初心者マジックアイテムの入門 3

 一行は再び山の中にいた。
「で、俺はこの賢者の書をもってして何をすればいいんだ?」
 相変わらず列の最後にいながら、ザックが首を傾げる。
「えっと、とりあえず火をつけたり、植物――薬草を粉末にしたりできるけど?」
 フレイムは振り返りながら答えた。闇音があとを継ぐ。
「自炊でもしたらいいじゃないですか。あなたが一番食べるんですから」
「あのな、今までも俺が飯を作ってたんだぞ」
 顔をしかめて反論する。
「ああ、意外と美味だよね」
 口をはさんでグィンは思い出すように天を仰いだ。ザックが口を尖らせる。
「意外って何だ。これでも自炊歴は八年になるんだぞ」
「えっ」
 驚きの声を上げたのはフレイム。
「八年前って十三歳? ずっと自炊してたの?」
「ん、まあな」
「親は?」
 グィンがたずねるとザックは視線を横にそらした。
「……料理もできないようなずぼらにはなるなってことだろ。たまに、誕生日とかにだけ自作以外の料理も食ってたな」
「ふぅん、結構スパルタなんだ」
 いくらか感心したようにグィンが言う。かもな、とザックは笑みを見せた。
「おかげで今困らずにすんでるし、まあいい教育だったんじゃねぇの?」
 フレイムは思わず眉を寄せた。青年の笑みが儚く見えたのは気のせいだろうか。
 続けてその精霊に視線を移すと、そちらは険しい表情を浮かべていた。
「闇音さん?」
 名前を呼んでみるとこちらは向かずに、低い声を漏らした。
「囲まれたようですね……」
「え……」
 呻くと、後ろでザックがすらりと剣を抜く。いつの間にか本はしまったらしい。
「フレイム、まさか気配が読めないとか言うなよ? 冒険者歴はおまえの方が長いんだからな」
 真顔で冗談めかしく言われ、慌てて神経を研ぎ澄ます。
「オヌーイ……?」
 いまやひしひしと伝わってくる殺気にフレイムは肌が粟立つのを感じた。グィンがザックから離れ、主人の側に寄る。
 そして草の間から一頭の狼に似た灰色の生物がひょいと顔を覗かせた。これで半開きの口の間からよだれと舌が出ていなければ、人懐こい大型犬の登場と言ったところだろう。
 オヌーイは肉食の魔獣だ。鋭い牙を持って獲物を狩る。
 続けて、別の方向から三頭が現れた。
「えーと、これってやっぱり、ねぇ?」
 投げやりな口調でグィンが吐き出す。
 彼らの目の前には魔獣が四頭、飢えた瞳を光らせていた。
「まあ一応若いのが揃ってるし、美味そうに見えるのは間違いないんだろうな」
 危機感もなく他人事のようにザックが言う。
「下手に油断して怪我でもしないでくださいよ」
 落ち着いた声で闇音が注意する。
 旅人にとって脅威のひとつである魔獣を前にして、この態度。フレイムは感嘆にすら近い視線を彼らに向けた。
「大丈夫だ」
 答えると同時に、一頭のオヌーイが躍り掛かってきた。
 口元に笑みさえ刷き、ザックが刃を閃かせる。
 滑るような動きだった。あっという間に詰まった間合いの中、銀の刃が翻る。
 関所の傭兵よりは腕が立つ。そう言ったのは決して闇音の主人贔屓という訳ではなかったらしい。
 ぎゃんっと甲高い声で鳴き、オヌーイが地面の上を跳ねた。
 冷たい黒い双眸が魔獣を見下ろす。普段の優しい光を消してしまったその瞳に、フレイムは体が緊張するのを覚えた。
「……ちっ!」
 しかしザックはすぐに舌打ちした。斬り払ったオヌーイから飛び退って離れる。
「まさか、レイヌイ……?」
 ザックがとった行動の意味を悟り、フレイムが呟く。
 レイヌイはオヌーイに良く似た別の魔獣である。しかしオヌーイとの違いは決定的でレイヌイには剣が利かない。
 オヌーイとレイヌイを間違え、命を落とした剣士も少なくはない。
 ザックが斬ったレイヌイはすぐに立ち上がり、首を振った。傷はない。
「ザック、下がってください」
 実は最初からそれに気づいていたのではないかというほどの冷静な声が響く。
 見ると闇音が右腕を掲げてレイヌイを狙っていた。手には漆黒の光が宿り、すでに魔術を放つ準備は整っている。
「ったく、美味しいところばかり持っていきやがって」
 ザックが愚痴る。それを耳にしてか、闇音が小さく笑んだようにも見えた。
 ぱちんと、光を宿した手の指を鳴らす。
 電光石火。鋭い軌道を描いて、闇の輝きがレイヌイを襲う。
 光は魔獣に触れた瞬間、小規模ながらも爆発を起こした。爆炎は瞬く間に魔力特有の鮮やかな色彩に変化する。
「まずは一頭」
 静かな声が漏れる。
 爆発による煙が風に流れて消えた後に、レイヌイの姿はなかった。ただ仲間をやられたことにより、他のレイヌイの毛が怒りに逆立っている。鋭い針のようなその毛は実際、逆立った状態だと鋼ほどの硬さにもなった。
「なあなあ」
 闇音の攻撃にぼーっと見入っていたフレイムに、いつのまにか傍に来ていたザックが話し掛ける。
「これってレイヌイに効くか?」
 そう言って彼が示したのは賢者の書だった。
「え、いや、無理……だと思う」
 フレイムは首を振った。賢者の書に生物を傷付けるような魔術は載っていないはずである。
「なんだ、使えねぇな」
 つまらなそうにザックが溜息をつく。確かにレイヌイは剣士には仕留めることの出来ない生物である。それを倒せることを彼は期待したのだろう。
 と、そうこうしているうちに二頭めのレイヌイが爆発の中に消えた。
「あいつも容赦ないな」
 腕を組んでザックが自分の精霊を見やる。
「まあ……、甘さを見せればそれが命取りになるんだけどな」
 口調を変えて真面目に付け足す。
 それを聞きながらフレイムははたと疑問を覚えた。
 レイヌイは魔力のある者を狙う。
 それはもちろん自分たちの力を強くするためであるが。
(じゃあ、何で俺に襲い掛かってこないんだ?)
 右腕を握り締め、眉を寄せる。
 もちろん闇音の魔力も十分に強い。だがいくら努力しても神腕の持つ魔力には、だれも敵わないのだ。
(なんで……)
 胃の辺りが重い。不安と緊張が戦慄する。
「……っ!!」
 フレイムがそれに気づくと同時に、グィンが叫ぶ。
「フレイム!」
 それは最初から狙っていたのだ。
 息を潜め、殺気を消し、背後から――最も美味であろう少年を。
(間に合わない!)
 振り返るよりも速く背後から飛び掛かってくるレイヌイに対して、フレイムはとっさに頭を守る構えを取った。
 びしぃっという、強靭な革を石に叩き付けたような音が響く。
「早く下がれ!」
 叫んだのはザックだった。その先でレイヌイが地面の上を転がる。
 何て速さ。
 驚きにフレイムは我を忘れかけた。
「なにぼーっとしてんだ!!」
 そんな少年の耳を怒号が打つ。脳震盪でも起こしたのかふらつくレイヌイを放って、ザックはフレイムの方を振り返った。
「おまえ本当に山の中を旅してきたのか? それとも死にたいのか!?」
 怒っている。声を荒げる青年にフレイムは慌てて首を振った。
「じゃあ、下がれ」
 有無を言わせぬ強い口調。
「で、でもザック、剣じゃ……」
「黙れ。魔術を使ってはぶっ倒れるやつに魔獣の相手が出来るもんか」
 すっかり険悪な口調になってザックが睨んでくる。助けてもらったはずなのに、フレイムは泣きたい気分になった。
(……こっ……怖い……)
 胸の中で嘆いた瞬間、ザックが地面を蹴って振り返った。その勢いを利用して長剣が空を切る。