残片 3

 夕食を終えて、沖は松壱にしばらく出掛けていいかと尋ねた。
 玖郎は客室で休んでいる。
「玄狐の里に?」
 沖の申し出に、テーブルに座ったまま松壱は無表情に応じる。
「どれくらいかかるんだ?」
「えと……三日くらいかな」
 神社を三日も開けたことはない。許可が下りるだろうかと、沖は不安な面持ちで宮司を見つめた。高嶺神社の封印を施された身体は、「高嶺」の許可なく遠く離れることはできないのだ。
「行ってくればいい」
 それは意外なほどあっさりとした回答で、沖は思わず自分の耳を疑った。
「え……本当に? いいの?」
 驚いた様子で念を押す狐に、松壱は立ち上がって背中を向けた。
「そう言ってる。そのかわりユキも連れて行けよ。俺は子守なんてしないからな」
 沖はこくこくと頷いた。
「うん。分かった。ありがとう、マツイチ」
 話をじっと聞いていたユキも表情を明るくする。
「お出掛けですか?」
「うん。ユキも一緒に行んだよ」
 嬉しそうに沖にしがみ付きながら、しかしユキは松壱を見上げた。
「高嶺は行かないの?」
「なんで俺が」
 冗談じゃないと言わんばかりの口調で返され、ユキは眉を下げる。それを見て沖は何か不思議な感覚を覚えた。
 その正体が分からないうちに松壱が振り返り、ぴんっと沖の額を指で弾いた。
「いッ」
「解けた」
 額を押さえる沖にそれだけ告げて、松壱は自分の部屋へと戻っていった。
 三代目高嶺が施し、その後代々の高嶺が受け継いできたご神体の封印が解かれる。沖は身の内側にあったものが一つ無くなるのを感じて胸元を押さえた。
(なんか……変ていうか、嫌な感じ……)
 何も失くしたくなんかないのに。

『月佳の封印は解いてはならない』
 それは三代目高嶺の言葉だったという。
(解けば沖は里に帰り……死ぬから)
 死んだ仲間達のあとを追っていってしまうから。
 松壱はベッドの上で天井を見つめた。
(もう四百年経ってるんだ。……今更な封印だ)
 ユキも一緒なら大丈夫だろうとも思う。
 そして、玖郎が本物の玄狐だというなら、関係がないのは自分だけだ。

      *      *      *

「それは見事に拗(こじ)れてるな」
 夜中、明日から出掛けると沖に聞いて、黒刀はそう返した。
「拗れてるって何が?」
「お前の頭の中」
 眉を寄せる沖に、高嶺家の裏の木の上から黒刀は手を振る。
「ちょっと前のお前なら出掛けやしないだろうさ」
「どういう意味だよ?」
 黒刀は片眉を上げて意地悪そうな笑みを浮かべて見せた。
「高嶺は明日から一人だな」
 話を逸らす天狗に不満をあらわにして沖は唇を尖らせる。
「だから、山のことお願いって言いに来たんじゃん。俺がいなくなって、神社の結界薄れるかもしれないからさ、悪いのが入ってこないようにちゃんとしてくれよ」
「そんなのは言われなくてもやってる。それが俺の仕事だ。お前も高嶺も関係ない」
 黒刀はつまらなそうに答えて、沖を見下ろした。
「せいぜい楽しんでくればいい」
 沖は黒刀を睨み、身を翻した。
「里には誰もいやしないのに、楽しめるわけないだろう」
 言い置いて、そのまま去っていく。
 黒刀は闇の中に消えていく沖の後姿に心中で問いかけた。
(じゃあ何で出掛けるんだ。高嶺を一人にしてまで……)
 いないはずだった生き残りが現れて、里に行くなんて言って、それだけですむと誰が思うだろうか。
(側にいてやれるのはお前だけなんだぞ)
 見た目は平静でも沖はパニック状態なんだろうと黒刀は思った。
 もう誰も生き残っているはずがない、そう思っていた四百年。そして現れてしまった血族。いとも簡単に解かれた封印――。
 松壱の様子の変化になど気づかないほどに、彼の頭の中は拗れている。
「ああ、やっかいだな……」
 ぼやいて黒刀は目を閉じた。

      *      *      *

 昨日に引き続き晴天。今年のゴールデンウィークの天気は行楽一家の味方らしい。出掛けて行く三頭の狐を見送って、松壱は家へと戻った。
 ふとダイニングを覗き、彼はこめかみを押さえた。
「…………何やってるんだ」
「何って、朝飯」
 勝手に食器を出したのか、黒刀は味噌汁を啜りながら松壱を見やった。
「ちゃんと温めなおしたから美味いぞ」
「そういう話じゃないだろう。天狗様が何勝手に人ん家で飯食ってるんだ」
 不機嫌さを滲ませて松壱が険悪に吐く。ことんとお椀を置き、黒刀はそれを一蹴するかのように笑ってみせた。
「今夜から三夜連続で時代劇の総集編が放送されるんだ。テレビ見せてくれ」
 松壱は肩を落とす。
「ああ……もう好きにしろ」
 投げやりに呻いて、ダイニングを離れていく。
 黒刀は食事を再開し、かぼちゃの煮物をくわえた。ほんのりと甘いが、さっぱりとした後味。
 一人ぶん余計に作ってあったのは、おそらく松壱の昼食を兼ねていたのだろう。
(まー、昼にまた二人分作ればすむことさ)
 黒刀が急に押しかけてきて、作る食事の量が増えるのは松壱も慣れたものであるはずだ。
(冷えた料理を一人で食べるよりいいぞ、高嶺)