初心者マジックアイテムの入門 6

「別に嫌じゃなかったよ」
 微かだが笑いを含んだ声だった。
「ただ、島にはさ…」
 言いかけて途切れる。
 続きを待つフレイムの手にじわりと薄く汗がにじんだ。
 ザックは靴の裏で地面を撫でた。乾いた土と落ち葉の感触が伝わってくる。それからゆっくりと息をついた。
「……苦手なんだよな。自分の本心を言葉にするのって」
 静かな声にフレイムは耳を傾けた。
「そういうこと、あんまりしてこなかったからさ。俺、みんなが笑ってくれてればそれで良かったから。悲しい話とかして煩わせたくなかったんだ」
「でも、……それって辛くない?」
 遠慮がちに口を挟むと、ザックが微笑んだのが分かった。
「一人だけ何も言わなくても分かってくれる奴がいたからな」
 それが誰なのか、フレイムは聞かなかった。尋ねてもはぐらかされる気がした。
 ただそう語るザックの声は穏やかで、そして暖かい。
(それってやっぱり……)
 ふとフレイムの脳裏を過ぎったのは、今はもういない恋人の笑顔だった。彼女の笑みを見ていると自分はいくらでも優しくなれる気がした。
 思い出にふけりかけていると、ザックの声が耳を打った。
「……俺はそいつを島においてきたんだよな……。だからかな……」
 またため息をつく。一呼吸ごとに落ち着こうとしているのが分かった。
「無性に島に帰りたくなる。……帰れはしないのにさ」
 語尾が震えた。
 聞いたこともない儚い響き。フレイムは息を呑んだ。
「ザック……?」
「……大丈夫だよ」
 間をおいてザックは答えた。
「そいつのことについてはもう決めたんだ。いまさらそれを変える気はない」
 ふいに虫の音が途絶える。
 その瞬間の静寂は星の瞬きが聞こえるような錯覚を起こさせた。
 間もなくして再び澄んだ音が響きだす。
「いいな」
 うまく言葉を紡げずにいたフレイムに代わるようにザックが続ける。
「大陸の自然は壮大だ。俺はこれに憧れてた。島を出たことに悔いは、ないよ」
 それから思い出したように付け加える。
「言ってなかったと思うけど、お前だって俺が大陸に渡るきっかけだったんだぜ」
「え」
 想像もしていなかった言葉に驚きの声を上げる。
「そう。村を炎で包んだ悪魔の子ってな。うわさだったけど、気になってさ」
 悪魔の子。
 畏怖の目をした人々を思い出し、フレイムは唇を噛んだ。
「しかし、まさかこんな気弱な奴だとは思ってなかったな」
「そ、そんな……」
 笑うように言われて、フレイムは頬を染めた。ザックが片眉を上げて見せる。
「いざというときは頼りになるみたいだけど?」
 カルセの街での事を言っているのだと悟り、フレイムは小さく笑んだ。
 ザックの言葉はふわりと浮いて、フレイムの心を苛む過去でさえ、軽くした。
 ほっと息をついてから、フレイムはふと視線を下に落とした。
 だいぶ目も慣れてきた。足元に小さな花を見つけてから、フレイムは顔を上げた。
 淡い闇の向こう。
 ザックは微笑んでいた。甘い笑み。
 見惚れるように、フレイムは静止した。
 この青年を手に入れたいと願う、女性たちの気持ちが分かる気がした。単に美しいとか、それだけではなく、そこには救いがあるような気がするのだ。
 温かい腕(かいな)と優しい声。そして自分だけに向けられる笑顔。
 彼女たちはそれを求めているのだ。
「戻ろうか」
 首をかしげてザックが促す。はっとしてフレイムはうなずいた。しかしすぐには歩き出さず、木から背を離した青年を見上げる。
「海石のこと、ごめんね」
「いいって」
 そう言ってザックは少年の頭にぽんと手を置いた。相手を窺うように見つめてくるフレイムに苦笑する。
「本当に大丈夫だって。言っとくけど、お前より四年も上の人生の経験者なんだぜ」
「そういうもの?」
「思春期なんてもんが終われば、たいていは落ち着くもんさ」
 そうして頼れる男になるんだよ、と付け加えて彼は明るく笑った。フレイムはほっとする自分に気がついた。
 それに便乗するように、いたずらな言葉が口をついて出る。
「魔術書を買った日に無駄にしちゃうザックって頼れるの?」
「あ、お前、そういうこと言うのかあ? 魚も食えないくせして」
「ザックは朝いくら呼びかけても起きないんだよね」
「低血圧なんだぞ。不可抗力だ。て言うかお前は朝早すぎだ。ジジィじゃないんだぞ」
「規則正しい生活を送ってるだけだよ」
 言い合いながら、焚き火の側へと向う。
 闇音が視界に入り、フレイムは立ち止まった。相変わらずの無表情。
「あ、あの……闇音さん、ごめんなさい……」
 背後でザックが首をかしげた気配がする。
 それに対してなのか、フレイムの言葉になのか、ともかく彼女はため息をついた。
「不毛な言い争いはよしてくださいよ。聞いていて呆れます」
 本気でそう感じているらしく、言いながらこめかみを押さえる。
「しかも何気にザックのほうがバカらしいのが、精霊として嘆きたいところですね」
「主人に向ってバカとは何だ」
 ザックが言い返す。
 闇音は目を細めた。ザックがぎくりとあとずさる。
「私は三日以内に一万フェル稼ぎます。はい、復唱」
「俺は三日以内に一万フェル稼がされます」
「……語意に差異がありますがまあいいでしょう。まじめに労働するんですよ」
 はいはいと誠意のない返事をして、それからザックはぽつりと呟いた。前にいる少年にだけ聞こえるように。
 フレイムは思わず笑い出した。慌てて止めようとするザックに、闇音が怪訝な顔をする。

「闇音に口で勝てるようになるマジックアイテムってないもんかね?」