鬼の霍乱 4

 玄関を開けた瞬間、沖は表情を曇らせた。嫌な奴が来たのである。
 濃灰色のスーツを着た四十代ほどのその男は、黒い髪と黒い瞳、身長は標準よりやや高め、一見はエリートそうなサラリーマンである。彼は沖の渋面をものともせずに微笑んだ。
「久しぶりだね、沖君。松壱君に会わせてもらえるかな?」
 沖は首を横に振った。
「松壱は今は会えません。お帰りください、東條(とうじょう)さん」
 東條は片眉を上げる。
「会えない? なぜ? 今日は日曜日で、大学には行かなくてもいいだろう?」
 会わせられない理由は言いたくない。外出中とでも言えればそれでよかったのだが、東條の視線は松壱の靴を指している。
 沖は唇は引き結んで答えた。
「……松壱は寝込んでるんです。東條さんのお話の相手はできません」
 東條が目を見開く。
「寝込んでるって、風邪かい? それはいけない。見舞わせてくれよ」
 ちょうどいいと言うように手土産を掲げて見せ、東條は笑う。
 沖は青い双眸を細めて、声を低くした。
「あんたが会ったら、マツイチの具合がもっと悪くなるだろ。帰れ」
 険悪に言い返してくる「松壱の従弟」に、東條も表情を変える。
「言ってくれるねえ。汚らわしい妖怪が」
「あんたの方が汚らわしいよ。金の亡者、東條さん」
 妖狐の嘲りに、東條は眼差しに強い光を称え、声を厳しくした。
「どきたまえ。私は松壱の伯父だ。何の権利があってお前が邪魔をする」
「どかない」
 きっぱりと答える沖を、漆黒の双眸が睨む。
「上がらせてもらうよ」
 そう告げるや、東條は沖を押しのけて家の中へと入ってきた。
「東條!」
 沖が止めるのも聞かず、東條は廊下をすたすたと歩いていく。
 東條が歩いていくと、廊下で壁に寄りかかっている黒髪の青年と目が合った。
「君は……?」
 尋ねると青年は無表情に答えた。
「ただの知り合いだ」
「……そうか」
 他人に用などない。東條は松壱の部屋の襖を叩いた。返事を待たずに開ける。中には甥とまた知らない青年がいた。
「……東條さん」
 ベッドの上で松壱が呻く。目を瞬くばかりなのは千里だ。
「東條、帰れって言ってるだろう」
 あとから現れた沖が東條の肩を掴む。東條は苦笑して松壱に視線を投げた。
「ご覧のとおりだ。松壱君、こいつに一言言ってやってくれないか?」
 松壱は沖を見上げた。
「沖、下がれ」
「マツイチ……っ」
 沖が何か言おうとするのを、ブラウンの双眸が制する。
 ぐっと押し黙った妖狐を確認して、松壱は千里のほうを見た。
「悪い、ちょっと出てくれないか」
「あ、ああ。……帰った方がいいかな?」
 立ち上がりながら千里は困ったように問う。すると、松壱は唇の端をあげてみせた。
「いや、すぐすむ」
 どことなく剣呑な笑みに、千里は眉を下げて笑い、それから頷いた。
「分かった。待ってる」
 部屋から出て行く千里を、松壱は沖に目線で示した。
「客間で相手をしてやっててくれ」
「……分かったよ」
 不貞腐れた声で応じ、沖はぱしんっと襖を閉めた。
 その音に肩を竦めて見せてから、東條は千里が座っていた椅子に腰掛けた。紙袋に包まれた箱を差し出す。
「京菓子だ。みんなで食べてくれ」
「いつもありがとうございます」
 感情のこもらない声でそれを受け取り、松壱はベッドの脇に置いた。それからため息をつき、さも鬱陶しいように声を絞る。
「で、なんの用ですか、東條さん」
「伯父さんと呼んでくれよ」
 口元に笑みを刷き、東條は松壱の肩に手を置いた。
「私は君のような優秀な甥を持てて自慢なんだから」
 東條の手を払って、松壱は相手を見据えた。
 朝から止まない頭痛が、いっそう酷くなっていくのを感じながら。

 客間に案内された千里は座卓の端に座って、ぶつぶつとごちる友人の従弟を見た。
「黒刀もさ、あそこに立ってるなら東條を止めてくれればよかったのに」
 同じく客間にいる背の高い男は、その背後で窓の縁に腰掛けて庭を眺めている。
「俺は単にあの男を見てみたかっただけだからな」
 冷たく答える男を見上げていると、その視線に気づいて睨まれる。千里は肩をすくめてうつむいた。
「ちょっと黒刀、お客さんを怖がらせないでよ」
 沖が注意するのも聞かず、黒刀は続ける。
「あれが、先代高嶺の弟か……。似てないな」
「似ててたまるか」
 沖は吐き捨てた。
 珍しく毒を振りまく沖を見下ろして、黒刀は面白がるように笑みを浮かべた。
「なぜ?」
 沖は洋服の裾を掴んで肩を怒らせる。
「あいつは……山背(やませ)はマツイチが継ぐかもしれない東條の財産が欲しいんだ」
 千里ははじめて聞くその話に耳を傾けた。東條と言うのが松壱の母の旧姓だというのは知っている。
「その山背も東條の直系だろう?」
 首を傾げる黒刀を沖は見上げた。
「うん。今の東條の財産を管理しているのは六花のお父さんで冬詞(とうじ)っていうんだけど、冬詞は松蔵ととても仲がよかったんだ」
 黒刀が頷く。先々代高嶺と先代高嶺の父親は友人同士だ。
「だから冬詞も六花を高嶺に嫁に出したんだけど……。冬詞は娘を愛していてね、本来、東條の財産の四分の三は六花が継ぐはずだったんだ」
 だがそれは六花が高嶺の嫁になり、数年後病でこの世を去ったことで無効になった。
「そこで冬詞は財産を孫の松壱に四分の三を譲ると決めた」
「……なるほど、山背には四分の一しかいかないわけか」
 黒刀は酷薄そうな笑みで、山背がいるであろう方向を見やる。
 千里は話を聞いていて気になったことがあった。勇気を出して口を開く。
「あの、それって松壱が相続権を放棄した場合はどうなるんですか?」
 その場合に四分の三が山背に行くのなら何の問題もないはずだ。
 確かにそこだね、と言って沖が頷く。そして彼は山背をからかうかのように笑った。
「四分の三、全部が美術館や医療関係に寄付されることになってる」