難題相談 2

「なんなんだ?」
 丁寧な言葉遣いをやめて、松壱は少女が駆けて行った鳥居の方を見つめた。優はため息をついて、社の階段に腰を掛ける。
「カテキョー」
「……家庭教師、ね」
 松壱も腰掛け、沖は格子扉を開けて出てきた。こちらはいつもどおり沙を纏った袴姿だ。頭上に狐の耳も生えている。優は振り返って声を上げた。
「沖様、お久しぶりです」
「おひさー」
 ひらひらと手を振って沖が最後に座り込む。少女を挟んで、沖と松壱は揃ってため息を零した。
「黒刀か」
「黒刀だろうね」
 優が二人の様子に目を瞬く。
「こくと?」
「ああ、君が言ったとおり、妖怪だよ」
 そう言って松壱は親指で背後――裏山を指した。
「鴉天狗だ」
 えっと優が驚く。
「天狗? でも、鼻は長くなかったですよ?」
 その言葉に逆に松壱が驚く。沖はたまらず吹き出した。
「いや、羽山さん、残念だけど、いや、残念なのか? あいつはわりと普通に人間と同じ外見をしてるから」
 でなければ、沙良が惚れることもなかっただろう。翼を持っているが、当然それは人前では隠されている。
「えーっ、なんだか裏切られた感じです」
 頭を抱える松壱に優は軽く唇を尖らせた。そしてはたと膝を叩く。
「というか、やっぱりお二人の知り合いなんですね。どういう人なんですか?」
 問いに二人はまたため息を零す。沖は座りなおして頬杖をついた。
「人間嫌い。特に子供は嫌い」
 黒刀の性質を端的に述べる沖に松壱が眉を寄せる。
「……子供も嫌いなのか? でも俺……」
 小さい頃に遊んでもらった記憶はいくつもあった。それに遊んでもらっただけでなく助けられたことも何度もある。
 沖はマツイチはね、と言った。
「やっぱり高嶺の子だし。なにより可愛かったしね、小さい頃は」
「え、え、高嶺さんの小さい頃ってどんな感じだったんですか?」
 興味深そうに優が乗り出してくる。沖は話好きのおばさんがするように片手を振って、そしてむふふと笑った。松壱の眉間の皺は無視する。
「すっごい可愛いの。ちっちゃくて色白で、目がころころしててね」
「おい」
「よく寝る子でさ、膝の上で眠られると動けなくなったりして、でも寝顔がまた可愛いから、いいかーなんて……っうぐ」
「黙れ」
 顎を片手で押さえられ、それでも沖は続けた。
「でも寝せすぎたね。こんなに大きくなっちゃうなんて予想外」
「羽山さん、しばらく待っててくれ。この口の軽い狐に制裁加えるから」
「おわわわ、マツイチっ、ギブギブ! ロープ!」
 関節をキメられて、沖が床を叩く。優は笑った。
「あいかわらず、仲良しですね」
「仲良しの意味を勘違いしてるだろう」
 胡乱な眼差しでこちらを見る宮司に、優は両手を振る。
「まあまあ、それより黒刀さん? 人間嫌いってどの程度なんですか?」
「どの程度って……君がここに遊びに来るようになってそれなりに経つけど、一度も会ったことがないだろう? 避けてるんだよ、あいつが」
 ははあ、と優は頷く。嫌いな相手とは顔も合わせたくないということか。友人もやっかいな相手に惚れたものだ。
 松壱は腕を組んだ。
「伊納さんには悪いけど、何か理由をつけて断るしかないな」
 反論したのは沖だ。
「いや、会うくらいならできるんじゃないかな。会えるだけでもって言ってたよね?」
 彼はあくまで人の味方なのだ。少女がわずかでも喜ぶのなら叶えてやりたいという気持ちが沸いてしまう。
 松壱は眉を寄せた。会えるだけで良いという言葉をそのまま受け取ることはできない。無言で見つめ合って終わりなんてことがあるだろうか。
「会ってどうするんだ。話が弾むはずがないだろう」
「それでも気持ちを伝えるだけでもっていう話もあってさ」
「黒刀なんかに相手をさせたらかえって傷つくんじゃないか?」
 口論になってしまった二人の間で優が肩をすくめる。
 沖がお人好しで人間に甘いのは知っていたが、どうもこの宮司はその黒刀とやらの肩を持つらしい。沙良が傷つかないようにと口では言っているものの、黒刀が煩わされるのを避けたいという気持ちが透けて聞こえる。
 よほど面倒な相手なのか、それとも――。
 優が首を傾げた時、ついに沖は立ち上がった。
「もーっ、とにかく、まずは黒刀の意見を聞いてみよう!」
 そのまま天狗を呼びに行こうとするが、肩に羽織った紗を掴まれてうっと踏みとどまる。実は沖の尻尾であるその紗を掴んだまま、松壱はじろりと狐を睨んだ。
「……分かった。そこまで言うならそうしようじゃないか」
 そう言って、松壱は指を鳴らした。いつからそこにいたのか、なぜそこにいたのか、ともかく社の屋根から逆さまに玖郎が降ってくる。優がひっと悲鳴を上げた。
 屋根の縁にぶら下がったまま、怯えた様子の少女に挨拶代わりに手を振ってから、玖郎は松壱のほうを向いた。
「呼んだ?」
「呼んだ。さっきまで聞いてた内容を黒刀に伝えて、どうしたいか聞いてきてくれ」
 玖郎はくるりと地面に降り立ち、おどけた仕草で敬礼の姿勢をとって見せた。
「承りました」
 そう言って、地面を踏むと、人間にはありえない跳躍で森の中へ消えていく。見送って松壱はため息をついた。
 横で沖が拳を握っている。
「ま、また玖郎に物を頼むなんてっ。霊気の無駄遣いもいいとこだ」
「俺のものだ。どう使おうと勝手だろう」
 目線を合わせずに松壱は答える。
 その横でやっと我に帰り、優は玖郎が消えていった方向を指差した。
「い、今のは?」
 外見は普通の人間だった。黒髪を伸ばしっぱなしにしたような男。明るい色柄の洋服を身に付け、沖のように耳だけ人と違うということもなかった。
 沖が不満げな表情で答える。
「俺と同じ玄狐。最近ここに住み着いたんだけど、あいつはマツイチの霊気を報酬に働くんだ」
 優の脳裏を過ったのは巨躯の鬼だった。彼女の身近に潜んで、霊気を喰らっていた。青褪めた少女に松壱が片手を振る。
「あいつは雇い主を食い殺すほど頭の悪い奴じゃないさ」
「でも」
「君とあの鬼の間に契約はなかったが、俺とあいつの間にはある。あいつが俺に逆らうのは契約違反だ。妖魔は存外、そう、人間以上にまじめな生き物なんだ」
 松壱はそう言うと、玄孤が向かった森の方に視線を移した。その横顔を優は黙って見つめる。
 大丈夫だと言うからには信じるしかない。沖と同じ種類の妖魔だというなら、確かに不安はないのかもしれない。
 ただ、一方で松壱が「人間は信用ならない」と皮肉ったようにも受け取れて、寂しい気持ちになった。先ほどのやりとりといい、お人好しの沖より松壱のほうがよほど妖魔に近しいようだ。
 陽光を弾いて金色に輝く瞳には人の世はどう映っているのだろうか。白い横顔から視線を逸らして、優もまた同じように深い森を見やった。