ぎったのは神出鬼没の飛竜であったが、目の前にいる男の顔は覚えにないものであった。
 年は二十代後半だろうか。丈高く、その背になびく白いマントが眩しい。長めの赤い髪は背中で三つ編みにされており、青い瞳とあわせて美しいコントラストとなっている。
 そして、腰に帯びた金に輝く剣から男が剣士であることはすぐに知れた。
「……あ、あれ?」
 不思議そうな声を上げたのはザックだった。白マントの男をまじまじと見つめている。どこかの名のある賞金稼ぎなのだろうかとフレイムは予想した。有名な賞金稼ぎ、それも剣士に限ってザックはよく知っているからだ。
 しかし、首を傾げながら検分してくる青年を見やり、白マントも怪訝な顔をする。
 そして驚愕の声は同時に発せられた。
「ウィルベルト!!」
「ザックか!?」
 お互いを指差して叫んだ二人の男にフレイムはぱちくりと目を瞬いた。
「えっと……何?」
 少年の呟きはしかし無視され、剣士たちはすでに手を取り合って跳ねている。
「おいおい、本当にザックか? でかくなったなあ」
「ウィルベルトは変わってないな。でもその白マントはなんだよ。キザだなー」
「なんだ、お前知らないのか?」
 ザックの問いにウィルベルトというらしい男は陽気に答える。
 そこで闇音がはっと肩を跳ねさせたのをフレイムは見た。そして自分もそのことに気づいて思わず青褪める。
 白いマントと金細工の剣。
「こいつはイルタシア王室直属の剣士団のトレードマークだよ」
 明るい男の声に、四人は眩暈さえ覚えた。その男は賞金稼ぎよりなお悪い、フレイムたちにとって最悪の男であった。