初心者マジックアイテムの入門 2

 ガルバラは豊かな国である。町に一つは魔道専門の店があった。
 フレイムたちがやってきた町ももちろん例外ではない。武器屋の隣にそれはあった。平屋の古い建物で、入り口のドアに「営業中」と書かれた端の擦り切れた紙が貼ってある。
「汚いね」
 そう言ったのはグィン。錆びれたドアを見て顔をしかめている。
「そうか? 俺はこういうの好きだけど」
 ザックが答える。
「なんか掘り出し物がありそうだろ」
「さて、どうでしょうね」
 言って闇音がドアを押す。蝶番(ちょうつがい)が軋んだ音をたてる。その音にフレイムはわずかに眉を寄せた。金属同士の擦れ合う音は苦手だ。
 開かれた扉の向こうは薄暗い部屋だった。床は傷だらけで艶のないフローリング。壁は商品らしきものを陳列した棚で埋まっている。部屋の中央やや奥にはテーブルがあり、ランプがひとつ灯っていた。
「……なんていうか。……出そう、だな」
 ザックが肩をすくめる。
 その顔が言葉とは裏腹に笑っているのを見て、フレイムはため息をついた。
(めちゃくちゃ楽しそう……)
 この男は自分より四つほど年上であるはずだが、彼の方が「はしゃぎ方」を心得ているらしい。
「いらっしゃい」
 唐突にその声は響いた。しわがれた声。
 はっと目を向けると、小さな老婆が真っ黒の服を着てそこに立っていた。
「っ出たあ!」
 叫んでグィンが主人の背に隠れる。つられてフレイムも思わず後ずさりしてしまった。
 ザックがきょとんと瞬きする。
「扉を開けた時からいたよな?」
 闇音を振り返って首を傾げる。影の精霊はうなずいた。
 そう言われてフレイムとグィンは顔を見合わせた。お互いに照れた笑みを浮かべる。
「何をお求めかね?」
 二人の様子に笑みを浮かべながら、老婆は尋ねてきた。
「賢者の書を」
 闇音が答える。老婆はうなずくと、体をずらし背後の本棚を指し示した。
「ザック」
 主人を呼んで闇音が本棚の方へと歩み寄る。ザックもそれに続いた。
 それを見送って、フレイムは傍の棚に目を移した。
「魔石だね」
 背後からグィンが言ってくる。棚には色形様々な石が陳列していた。
 そのうち一つを手に取る。手の平大の青い石。断面の端の部分が白くなっている。
「海石だよ。知ってる?」
 言いながらグィンに掲げて見せる。精霊は首を横に振った。
「自分が聞いた事のある声を再現してくれる。昔、隣りのおばあさんが持ってたんだ」
 彼女は死別した夫の声を聞いていた。
 淋しくて懐かしさに浸りたくて聞くのかと尋ねたら、喧嘩した時の夫の声を聞いているのだという答えが返ってきた。怒った夫の声を聞くと自分も負けまいと元気が出るのだと、そう言って彼女は笑った。
「声を聞きたい人はいる? グィン」
 グィンはまた首を横に振った。
「僕が声を聞きたい人はここにいるもん」
 言われてそれが自分なのだと悟り、フレイムは思わず頬を染めた。
「僕よりさ、フレイムはいないの? そういう人」
 フレイムは青い石を見つめた。
 こんな色の瞳をした人っだった。もう逢えない。
「……聞いたら、泣いちゃうよ」
 石を握る手に力がこもる。
 だからこの石は魔石なのだ。過去の声を再現する。機能はそれだけなのに。
 その石は過去に人を捕らえて放さない。深い懐古の世界へと引きずり込む。
 溺れた者は、戻れない。
 自分はきっと溺れるだろう。
 そう確信があった。フレイムは自嘲の笑みを小さく浮かべて、石を手の中で転がした。
「あ、じゃあザックはどうかな?」
 話を明るくしようとしてか、グィンがぱんと手を鳴らす。
「島の人とかのさ、声聞きたいんじゃないかな? 過去のものだったら生きてる人の声も、もちろん聞けるんでしょ?」
 そう言われてフレイムはザックの方を見やった。影の精霊と一緒に本棚を検分している。
 彼は過去を振り返って楽しむような人間には見えないが、確かに島の友人などの声が聞けるといえば喜びそうな気もする。
 フレイムは石を眺めてしばらく考え込んだ。

「あ、それです。そのワインレッドの背表紙の」
 闇音に指差されて、ザックは本棚の一番上の一冊に手を伸ばした。
 引っ張り出され、かくんとその本が彼の手にその体重を預ける。
「お、重い……」
 思わず、もう一方の手を支えに回す。
「そりゃそうですよ。そのワインレッドの賢者の書がシリーズ中で一番重いんですから」
 それを主人に取らせたのか。ザックはうろんな目を闇音に向けた。
 当の精霊はそれを無視し、続けて目の前の若草色の背表紙の本を示す。
「ちなみにこれが一番軽いです。主婦に人気の一冊ですね」
「あっそ」
 適当に相づちを打って、一番重いという賢者の書を自分の胸元まで引き寄せる。ずっしりと重みがかかり、古い紙特有の匂いがした。
 その匂いに思わず笑みを浮かべるザックに闇音は溜息をついた。
(本当に本の虫なんだから……)
 しかし、それだから賢者の書を選んでやったのだと、そんな自分に気が付いて闇音はこめかみを押さえた。
「でもこれ見た目より重くないか?」
 ザックが怪訝そうに眉を寄せて、尋ねてくる。
「魔力は密度が高いほうが、力が強いんです。その本はシリーズ中で一番ページ数が多くて、文字が小さいので、密度が高いんです。その魔力が重いんですよ」
 その仕組みはいまいち理解しかねたが、ザックは気にしない事にした。闇音が続ける。
「そのほうが効力が薄れにくいんです。若草色のは魔力の消費期限一年弱ってところですかね」
「へぇ。これは?」
「開きっぱなしにしないで使えば五年はもつでしょう。途中で魔術師に整備を頼めば、もっともちますよ」
 ザックは口を曲げた。本に“整備”という言葉を用いるのか。マジックアイテムとは実に理解しがたいものらしい。
(ま、アイテムって言うんだから。本、だと思わなきゃいいんだろうな)
 そう考えて、両手で抱えたマジックアイテムにあごを乗せた。

「結構値段が張るんだなー」
 道具屋を後にして、ザックが呟く。ワインレッドの本を掲げて。
「そうですよ。大事に扱ってくださいよ」
 横から闇音が釘を指す。はいはい、と軽く返事して後ろのフレイムを振り返る。
「お前は何を買ってたんだ?」
 問われてフレイムは小さく肩を跳ねさせた。
「え、あ、えっと。ちょっと……」
 言いよどむフレイムにザックが悪戯そうな笑みを向ける。
「ヤバイもんじゃないだろうな?」
「え? いや、そういうんじゃないけど」
 そう答えて、上着のポケットの中で手を握り締める。
 手の中には小さな海石。おそらくは形を整えてアクセサリーにするためのものだったのだろうが、フレイムはその原石のままを購入した。
 そんな彼を闇音が一瞥する。
 影の精霊の目には、彼のポケットが薄く青い光を帯びているのが見えた。
(魔石……。しかもあの波動は、海石?)
 思い出に浸るような年でもない彼が、どうしてそんなものを購入したのか、闇音は眉を寄せた。
(死んだ恋人の声でも聞くつもりなのか? そんなことは、やめたほうがいい……が)
 フレイムがどうなろうと正直に言ってしまえば、どうでもいいことだ。
 そう以前ならそう思っただろう。横の主人に目を移す。
(フレイム様に害が及べば、ザックも巻き込まれる)
 小さく嘆息して、闇音はフレイムから注意をそらさない事を決めた。